大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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上真玉の名所めぐり その5(真玉町)

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 今回は大字大岩屋の名所のうち、有寺部落の庚申塔を3か所(走水・杉ノ平上口・杉ノ平下口)、それから行立部落のお稲荷様や十王岩屋、その付近で見かけた庚申塔を紹介します。杉ノ平の庚申塔は入口が分かりにくいので、詳しく説明したいと思います。また、行立の庚申塔のうち刻像塔は以前紹介しましたが、今回紹介するのは別の塔です。

 

18 走水の庚申塔

 上城前(かみじょうのまえ)から大岩屋の谷を上っていきます。道幅が広がり、ずいぶん走り易くなりました。谷筋の奥詰めが有寺(うてら)部落です。有寺はいくつかの土居に分かれまして、走水(はしりみず)はもっともカサにあたり、4軒ほどの民家があります。その中ほど、道路右側に風変わりな庚申塔が立っています。すぐ分かります。車はすぐ近くに停めることができます。

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青面金剛2臂、3猿、2鶏

 さても珍妙なるお姿でございます。像容の特徴はさておき、まず造りの珍しさについて申します。主尊は腰から上が完全なる丸彫りになっています。その下、膝から足首あたりはよう見ますと余白がありますけれども、やはりほぼ丸彫りであると言えましょう。庚申塔青面金剛の刻像)で、このように丸彫りの造形をなしているものはよそで見た覚えがありません。

 丸彫りの主尊の3方には大きな石板をなんかけるようにして囲み、上部には日月・瑞雲を刻んだ立派な笠が乗っています。この構造を見て思い出すのが、三重町鷲谷は並石部落の庚申塔です(以前紹介しています)。並石のそれは、刻像塔(丸彫りではなく半肉彫り)の3方に文字塔を立てて、上部に後家合わせと思われる笠を乗せてありました。このようにたくさんの文字塔を重ねて塚をなしたり御室となしたりして1基の刻像塔を特別に鄭重にお祀りしてある事例は、宇目町方面で見かけます。もしかしたら走水の庚申塔も、ぐるりを囲うている石板自体も庚申塔なのかもしれません。でも、国東半島ではこのような事例は稀であると存じます。

 さて、像容の特徴を申しますれば、何はさておき主尊の青面金剛らしからぬ外見でございます。どこをどう見ても西洋人風の雰囲気にて、よくギリシヤの彫刻などで思い浮かべるようなお顔立ちではありませんか。髪型もパーマがかかった長髪で、右手にとった三叉戟がちょうど十字架のように見えてくることもあり、この庚申塔潜伏キリシタンの仮託信仰の対象であったのではないかとの説もあるそうです。ただし真玉郷土研究会『会誌第11号 庚申塔特輯』によれば、聞き取り調査をしたところ「有寺部落においてはキリシタン云々の話は全く伝わっていない」旨の回答があったとのことで、近隣の庚申講と同様の祭祀であったようです。これは二項対立的な事象ではなくて、よし前者を起原としたところで信仰の土着化により本義的なキリシタン云々から早い段階でかけ離れていった可能性もありますから、否定も肯定もし難いのです。像容のみをもって決めつけることは避けるべきですし、「伝承」の有無のみをもって決めつけることもまた避けるべきです。確かなことはこの庚申塔が地域の方の信仰の対象であるという事実であり、見学をする際には必ず心に留めておくべきことでありましょう。

 主尊の立ち姿を見ますと、そのデザインには石造仁王像に似通うた特徴が感じられました。片足を少し引いて斜めに立つ腰まえや、衣紋の下部の処理にその特徴が顕著に表れております。足元には猿と鶏が戯れており、この部分もなかなかおもしろいのですがいかんせん主尊があまりに個性的なので、一見して目立ちません。向かって左下には右向きの猿が斜めに並び、中央には鶏が向かい合わせになっています。右下には正面を向いた猿が両手を上げて耳を押さえているように見えます。もし見学されるときには、鶏や猿にも注目してみてください。

