このシリーズでは院内町は南院内地区の名所旧跡や景勝地、文化財を紹介します。南院内地区は大字上納持(かみのうじ)、平原(ひらばる)、下余(しもあまり)、上余、栗山、小平(こびら)、滝貞(たきさだ)、大坪、岡、下恵良(しもえら)、上恵良、土岩屋、荻迫、田平(たびら)、来鉢(くばち)、台、羽馬礼(はばれ)、和田、温見(ぬくみ)、野地、西椎屋(にししや)、田所、しめて22の大字からなります。この地域は細い谷筋がいくつも分かれており、その谷に沿うて点在する単一ないし複数の小部落からなる大字と、尾根筋あるいは台地上に位置する部落からなる大字とがあり、その高低差が顕著です。起伏に富み入り組んだ地形であることから、特に昔は交通に難渋したと思われます。このような背景から明治8年の町村制施行時にも小村が分立したままであったので、大字が22もあるのです。
院内町は石橋が有名で、南院内地区にも石橋が数多く、中でも分寺橋(ぶじばし)や両合川橋はよう知られています。それ以外には余の滝、西椎屋の滝、から滝、岳切渓谷、宇土川渓谷、両合棚田、和田の田園風景などの自然景勝地も多々ありますほか西椎屋神社、滝貞の石幢、西椎屋道路など、みどころがたくさんあります。
1 宇土川橋
南院内地区に数々ある自然景勝地の中でも、宇土川渓谷は道中に難渋するので訪れる方は少ないと思います。渓流の景観やたくさんの滝、奇岩など見所が多々ありますし普通車までなら車で行けますが、たいへんな難路ですのでもし行かれる方は運転に十分気を付けてください。このシリーズの1番目は、その難路の途中にある宇土川橋を紹介します。
先に道順を申します。院内町中心部から国道387号を南下し、青看板の「日出生・羽馬礼」に従って左折し県道409号を進みます。谷筋を詰めてくねくねと上り、「宇土川橋・和田川橋」の標識に従って右折します。入口からしてこの先が不安になるような雰囲気で、実際その不安が的中する道が延々と続きますので、心配な方は無理をしない方がよいでしょう。右に宇土川の渓谷を見ながら細道を進んでいくと、宇土川橋に着きます。ここまでなら狭いだけですが、転回はできません。もし後戻りたくなった場合、宇土川橋を渡って数100m進んだところにある和田川橋の手前で転回してください。
このように、道なりに行けば自動的に宇土川橋を渡ることになります。付近は山と渓谷に挟まれており、このような角度の写真しか撮れませんでした。道が狭くて離合困難なので、車で来た場合は長居をしない方がよさそうです。壁石は乱積みで、素朴な感じのする小さな石橋です。上は自動車が通れるように拡幅し、ガードレールもありますので元々の姿ではありません。けれども周囲のものすごい地形と相俟って、たいへん印象深うございます。
ところで、田平から和田に上っていく宇土川渓谷沿いの道路は、ようまあこんなところに道を通したことぞと感心するやら呆れるやら、とにかくものすごい地形の連続です。しかし、今は通りが稀になったこの道も、かつては近隣地域、特に和田部落の方々の生活改善に大きな役割を果たしたと思われます。宇土川橋と和田川橋が竣工したときの地域の方の喜びたるや、今の便利な世の中で生活している私たちには想像もつかないほど大きなものであったのではないでしょうか。
説明板の内容を転記します。
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宇土川橋
所在地 宇佐市院内町田平(宇土川)
架設年 大正10年4月(1921年)
石工 不詳
橋長 10.0m
橋幅 2.70m
橋高 6.10m
径間 6.50m
拱環厚 40cm
連数 1
日出生に通じる市道に架橋されている。3段になった橋台の上に築かれたアーチ橋で、不揃いの壁石と輪石が荒々しさを醸し出している。
南院内さとづくり協議会
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竣工から100年以上が経過しています。傷んで修理されたこともあるかもしれませんけれども、一見して不揃いな壁石や輪石でも100年以上ももっているのは、やはり工事に携わった石工さんの技量の賜物でしょう。指定・未指定の別によらで、交通に関する文化財・史跡は、近隣地域の生活史という観点からも重要なものです。宇土川橋は、竣工当時の思い出を持つ方はもう皆さんお亡くなりになっているとは思いますが、地域間の往来に難儀をした苦労や、新しく架かった橋をはじめて渡ったときの喜びなど、昔の方のいろいろな思い出の象徴といえましょう。橋は地域と地域を結び合わせるだけではなくて、昔と今とを結び合わせて、便利な現代社会に生きる私たちに大切な示唆を与えてくれる存在でもあります。
