大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

カテゴリから「索引」ページを開いてください。地域別にまとめています。

高野堂(宇佐市)

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011010j:plain

 宇佐市麻生地区は谷沿いにいくつもの小集落が点在する農村地帯で、名勝耶馬溪のうち東耶馬溪にあたります。七折八折の山路を辿れば、春は花の曇りに奇岩を塔のおぼろ月、蛍舞う稲田も色青みきて盆は傘鉾、伊呂波川とや色をかさねの綾錦に秋の日長、冬は野仏も寒そうに札所々々の朝ぼらけ。この風情に加えて、麻生には名所旧跡が多々ございます。その中から、今回は高野堂を紹介します。

 こちらは正徳2年にお弘法様が安置されたのが起こりで、寄せ四国の体をなしております。享保10年には高野堂が建立され禅源寺の末寺となり、一時衰退しましたが天明5年に再興し、戦前まで参詣客で非常ににぎわったそうです。その後は長く寂れていましたが平成16年に地域の方々により再整備がなされました。手軽な四国巡拝、またはお花見やトレッキングなど、みなさんにお勧めしたい麻生随一の名所です。

 

1 高野堂橋

 宇佐市街地から県道44号を麻生方面に進み、「上麻生・灘方面」の看板のある三叉路を左折します。道なりに行けば高野堂入口の高野堂橋が道路左側にかかっています。車は少し手前、路肩が広くなっているところに停められます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011006j:plain

 片側が石段になっている珍しい形状の石橋です。輪石のカーブと石段の直線的な傾斜との絶妙な関係がなかなかのものではありませんか。この橋は以前から通りすがりに何度も目にしていたものの、いざ高野堂にお参りしようと昨年初めて渡りかけたとき、何千回、何万回と踏まれてすり減った踏みづらにその年月の長さを実感いたしました。高野堂に参詣される方が昔から渡ってきたこの橋。切々なる思いでこの橋を渡った方もあれば、またはお花見帰りのささ機嫌にて浮かれ調子に渡って石段で転んだ方もあったかもしれません。特に標識や案内板はございませんが、周囲の景観と相俟って小規模ながらもたいへん印象深い橋でございます。

 ところで、お隣の院内町には石橋が何十基もございまして、長らく「石橋の町 院内」として大々的に売り出してまいりました。その甲斐ありまして興味関心のおありの方が荒瀬橋、分寺橋、富士見橋など著名な橋を盛んに見学されています。院内ほどではありませんが、宇佐や安心院にもよい石橋がいろいろございます。こちらの高野堂橋をはじめとして、鷹栖観音旧道の「とくしん橋」、龍王の今井橋、東椎屋の丸田橋などです。ぜひ、院内のみにとどまらず「宇佐の石橋」として広くPRされてはと思います。

 

2 高野堂

 高野堂橋を渡れば、ほどなく高野堂境内に到着します。古い石段には手すりも整備されており、堂様までであれば安心してお参りができます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011012j:plain

 参道上り口の石造仁王像は大きなお鼻が特徴的な、いかめしい風貌です。国東半島では、二本の脚と衣紋の裾の三点支持で立っている石造仁王像をよく見かけます。ところがこちらの仁王さんは三点支持すら諦めて、脚を浮き彫り風にして衣紋の裾と一体化し、しっかりと支えています。こういったところに個性が出て、とてもおもしろく感じました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011016j:plain

 すらりとした立ち姿の観音様です。にっこりとほほ笑んだお顔が優しそうで、ほっといたします。まるで振袖のように見える衣紋の袖のところの自然なカーブや美しく、かなりの秀作といえましょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011023j:plain

 こちらが高野堂です。建物はまだ新しく、いつもきれいに掃除されています。古い堂様が崩れて再建されたものなのでしょう。どなたでも自由にお参りできます。正面は盆踊りができそうなほどの広さがあります。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011028j:plain

 このように、新しい堂様のすぐ後ろには奇岩が屹立しています。この景観を高野堂耶馬溪などと申しまして、奇勝として近隣在郷に広く知られています。こちらは山桜の時季が特によくて、曇り空の日など一幅の絵を見るような風情がございます。

 では、いよいよ高野堂の核心部、寄せ四国の霊場へと上がってゆきます。ここから先は大ホキ道にて鎖を頼りの難所も多く、通行に注意を要します。冒頭に写真を載せました案内板の絵地図をよく確認しておきましょう。また、夏は草が生い茂り蛇等の危険もございますので、もしお山めぐりをされるのであれば秋から春先がよいでしょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011032j:plain

 この狭い道を行きます(来た道を振り返った写真です)。岩陰に仏様が並んでいます。これが寄せ四国の札所で、今から岩場を縫うて山道を辿りながら、八十八番札所まで巡拝するというわけです。この写真の場所は、片側は落ちたら大怪我をするような断崖です。手すりはありますが、お参りや写真撮影に夢中になって後ずさりしますと転げ落ちるおそれがあります。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011035j:plain

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011043j:plain

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011048j:plain

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011052j:plain

 四国八十八箇所の写し霊場ですから当たり前ですが、八十八もの仏様が狭い範囲に寄せられておりますのでものすごい密度です。しかも、このように自然地形を利用した寄せ四国ではある程度等間隔に仏様が並んでいることが多いのに、こちらは地形の制約上、10程度ずつのかたまりが点在していますので、いよいよその密度を感じます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011057j:plain

 岩山の左側から回り込むように登っていき、最上部まで着きましたら今度は反対ルートを辿って下っていくのですが、この下り道への取り付きを間違いやすいので注意を要します。道なりにまっすぐ行くと、よその山に迷い込んでしまいます。次の札所がやや離れているので分かりにくいのですが、右後ろに折り返すように登ると下り口に出ます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011102j:plain

 岩を彫りくぼめて鄭重にお祀りされています。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011104j:plain

 こちらにお参りしたら、いよいよ本格的な下りにかかります。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011109j:plain

 写真では楽々通れそうに見えますがステップが浅く、かなりの急傾斜です。しかも片側は切れ落ちておりますので、鎖をしっかり握って慎重に下りましょう。これを下れば八十八箇所巡りはおしまいです。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210221011127j:plain

 たいへん詳しい説明版です。一部、非常に興味深い内容がございますので転載します。

―――
八~十二キロメートルも離れた村々からも人々が参詣するようになり、猪ノ鹿倉に菓子屋三七軒、東川ノ内フタギノ川原に十三軒店が出て、菓子や酒を売る繁盛ぶりであったことなどが記されています。

―――

 3里離れた村々からも参詣者が集まったとはいえ、猪ノ鹿倉(井ノ加倉)に菓子屋が37軒!狭い集落内に菓子屋が37軒もあったら、競合が激しくて間違いなく共倒れしてしまうことでしょう。「東川ノ内フタギノ川原」という地名はよく分からないのですが、こちらにも13軒。あわせて50軒もの出店です。多分に誇張もあるかと思われますが、それほどまでに賑やかであったということでありましょう。

 

今回はこれでおしまいです。猪ノ鹿倉に37軒、東川ノ内フタギノ川原に13軒。あまりの印象深さに、この数字をとうとう暗記してしまいました。