 このすぐ裏手から細道を上がれば、多宝院や山積神社もございます。石造仁王像をはじめとする興味深い石造物がありますから、お参りをお勧めいたします。適当な写真がないので今回は省いて、またの機会に紹介いたします。

 

19 杉ノ平上口の庚申塔

 走水の下手が杉ノ平です。以前は上口と下口に分かれておりましたが、軒数の減少により合併して今は杉ノ平で1組になっているそうです。庚申塔は上と下で夫々別個に造立してあります。まず上口からまいります。走水の庚申塔から僅かに後戻れば、道路端に有寺の公民館があります。そのすぐ下を右折して中央線のない道を進みます。この道は車でも問題なく通れる幅がありますが、適当な駐車場所がありません。公民館の辺りの路側帯が広くなったところに邪魔にならないように車を停めて、歩いて行きましょう。 

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 この写真の奥から手前に向かって歩いてきます。側溝に蓋をしてあるところが庚申塔への上り口です。折り返すように写真に写っている細道を上ります。取り付きが狭くなっており落ち葉で滑り易いので、杖があるとより安心です。

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 細道を上がればほどなく、左上に庚申塔が見えてきます。段差がありますが、この右側の鳥居のところから折り返すように行けば簡単に近づくことができます。

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青面金剛6臂、2童子、2猿、2鶏

 四隅に渦巻型の装飾をほどこした笠が洒落ています。宝珠が落ちてしまっているのが惜しまれます。主孫は大きな髷が特徴的で、どんぐり眼をカッと見開いて威嚇していながらもどことなく愛嬌が感じられるお顔立ちでございます。中央の腕は合掌し、その上下の腕の付け根が離れているなど失礼ながら稚拙な表現が目立ちますけれども、個性豊かな表現は一度見たら忘れられません。童子は険しい表情で、両手で持っている杓か御幣がまるで棍棒に見えてくるような厳めしさが感じられます。

 猿は、対称性を崩してやや左寄りに配されているのが変わっています。主尊と童子の立つ足場をヤッコラサと支えているようで、向かって右の猿など頭が上の足場にめり込まんとするほど一所懸命に支えているのもけなげなことではありませんか。鶏が孔雀に見代えの見事な尾羽でありますのも見逃せません。台座には6名のお名前が刻まれています。

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 斜めから見ますと、立体的な彫りがよう分かります。

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 庚申塔のすぐ横に立っている鳥居です。この鳥居は扁額のお細工が見事です。

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 天満宮、金毘羅、瑜伽宮が併記された扁額には、見事なお花模様が施されています。このうち瑜伽(ゆが)宮は、その大元は岡山県にあります。瑜伽権現は神仏習合の神様で、その本地は阿弥陀様と薬師様であると申します。大分県ではあまり馴染みがありませんけれども、金毘羅権現と同じく一生に一度は参詣すべき大権現であるとして瀬戸内海一円において絶大なる信仰を集めてきました。真玉町など国東半島北浦辺には、海路よりその信仰がもたらされたと思われます。

 ぜひお参りをしたやと思いまして、鳥居をくぐって爪先上りの急坂を登りかけました。ところが落ち葉やどんぐりでよう滑るうえに、行けども行けども先が見えません。これは山頂まで登ることになるのではと思いまして、下りに骨が折れそうでしたから今回は諦めました。またの機会にお参りをしたいと思います。

 

20 杉ノ平下口の庚申塔

 上口の庚申塔から車道に返って、先に進みます。ほどなく右手に古いめいめい墓が見えます。その下を過ぎてしばらく行くと、また古いめいめい墓がたくさん並んでいるのが見えてきます。さらに進んでいけば、さきほどの上口庚申塔の上り口と同様に、側溝に蓋をしてあるところに出ます。

