大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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吉野の名所めぐり その5(大分市)

 前回に引き続き吉野地区の名所です。道順が飛び飛びになっていますので、このシリーズの過去の記事もあわせてご覧いただくとより分かり易いかと思います。今回紹介する儀徳の庚申塔群は、このシリーズの目玉のひとつです。

 

17 長小野神社

 前回、小屋園の石幢を紹介しました。そこから元来た道を後戻り、庚申塔の辻を直進します。軽自動車がやっとの道幅になり、右側に長小野神社が鎮座しています。鳥居の前を右に上がれば駐車できますが、道幅がたいへん狭く軽自動車でも擦りそうになりますので、心配な方はどこか邪魔にならないところに車を置いて歩いて行く方がよいと思います。

 これまでの狭い道が嘘のように、境内に上がれば広々とした空間が広がっています。環境整備が行き届き、清々しい雰囲気のたいへんよいところです。地域の方々の尊崇の篤さを物語っております。

 この周囲に広がる農地の景観も素晴らしく、自然環境のよさは折紙付きです。四季折々の風情を楽しみに、何度でも参拝したくなる名所中の名所といえましょう。

 参拝したら、境内に寄せられている石祠の数々を確認してみてください。

 説明板の内容を転記します。

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長小野神社建造時、奥、萩尾、杉原各地区より持ち寄り奉る神々様及び灯籠・石碑、長年月で倒壊大破の状態であった。修復作業を行い完了した。

平成19年3月吉日

石造神
灯籠 修復記念碑
石碑

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 説明板にあるように、修復がなされた石祠は立派にお祀りされています。こわれた部材をも粗末にすることなく、きちんと並べてあります。

 石祠の中には、神像もあれば仏像と思しき像も確認できます。後者は本地垂迹説に基づく本地仏でありましょう。そうであれば、石祠等が傷んでいたのは経年の劣化のみならで、神仏分離の影響も疑われます。紆余曲折の末、今こうして立派に修復されお祀りされてあるのは何よりではありませんか。

 こちらの像は、失礼ながら稚拙なところもありますけれども、個性的なお顔立ちやどっしりとした体躯などが特に心に残りました。

 こちらは御大典紀念の造林記念碑で、松本徳太郎さんの寄進です。先ほどの説明板によれば、きっとこのような石碑も傷んでいたのでしょう。金輪際倒壊したりすることなく、永く残ってほしいものです。

18 儀徳のお稲荷様

 長小野神社から県道まで戻り、臼杵方面に進んでセブンイレブンの辻を左折して新道を行きます。「→臼杵」の青看板のある辻を右折して、2つ目の端の直前を左折して田んぼの中の道を行きます。道なりに橋を渡り、少し行くと人家が途切れます。この先が不安になるような場所ですが奥へ奥へと進みますと、右側にお稲荷様の参道があります。道路端なのですぐ分かります。

おいなり様(宮尾)

 赤い鳥居は見当たりませんが、標柱から、お稲荷様と分かりました。地名に「宮尾」とあることから氏子圏は大字宮尾全体と思われます。項目名は、所在地の部落名から「儀徳のお稲荷様」としました。参拝したかったのですが雀蜂が飛んでおり、参道を上がれず遥拝しかできなかったのが残念です。

 このあと、石塔群があるという儀徳の地蔵堂を探したのですがどうしても行き当たらず、元来た道を後戻りました。

 

19 儀徳の庚申塔

 お稲荷様から後戻り、田んぼが見えてきて道路が左に急カーブするところから右に折れて小さい橋を渡りすぐ左折、田んぼと小川の間の道を行きます。普通車までなら通れます。突き当りに出たら右折して、適当なところに駐車します。迷惑になりそうなので農繁期は避けた方がよいでしょう。車を置いたら、田んぼに沿うて山裾の小道を行きます。車は通れません。

