大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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大分の名所めぐり その1(大分市)

 このシリーズは大分市のうち大分地区の名所旧跡をめぐります。

 さて、このブログでは市制施行時の大分市の範囲をもって大分地区とします。地域名を申しますと旧大分町=旧市街(旧大字大分)、旧西大分町=旧大字勢家(せいけ)・駄原(だのはる)・生石(いくし)、旧荏隈村=旧大字荏隈(えのくま)・奥田・永興(りょうご)・三芳、旧豊府村=旧大字古国府(ふるごう)・上野・畑中・羽屋・豊饒(ぶにょう)からなります。この地域は名所旧跡・史跡・文化財の宝庫です。特に神社仏閣の数は大分市随一といえましょう。また、石造文化財も質量ともにすこぶる豊富で、特に永興・上野・古国府・羽屋あたりには多種多様な石塔・石仏(磨崖仏)がございます。稙田地区と同様、石造文化財に興味関心をお持ちの方は必ず探訪すべき地域であると申せましょう。

 大分地区は市街地の拡大が著しく、旧大字境・村境を跨って町域が形成されております。そこで、このシリーズでは旧来の地域区分によらで順々に紹介してまいります。初回は南大平寺(みなみたいへいじ)の一部をめぐります。

 

1 伽藍大明神(杵築社)

 大分市美術館の駐車場そば、郵便ポストのある辻を下ります。左に配水施設を見ながら下っていき、道なりに右に急カーブするところを直進し枝道に入ります。曲がりくねった急坂をなおも下れば左側に伽藍大明神(杵築神社)が鎮座しています(冒頭の写真)。車は神社向かい側の伽藍石仏前の広場に停めることができます。しかし道幅がたいへん狭くて危ないので、美術館の駐車場に停めさせていただき歩いてくる方がよいでしょう。

 説明板の内容を記します。より分かり易いように元の文章を少し改変しました。

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杵築社由来略記
鎮座地 大分市大字永興1986番地
祭神 大己貴命または大国主命
祭典日 春祭  3月21日
    例大祭 7月21日
    秋祭  12月21日

 由緒不明なるも、当社は江戸時代寛永年間(1624年)、島根県大社町杵築元宮幣大社、出雲大社(杵築大社ともいう)の御分霊が祀られており、縁結びの神、福の神、農耕の神であり氏子の信仰が篤い。
 当地には太平寺という寺院があったので町名として現在残っている。また、当社は俗にガランさまと呼ばれている。これは、境内地の隣接に石仏があり、昔寺院(伽藍)があったことに由来する。
 明治6年、村社に列す。

太平寺町内会

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 まずはお参りをいたしましょう。いたずらをする者があるのか、お賽銭箱は施錠された硝子戸の向こう側に置いてあり、格子を通した樋にお賽銭を入れると箱に落ちるような仕組みになっています。近年、このような仕掛けを盛んに見るようになりました。世知辛い世の中になったものです。

 お参りをしたら拝殿の右側にまわりますと、岩屋の中に仏様が安置されています。

 平石を何段にも重ねた台座に仏様(坐像)が乗っています。また、その隣のお賽銭箱のところにも首のない仏様が安置されています。詳細はわかりませんけれども、神社の境内ですから或いは権現信仰の名残かもしれません。きれいなお湯呑みにはお水が並々注いであり、地域の方の信仰が今も続いていることが分かりました。

 そのすぐ隣の崖上には、六角形の石柱が立っています。社日塔と思われます。すべての面に、天照皇太神、蒼稲魂命などと神様の名称が彫ってあり、その下部には一面に地域の方のお名前が彫ってあります。

 御室の中には半肉彫りのお地蔵様がおさまっています。どのような謂れがあるのかは分かりません。この奥から、曲がりくねった坂道が竹藪の中をどこかに向かって下っています。旧道の可能性もありますし、その道を辿ればほかにも石造物があるかもしれません。時間の関係でまだ歩けていないので、何か分かればまた紹介します。

 

○南太平寺の歴史と史跡について

 説明板にて言及されている太平寺というお寺は現存しませんが、この近隣一帯の石造文化財がすこぶる豊富であることからして、それなりに規模のお寺であったことが推察されます。村落としての太平寺は、北太平寺村と南太平寺村に分かれていました。旧北太平寺村は大字三芳のうちで、太平町の地名に名残を留めます。旧南太平寺村は大字永興のうちで、今は町域が拡大して大字古国府・羽屋の一部も含めて南太平寺1丁目から4丁目までの町並みを形成しています。

 南太平寺町には今回紹介する数か所のほかにも、数多くの史蹟・文化財が点在しています。また、大道トンネルが開通する以前に堀切峠(大道トンネルの上を越す道)と並んで盛んに通行された古い山道も残っており、探訪のし甲斐のある地域です。細い道が斜面を縦横に伸びており、ありがたいことに方々の文化財・史跡への入口に小さな立札を立ててくださっています。

 杵築神社の前の坂道を下っていくと、道路端に南太平寺文化財・史跡を紹介した説明板が掲示されています。文化財指定の有無によらずたくさん紹介されていますので、この一帯を散策される際には一読をお勧めいたします。内容を記しておきます。