2 宇土川橋下の滝
宇土川橋辺りから先は椎屋耶馬渓の景勝地の一角にて、宇土川は渓流の様相を呈し、まったく千変万化の見事な景観を形作っています。あたり一面の大岩壁や奇岩奇峰の数々、また道はありませんけれども沢伝いに行けば見事な滝もあるそうですが、到達は容易ではなさそうで私はまだ行ったことがありません。車窓から見える範囲の景観もそれはそれは素晴らしいものを、運転に難儀をして写真を撮影する余裕がなく、思うように紹介できないのが残念です。それで、ここでは宇土川渓谷の景勝のごく一部ではありますけれども、宇土川橋付近の滝を掲載します。
いかがですか。落て口から眺めるしかないので写真では分かりにくいと思いますが、川幅が一層狭まりて半ば樋の口の風情でございまして、そこから滝壺に勢いよう水の流れ落ちる様子は素晴らしいとしか言いようがありません。この滝は落差こそ知れたものですけれども、おもしろい地形と相俟ってたいへん情趣に富んだ風景ではありませんか。車で通るだけでは分からないので、ぜひ橋の上から眺めてみてください。
それにしても、この滝の落て口の上に橋を架けるのは、現代よりも土木技術の幼稚な時代のことにて、容易なことではなかったでしょう。
3 和田の田園風景
和田川橋を過ぎると、ひっくり返るような急坂になります。積雪時、凍結時はもってのほかですし、路面が濡れているときも通らない方がよいと思います。とにかくそのものすごい坂を上っていきますと、急に辺りが開けて和田部落に出ます。和田はなだらかな起伏が一様ではない地形で、その一面に広がる田んぼも、棚田というほどの傾斜ではありませんけれども地形の起伏に沿うてなだらかな段々をなし、その方向が通り一遍ではありません。
何のことはない景観かもしれませんが、のどかな農村風景が心に残りましたので紹介します。畦の曲がりくねった畝町の狭い田も残っており、それらが荒廃することなくきちんと維持されています。おそらく少子高齢化や人口の減少が進んでいると思われ、耕地の維持も容易なことではないでしょう。
4 地造の元の石造物
和田部落の外れ、字地造の元に庚申塔や石幢が立っています。地名「地造の元」は蓋し「地蔵の元」の意にて、石幢に由来するものでありましょう。道順を申します。宇土川渓谷の道から和田部落に入り、十字路に出たら右折します。突き当りを右折して道なりに行くと、左側に貴船神社と和田公民館が並んでいます。神社の前を通って先へと進み、なだらかな下り坂の左カーブの途中を右折します。左に1軒の民家を見送って上り坂の先、墓地入口の手前の左側に庚申塔と石祠が、そのすぐ後ろの小高いところに石幢が立っています。庚申塔が道路端にありますので、近くまでくればすぐ分かります。
向かって右が庚申塔です。三角形をなした格好のよい塔は碑面の状態が良好で、銘の読み取りも容易でした。庚申講の現状は不明ですが、今も立派にお祀りされています。この庚申塔の前の道を進んでいけば、一山越して来鉢に出るようです。宇土川沿いの道が開鑿される以前はこちらの道が主に利用されていたのではないでしょうか。ここは村の入口で、庚申塔の造立におあつらえ向きの場所というわけです。
なお、この先は自動車で通るには不安が大きくてまだ通ったことがないので、和田・来鉢間の道路の状況は不明です。
このように、石幢は道路より高い位置にあります、下から見上げますと、より一層立派に見えてまいります。ご丁寧に道路から石幢まで簡易的な石段をこしらえてくださっているのですが、土や落ち葉等の堆積でやや滑りやすくなっています。近くで見学したい場合、転ばないように気を付けてください。
残念ながら笠と龕部の傷みが目立ちますけれども、残存部の状態はまずまず良好です。龕部は六角で、夫々の面いっぱいに矩形の枠取りをなして、薄肉彫りでお地蔵さんを表現しています。その彫り口が丁寧で、優美で優しそうな雰囲気がよう表れているように感じました。中台のへりにささやかに表現してある蓮の花も上品でよいと思います。
この石幢は村の入口としてこの場所に造立されたのか、または付近の墓地に付随するものとして造立されたのか、判断に迷うところです。或いは、両方の意味があるのかもしれません。
ところで宇佐地方には、大野地方ほどではありませんけれども石幢がたくさん残っているようです。文化財に指定されていないものも多々あります。こちらもそのひとつです。文化財の指定の有無により、その本質的な価値の上下が決まるわけではないと私は信じています。さきほど宇土川橋の項で申しましたように、地域の中にある庚申塔や石幢など信仰を伴う石造物もまた、郷土の歴史の象徴であると言えましょう。
今回は以上です。次回も院内町の記事を投稿します。