 小道から1段あがった山裾の平場に庚申塔が並んでいるのですが、草木がしこって道路からは見えません。この写真の場所から上の段に上がります。ここだけ明らかに植物の密度が薄くなっているので、分かると思います。距離は知れていますが急坂で滑りやすいで、地面が乾いているときがよいでしょう。

 斜面を上がれば、刻像塔が1基、文字塔が5基並んでいます。

青面金剛6臂(3眼)、2猿、2鶏、ショケラ、2髑髏

 石祠の中には、たいへん個性的な刻像塔が納まっています。一見して、以前紹介した奥の庚申塔とそっくりであることにすぐ気付きました。どう考えても同じ作者によるものでしょう。吉野地区には種別を問わで庚申塔がたくさん残っておりますが、その中でも特に地域性の出た作例といえそうです。これだけ個性的なデザインは近隣在郷でも稀でありますし、こちらは彩色も鮮やかに、ほとんど傷みのない驚異的な保存状態ではありませんか。

 この塔の個性・特徴については、類似する塔を以前紹介した際に詳しく記しましたので繰り返しません。画像を拡大して、ぜひ細かいところまで見てみてください。つい個性的なデザインに幻惑されますが、つぶさに観察しますと肩の辺りの立体感に富んだ彫りや、指の握りの表現など、優れたところがたくさんあります。

安永八己(亥天)
庚申塔
十月十日

 この塔は碑面の掘り込みの上の曲線が特徴的です。紀年銘はへりの部分に小さい字で彫ってあり、「己」以下は読み取り不能の状態でしたが「亥天」と彫ってあったと思われます。

(左)
明和六甲申天
青面金剛
■月十三日

(右)
明和四丁亥天
庚申塔
閏九月廿九日

 それぞれごくシンプルな形状の小型の塔です。左の塔は、銘の文字が堂々とした書体で素晴らしい。右の塔の紀年銘にある「閏九月」と申しますのは閏月のことです。

 ここで、旧暦の閏年(佐伯方面などでは一般にヨリ年と呼んでいました)について補足説明しておきます。ふつうは1年12か月ですが、旧の閏年は13月あって、現行の暦の閏年(2月末日を1日増やす)とは異なります。陰暦は月の満ち欠けによるもので、1か月が30日か29日(これも固定されていませんでした)ですから季節の進みと暦のずれの蓄積の仕方が陽暦よりも速いのが特徴です。それを是正するために適宜閏月を挿入する暦を太陰太陽暦と申しまして、これが一般に「旧暦」と呼ばれているものです(実際は旧暦にもいろいろあるのですが今のカレンダーに記載されている旧令は天保暦…詳細は省きます)。閏月の挿入の仕方は二十四節季のうち中気に基づきます。二十四節季は太陽の動きを基準にして季節を24分割したもので、奇数番目を節季、偶数番目を中気といいます。二十四節季の進みよりも暦の進みの方が速いので、二十四節季の日付は年を経るごとに後ろに後ろにずれていきます。それで、中気が本来の月よりも後にきたとき、たとえば夏至(本来旧暦5月)が6月1日になってしまう年には、通常の4月の後ろに「閏4月」を挿入することで、夏至を5月に戻すというやり方です。閏月には中気が含まれません。

(左)
明和(以下不明)
庚申塔
(不明)日

(右)
安永二癸巳天
庚申塔
十一月(以下不明)

 同じような形状の文字塔が並んでいますが、碑面の枠の取り方(上部の形状)が夫々異なっています。

安永五丙申天
庚申塔
十月廿二日

 この地に並んでいる文字塔は、明和から安永年間にかけての短い期間の造立でした。

 庚申塔の場所から、下の田んぼがよう見えました。

 

 今回は以上です。吉野地区にはまだたくさんの名所旧跡がありますが、適当な写真のストックがなくなりましたので一旦お休みとします。次回は久しぶりに本匠村の記事を投稿します。

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