大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

カテゴリから「索引」ページを開いてください。地域別にまとめています。

大山の名所めぐり その1(大山町)

 先日、日田方面の名所旧跡を尋ねました。今回から数回に分けて紹介します。まずは大山町のうち、大字西大山の名所を少し載せてみます。

 さて、大山町は大字西大山・東大山からなります。明治22年の町村制施行以降、昭和の大合併では近隣町村と合併することなく大山村のまま経過しました。大山川に沿うた細長い谷筋の地域で人口もそう多くないように思えますが、昭和44年には町制を施行しています。それは、この地域が農業の先進地であることと無関係ではないでしょう。昭和36年より「梅栗植えてハワイに行こう」と申しまして、お米や野菜類はもちろんのこと、梅や栗、すもも、椎茸、ハーブ類など多種多様な作物を栽培し、しかもそれらを地元で加工して販売するばかりかレストランなど第三次産業にも結び付け、六次産業ともいうべき多角経営でもって発展を続けてきました。特に梅が有名で、加工品はもとより、観梅の名所としても知られています。観光名所としては、松原ダムの景勝、旧矢羽田家住宅、大久保台梅園、大山ダム(進撃の巨人銅像)などがあります。

 実は、わたしは生まれてこのかた、大山町にはたったの3回しか行ったことがありません。まだ知らないところだらけです。今後の探訪が楽しみな地域です。

 

1 野瀬部の宝篋印塔

 国道212号日田バイパスから、県道212号を大山川に沿うて南下します。木の花ガルテンや道の駅おおやまを過ぎて、「家族風呂うめ乃ゆ」の看板を目印に左折して旧道に入ります。少し行くと、左側に「地鶏炭火焼き虎徹」という飲食店があります。当日、このお店で食事をとりました。何もかもがおいしく、しかも店員さんが親切でした。また行きたいお店です。今回紹介する宝篋印塔や天満宮の石造物は、お店が満席でしたので待ち時間に近所を散策した際に、たまたま行き当たったものです。

 虎徹の前を右折して、狭い坂道を上ります(普通車でも通れます)。二又を左にとれば、ほどなく右側に野瀬部(のせぶ)公民館があり、その坪に宝篋印塔が1基立っています。

 大きな桜のネキに、宝篋印塔が立っています。道路から見えるのですぐ分かります。花の時季であればなおよかったのですが、少し早すぎました。

 全体的に傷みがひどく、明らかに後家合わせです。相輪は失われ、何かの丸い部材で代用してあります。笠の隅飾りもすべて欠損しています。銘も何もかも分かりませんので、いつ頃のものであるのか全く分かりません。けれども、周囲はきちんと手入れがなされ、お世話が続いているようです。このような文化財は、それ単体としての保存状態や造形の優劣により価値を判断するのではなく、地域社会との関連性ですとか、歴史的な事柄など様々な事象に思いを致して見学したいものです。

 野瀬部の道を歩きますと、いろいろな種類の梅をはじめ、菜の花、れんげ草など、春を盛りと千々に咲き乱れの風情でした。屋敷の坪も田畑も、手入れが行き届いています。

 

2 野瀬部の天満宮

 公民館の前を道なりに行って、次の角を左折します。

 少し行くと、天満宮の裏に出ます。石垣の角から、写真の石段を上ります。車を停める場所はありません。表から行く道もありますが、私有地と思しき場所を横切らないといけませんので気が引けて、裏から入りました。

奉寄進 明治十五年午八月吉日

 小さな神社です。石段を上るとお社の裏に出ますので、横を通って表に回り込みました。鳥居は明治15年の建立で、扁額には堂々と「天満宮」と彫っています。一般に「○○宮」と申しますと比較的大きな神社のような印象があるかと思いますが、「○○社」とか「○○神社」と呼んでいる神社であっても鳥居の扁額などには「○○宮」と彫っている事例をしばしば見かけます。それで、もしかしたらこちらの神社も、実際には「天満社」とか「天神様」などと呼んでいるのではなかろうかとも思いましたが、一応項目名は鳥居の扁額に従いました。

 鳥居のシメは、最近よう見かける化繊のものではなく、昔ながらのものです。境内の手入れが行き届き、狭いながらもたいへん気持ちのよいところです。拝殿に向いて右側には興味深い石造物が並んでいます。

(右)法華妙典一字一石塔

 神社の境内に一字一石塔があるというのは、国東半島などではまま見かけますけれども、日田方面ではどうなのでしょうか?この塔がもともとこの場所にあったのか、よそから移されたものなのかが気になりました。

 左端の多層塔は、今回の目玉です。これを遠目に見て、さても立派なお塔であることぞと嬉しくなりまして近づいてみたところ、あっと驚きました。猿田彦大神の銘があったのです!

猿田彦大神
安永八年
亥九月吉日

 庚申塔と申しますと板碑型か石殿型、あるいは自然石を大多数として、稀に石祠型や石幢も見かけますけれども、それ以外の形状はまだ見たことがありませんでした。しかし、ないわけではありません。多層塔の体をなした庚申塔は、大分県内では初めて見かけましたけれども、インターネット検索しますと県外にも存在するようです。こちらは文化財には指定されていないようですが、たいへん珍しい事例であるばかりか塔の造りが立派で、しかも保存状態がすこぶる良好であり、何らかの指定を受けていてもおかしくないと思います。

 大分県下全域に多数の庚申塔が分布する中で、玖珠郡以西はほとんど全部が文字塔です。玖珠郡においては刻像塔はほんの数基のみ、日田に至っては今のところ刻像塔を見かけたことがありません。まだ少ししか探訪できていませんのでもしかしたら刻像塔も少しはあるかもしれませんが、稀でしょう。とにかくほぼ全てが文字塔で、その銘は「猿田彦神」あるいは「庚申」が多勢を占めるようです。「猿田彦大神」の用字も見かけますけれども「太神」の方が優勢です。ただし、この塔は「大」の字です。

 側面の下部には造立時の講員のお名前が10名以上、ずらりと彫ってあります。下の字が地衣類で少し読み取りづらくなっています。これだけ立派な塔をこしらえるには、かなりの元手がかかったと思います。

 露盤や格狭間までよう残り、状態のよさに驚嘆いたしました。庚申塔に興味関心をお持ちの方には、見学をお勧めします。

 

3 大久保台梅園

 標識が充実しているので道案内は省きます。駐車場も整備されており、広大な園地にはたくさんの梅の木があります。大分市は吉野梅園も梅の名所として著名ですが、あちらに比べますと若干地味な印象のお花が多いように思います。地味というと語弊があるかもしれません。昔ながらの、小さなお花をつける梅の木です。きっと観賞用の種類ではなく、実の収穫を主とした木が多いのでしょう。

 梅の花の時季には「梅まつり」が催され、たくさんの人が訪れます。とても広いので思い思いに、ゆったりと散策することができます。

 梅はかわいくて、香りがよくて、ほんによいものです。桜もよいけれど、個人的には梅の方がうんと好きです。

 梅や桜は、お花が小さいので、全体を見て鑑賞することが多いと思います。けれども、このように間近に見てみますと、当たり前ですがお花の一つひとつがみんな違います。花びらやシベの質感、微妙な曲線など、細部にわたって自然美が感じられるではありませんか。

 

今回は以上です。次回は日田市のうち三芳地区の名所を紹介します。

過去の記事はこちらから