大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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東山香の名所めぐり その2(山香町)

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 東山香の名所旧跡を探訪する機会を得ましたので、このシリーズの続きを書きます。今回は金堂横穴墓・磨崖仏とその周辺、倉成磨崖仏を紹介します。いずれも東山香地区を代表する名所でありますから、鋸山のトレッキングを楽しまれる際にちょっと立ち寄ってお参り・見学されるとよいでしょう。

 

3 金堂横穴墓と磨崖仏・寄せ四国

 金堂横穴墓は又井横穴墓とも申しまして、横穴墓の岩壁に数体の磨崖仏が刻まれ、さらにおびただしい数の仏像が寄せられています(冒頭の写真)。県内の方々に横穴墓と称す史跡がございますが、大分市の滝尾百穴や宇佐市四日市・横山の横穴群を除いてそのほとんどが道も乏しい山中にて気軽に訪れにくい場合が多いものを、金堂横穴墓は人里に近く道路からすぐの場所ですから簡単に見学することができます。よほど興味関心のある方しか訪れない場所ですけれども、ぜひ見学をお勧めしたい名所でございます。

 国道10号沿い、上市のローソンの向かい側の橋を渡りまして、熊野権現への旧道を進みます。又井部落の中の道を道なりに行き、「又井横穴古墳」の標識に従って左折します。ここからは普通車がやっとの道幅しかありません。道なりに石橋(後述)を渡り、道路が右カーブして上り坂にかかるところの左側、崖下に入り込んだところが目的地です。車は入口のところに1台であればどうにか停められそうですが、農繁期等には地域の方の邪魔になりそうです。道が狭くて近くに駐車できる場所がないので、やや離れていますが甲尾山付近の邪魔にならないところに停めて歩いて行く方がよいかもしれません。

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 説明板の内容を転記します。

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市指定有形文化財(史跡)昭和37年1月1日指定
又井横穴墓
又井磨崖仏
  杵築市山香町大字倉成字又井

 横穴墓は長さ12m、幅4mの壁面に地上より15cmの高さに2基、地平面から直接1基、65cmの高さに1基、合計4基が横並びに彫られている。これは古墳時代(西暦300年~600年)のもので、各墓には鉄平石の扉があったが現在残っているのは1基のみである。この墓から明治時代、朱を塗られた人骨が発見されたと伝えられている。磨崖仏は横穴墓群上部の枠彫りの中に、線刻された見返地蔵菩薩像がある。その左横に地蔵菩薩阿弥陀如来像もあり、少し離れた右横の枠彫りの中に次の銘が印刻されている。
梵字
 天生六戌刀三月一八日
 照山妙香
 悟翁□□
  天正七□正月一八日
天正7年(1578)供養のために彫られたものと思われる。

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 ただ1つ残っているという鉄平石の扉と、その隣の磨崖仏です。扉と申しましても石を穴に嵌め込む形状で、中央には小さな穴が開いています。20年ほど前に初めてこの扉を見たときは、開ける際にこの穴に鉤型の道具を差し込んでいたのかなとも思いました。でも一旦閉じてしまえば開ける必要はないのですから、わたくしの推測は間違っていたと先日再訪して思い直した次第です。

 磨崖仏は扁平な彫りで、ここからそう遠くない棚田部落の六地蔵磨崖仏に比べますと失礼ながら稚拙な造形であるように思います。この場所は横穴墓というだけあってあまり居心地のよい場所ではないような気もしますけれども、この磨崖仏の優しそうなお顔を拝見いたしますと、心がほっといたします。手前に安置された、仏様の陽刻された塔は供養塔の類でしょうか。笠は良好な状態を保っているのに対して塔身がずいぶん傷んでおり、もしかしたら後家合わせかもしれません。

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 岩棚にずらりと並んだ仏様の台座には、「二八」とか「八四」などと番号が振られています。四国八十八所の写し霊場、寄せ四国であると思われます。おそらく磨崖仏よりもずっと時代が下がるのでしょう、江戸時代のものか、または明治以降かもしれません。説明板はあくまでも指定文化財である横穴墓と磨崖仏にしか言及されておりませんで、寄せ四国のことや、地域社会におけるこの史蹟・霊場の位置づけ(お祀り・管理の様子など)が全く分からなかったのが残念です。

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見返り地蔵菩薩

 線彫りにて一見して目立たないものの、さきほど紹介しました浮き彫りの磨崖仏よりもずっと完成度が高いように思います。蓮華の花の上に立つお地蔵様の姿が何とも優美で、うっとりと見惚れてしまいました。県内には磨崖仏が数多うございます。その中で線彫りのものは、馬門の磨崖仏(直入町)、愛宕山の磨崖仏(竹田市)、波乗り地蔵(犬飼町)等ございますが、こちら又井遺跡の線彫り磨崖仏がもっとも良好な状態を保っているといえましょう。

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 扉が失われてしまった横穴の中にまで仏様が並んでいます。このために扉を撤去したわけではないと思います。横穴に並ぶ番号の振られた仏様の後ろには、ひときわ大きいお弘法様が控えています。

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 入口付近の仏様です。首が折れてしまったものがほとんどですが、新しく頭部をこしらえてすげ替えている像も数多うございます。地域の方の信仰心によるものでしょう。

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 梵字の下に銘があります。説明板の内容を見てください。

 