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太平寺石仏

 上野ヶ丘台地の南裾を大きく迂回して走る久大線に沿って、おおよそ2kmほど西に行くと、道は南太平寺部落の中で鉄道と交差する。ここから右に本通りと分かれて、小さな坂道をしばらく登ると昨年改築されたばかりの「伽藍大明神」と呼ばれるお宮(杵築社)がある。鳥居の前の広場は子供達の恰好の遊び場となり、様々な遊具が所狭しと置かれている。その広場の奥まった一角に、南太平寺石仏(伽藍石仏)が造顕されている。阿弥陀如来像を中心に不動明王、菩薩型立像が中肉彫りで刻まれている。いずれも苔むしており、その形状は定かでないが、御仏の美しい尊顔が偲ばれる。

 南太平寺には、その名の示すとおり実に多くの寺院が建立されて、その数は南大分随一を誇っている。史跡・文化財は、石仏横の阿弥陀様、公民館付近の清水寺音羽が滝、六地蔵延命地蔵、首切り堂、龍王神社、将監寺(しょうげんじ)跡など数多くある。いずれも、国府に近く南向きで温暖の地であったという地理的条件から、安国山太平寺を中心に昔、流星を極めたのであろう。門前(もんで)、将監寺、武家屋敷(むけやしき)などの今でも残る屋号が、それらを如実に物語っている。

贈 大分市ライオンズクラブ

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2 伽藍石仏(磨崖仏)

 杵築神社の向かい側が広場になっていて、その奥の崖に3つの岩屋をこしらえて磨崖仏が彫り出されています。こちらの仏様は風化・崩落が著しく、原形をとどめていないものばかりです。けれども磨崖仏の本質は、状態の良し悪しではないと信じています。こちらは、磨崖仏に興味関心のある方がおちこちからしょっちゅう訪れるばかりか、地域の方の信仰も篤く、掃除・整備が行き届いていますので安心してお参り・見学できます。

 いかがですか、語弊を懼れずに申せばたいへん神秘的な感じのする仏跡です。仏様が崩れてきてもなお、めいめいの龕には線香立てやリンを並べてくださっており、しかもお花や湯茶のお供えがあがっています。

 説明板の内容を転記します。

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伽藍石仏
大分市永興1948番地
市指定史跡(昭和49年1月9日)

 3つの石窟に彫られた小石仏です。向かって右端の石窟には入口に二仏が、窟内には阿弥陀如来坐像を中心に二仏(一つは欠失)が彫られています。中央の石窟には阿弥陀如来坐像が浮き彫りされています。左端の石窟には三つの小龕が残るだけです。右端と中央の石窟の本尊阿弥陀如来は、光背を彫りくぼめた中から仏身を厚く彫り出していますが、この彫法は鎌倉時代以降の豊後独特の手法といわれています。

(右)
右手前:不動明王立像
中:右から観音菩薩像(欠失)、阿弥陀如来坐像、勢至菩薩
左手前:多聞天立像

(中)
阿弥陀如来坐像

(左)
三小龕

※像名は推定のものがある
大分市教育委員会

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 右の窟です。右手前にはお不動さんが彫ってあるはずですが、すっかり崩落してしまい見るかげもありません。説明板を整備して以降に崩れてしまったのでしょう。左の多聞天も胸から上を残すのみです。中の仏様は、説明板にありますように本来は阿弥陀三尊の形式であったと思われますが2体を残すのみとなっており、全体的に傷みが激しくおいたわしいの言葉しかございません。

 これほど細かいお細工でもって岩屋と各種磨崖仏をこしらえたのは、石工さんの技量はもとより、軟らかい岩質であればこそと思われます。彫り易いところは崩れやすいのです。近隣の岩屋寺石仏の傷みが進んだ様子や、元町石仏のうち堂様の外にある方の三尊の傷みを思い出せば、こちらの傷みも致し方ないと思わざるを得ません。むしろ、比較的小規模の像であればこそこれだけ残っているのです。これが岩屋寺石仏のように比較的大型の丸彫りに近い像であれば、みんな崩落して痕跡をも留めていなかった可能性もあります。

 中央の窟の阿弥陀様は、右の窟の仏様よりも状態がいくぶん良好です。わたしの知識では一見しただけで尊名を判別することはできませんけれども、見る人が見れば分かるであろうという状態を保っています。しかも光背の櫛の目の彫りや赤い彩色もよう残っています。

 左の窟です。3つの龕の中は空になっています。もとは単体の石仏が安置してあったが、または内壁奥に仏様を浮彫にしてあったのでしょう。その手前には1体の坐像を安置しています。龕の大きさとの比較から、龕から下ろしたものではなさそうです。

 大分市にはたくさんの磨崖仏が残っています。元町石仏や高瀬石仏に比べますと知名度の点では劣りますけれども、伽藍石仏もまた特徴的な作例でありますので、ぜひお参り・見学をお勧めいたします。

 なお、前の広場には以前はいろいろな遊具が並び、地域の子供の遊び場になっていました。今は遊具はすべて撤去されています。この広場でどんど焼きなどの地域の行事が行われています。

 

3 南太平寺地蔵堂

 伽藍石仏の並びに地蔵堂があります。整備が行き届き、どなたでも自由にお参りできるようにしてくださてちますので、杵築神社や伽藍石仏にお参りされる際にはぜひ地蔵堂にもお参りをしてください。

 堂様の内部は掃除がいきとどいています。地蔵和讃や御詠歌を歌ってお参りをされてはいかがでしょうか。その際、向かって左の仏様のお顔をぜひ確認してみてください。とても個性的で、朗らかなお顔立ちです。

 

今回は以上です。次回も南太平寺の名所旧跡と、上野の名所旧跡を紹介します。ところで、年内の更新はこれでおしまいです。1年間、ありがとうございました。来年も自分のペースで続けていきます。よろしくお願いいたします。

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