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 確証はありませんでしたが、おそらくこの上あたりであろうと踏んで、この急坂を上がりました。幸いにも庚申塔に行き当たりましたものの、その帰りの下りでは滑りこけそうで胆が冷えました。転んだが最後、踏み外して堅い舗装の上に落ちてしまいそうです。杖を持って行き、落ち葉を払うてから通行した方がよいでしょう。

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 取り付きの急坂を登れば道が直角に折れて、傾斜が穏やかになります。右側には棚田跡が広がっており、その一部は椎茸のホダ場になっていました。この坂道を登り詰めたところに庚申塔が立っています。塔が遠目に見えてくるので、すぐ分かると思います。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏

 上口の庚申塔よりもいくぶん大きいものの、主尊の傷みが激しいのが惜しまれてなりません。腕や武器のシルエットはどうにか分かりますが、お顔の表情などはまるで分からなくなっています。長年の雨風の影響でしょうか。主尊と童子はめいめいの蓮台の上に立っています。童子をことさらに小さく表現してあるのも、主尊の堂々たる雰囲気を演出しているかのようです。大きくがに股でしゃがみこむ猿は「見ざる言わざる聞かざる」の所作で、かわいらしい姿がよう残っています。鶏も小さく、尾羽の細やかな表現がよう残ります。主尊に対して鶏や猿の状態が良好であるのは、レリーフ状の彫りであるためでしょう。主尊のように半肉彫りになっていないことが幸いしたと思われます。

 この塔は周囲も荒れ気味で、信仰が薄れてきていることが推察されました。もし気に掛ける方がおいでになるとしても、下の道路からの取り付きが急なのでお年寄りの通行には難渋されることと思います。

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 周囲には庚申石と思われる長い石がたくさん倒れていました。中には文字庚申塔もあるかもしれませんが、現状として銘の確認は困難です。

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 庚申塔のところから左方向に、古い道が続いています。車道ができる前の道と思われます。枯れ竹に行く手を塞がれ、この先を確認することはできませんでした。

 

21 行立のお稲荷様と十王岩屋

 下口の庚申塔から有寺公民館まで戻り、車に乗って大岩屋道路を城前方面に下っていきます。左手の川向いに「ほうらいの里 仙人湯」の施設があります。温泉に入るついでにでも、お稲荷様や十王様にお参りをされてはいかがでしょうか。駐車場に車をとめたら、左奥から山裾を進んでいけばほどなくお稲荷様の鳥居が見えてきます。

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 石燈籠には「大」や「山」の字が見えます。お稲荷様と大山祇社をお祀りしてあるのでしょうか。お参りをしたら、この鳥居の右側から急坂を少し上がれば十王様の岩屋があります。

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 距離はわずかですが足下が悪いので、転ばないように気を付けて上ってください。

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 中央の仏様の左右に、十王様が体ずつ安置されています。一部、首が落ちてしまったり腕が破損したりしていますけれども、概ね良好な状態を保っていました。おそらく岩屋の中にあって風の影響が少ないのと、きちんと棚をこしらえて密接して並べてあるので転落せずに経過しているのでしょう。

 お参り・見学したら、鳥居の前の道を山裾に沿うて奥に進んでいきます。特に危ないところもなく容易に通行できます。

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 ほどなく岩壁の直下に石板が数基並んでいるところにでます。

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 銘は確認できませんでしたが庚申塔と思われます。もしかしたら、以前紹介した刻像塔と一連のものなのかもしれません。この場所から川に近付き対岸を見遣れば、別の庚申塔も目に入ります。

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 道路から護岸に下る階段の脇に大石が見えます。この大石が庚申塔です。詳細はまたの機会に紹介します。

 

今回は以上です。杉ノ平下口の庚申塔だけは、坂道の通行に注意を要します。この近隣にはほかにも応暦寺、京田の庚申塔、観音様の岩屋、不動堂跡など、見所がたくさんあります。道順が前後してしまいますが、追々紹介していきます。次回は上伊美の名所旧跡シリーズに戻ります。