4 又井の石造物

 横穴墓入口のすぐそば、道路端の岩の上にいくつかの石造物が寄せられています。こちらもあわせてお参り・見学をしてください。

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 おそらく昔の細道を車道化する際に正面が少し削られたのでしょう、上がりはなが高くて正面からは石燈籠とお弘法様以外はよく見えないと思います。幸いこの横が上り坂になっていますから、少しだけ登って横から確認すれば分かります。

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 左端には庚申塔が安置されていますが、無残にも半ばで折れてしまっています。手前に倒れている石がおそらく塔の上部であったのではないかと思います。なにかのはずみに下に落ちてしまったことがあるのかもしれません。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏

 主尊のお顔が分からなくなっているのがつくづく惜しまれますが、それ以外の部分は案外よう残っていました。すらりとしたし体型の主尊は体前で手を組んで、両足を揃えて行儀よう立っています。童子も主尊と全く同じ姿勢で立っておりまして、左右で背の高さが違うものですから、まるで兄弟のように見えてまいります。ほんに微笑ましいではありませんか。ガニ股の猿はよう見かけるデザインです。めいめいに少しずつ体を傾けている点に注目してください。鶏は頭を上げられないほど屋根の低い部屋に押し込まれて、お気の毒でございます。

 

5 本又井橋

 横穴墓のすぐ近くに架かっている石造アーチ橋を、本又井橋と申します。山香町にも石造アーチ橋がいくつか残っています。いずれも小規模のものにて興味関心のある方以外には注目されることはありませんけれども、昔の景観を今に残す文化財のひとつです。

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 欄干のない橋ですが普通車までなら問題なく通れます。地域の生活道路として活躍している現役の橋です。昔の橋がどんどん失われていく中、こちらも指定文化財になっていないのでいつかは架け替えられることでしょう。

 

6 倉成磨崖仏

 金堂横穴墓から今来た道を戻ります。本又井橋を渡って、道なりに右カーブするところを直進して、そのまま変則十字路を直進して坂道を上れば山香温泉「風の郷」の横に出ます。農免道路との交叉点を直進して、パークゴルフ場に沿うて下っていけば倉成部落に出ます。パークゴルフ場付近は紅葉が見事なので、秋に鋸山を探勝する際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。下りついたら左折して、緩やかに左カーブした先を右折して道なりに行き、倉成公民館を過ぎて少し行けば右側の路側帯が広くなっているところがあります。車をそこに停めたら、田んぼの向こう側に堂様が見えます。

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 坪に、宝塔など数基の石造物がございます。磨崖仏はこの裏手ですが上段になりますので直接裏に上がることはできません。堂様の下の道を一旦右に行きます。その先の二又は左にとって、草付の道を上って左に回り込めばほどなく磨崖仏が見えてきます。

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説明板の内容を転記します(一部紛らわしい表現を改変しました)。

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市指定有形文化財(史跡)平成9年9月8日指定
倉成磨崖仏
  杵築市山香町大字倉成字平野
 枠彫りの中に地蔵菩薩立像を中心として、向かって右方へ俱生神坐像・十王坐像・童子立像の3体、左方へ童子坐像・十王坐像・俱生神立像の3体、合計7体が刻まれている。地蔵菩薩の像の上方の小穴の中に童子石仏の頭部が置かれている。
 また枠彫りの外には兜跋毘沙門天立像と阿弥陀如来立像が安置されている。この2体はもともと崖に刻まれていたものを切り出して移動したものと思われる。
 この磨崖仏は地蔵が中心となっているが、十王には左右ともに童子・俱生神を脇侍として三尊形式をとり、地蔵菩薩より十王像が主体になっているようにみえる。地獄の救済者である地蔵信仰による十王像の作品が多くなった鎌倉末期(1300年頃)に彫られたものと思われる。

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 20年前に訪れたときよりも、さらに傷みが進んでしまっているように感じました。おいたわしいの言葉しかございません。岩質によるものでしょうか、岩壁に大きな亀裂が走り、間の悪いことにその亀裂が向かって左側の十王坐像の体にかかっていまっています。その外側は完全に剥離・崩落し、前に置かれている状態です。中央のお地蔵様は良好な状態を保っていますけれども、向かって右の三尊の傷みも深刻のようです。主尊の両脇に三尊を置くという配列は近隣にあまり見かけないものですし、一つひとつの像をつぶさに見ますとその特徴を踏まえて丁寧に表現してあります。ですからなおのこと、傷んでしまっているのが惜しまれます。

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 こちらが、説明板にあります切石の磨崖仏です。この近隣は石切り場になっていたそうです。おそらく石切り場を拡張する際に、磨崖仏を切り出してこちらに下ろしたのでしょう。仏様が粗末にならないように、壊れないようにとの思いからそのようにされたのだと思います。できれば元の場所にあった方が、磨崖仏の性格から申しますとよりよかったような気もいたしますけれども、おそらく大昔にはむやみやたらに磨崖仏が破壊された事例も多かったと思いますから、そうならずに幸いでございました。

 倉成磨崖仏は何種類もの仏様が9体も彫られている、ありがたい名所です。また、磨崖仏の保存について、いろいろと考えさせられる場所でもあります。又井の史蹟とあわせて見学・お参りをされてはいかがでしょうか。

 

今回は以上です。次回は小武寺と、大字広瀬・今畑の石造物を紹介します。