大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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焼畑の庚申塔(安岐町)

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 今回は、安岐町大字瀬戸田焼畑庚申塔を紹介します。その前に、庚申塔探訪における資料のありがたさについて、少し書いてみます。

 私は、 国東市庚申塔を探訪する際に、いつも『国東史談第九集』を参考にさせていただいております。諸先生方の先行研究をもとに大上文紘先生が全てを現地確認し、新規に発見されたものも含めてまとめられた大変な労作です。焼畑庚申塔は、この資料がなければ私には絶対に見つけられませんでした。

 地域の方に尋ねても「庚申塔」自体が認知されていない事例が増えてきている中で、このような資料の存在はたいへんありがたいものです。今のところ、ほかに香々地町真玉町、米水津村および直川村の庚申塔については、それぞれ詳細に説明された資料があります。しかし、国東半島に限って言いますと旧豊後高田市、旧杵築市、大田村、山香町、日出町については今のところまとまった資料に行き当たっておりません。たとえば杵築については『杵築市誌資料編』にて小字ごとにまとめられた一覧表がありますので、ある程度の見当はつけられるので探訪にずいぶん助かっておるのですが、ほとんどの地域においては行き当たりばったりに見つける度に所在地を地図に落とし込んで、少しずつでも把握に努めている段階です。よい資料がありましたら、教えていただければと思います。

 脱線しました。焼畑庚申塔の紹介に戻ります。

 焼畑庚申塔は行き方が難しいので、詳しく書いておきます。まず、焼畑八幡社を目指します。安岐中学の交叉点から県道404号を瀬戸田方面に進み、橋を渡った先の交叉点を右折します(信号有)。しばらく行くと左側、道路上に「八幡宮」の鳥居がありますので、その辻を左折します。自動車は、鳥居の右側から通ります。

 八幡宮を正面に見て進み、そのまま道なりに右側に上がって行きます。集落を過ぎ山に入るとたいへんな狭路になり、軽自動車でなければ難渋するかと思います。舗装も荒れていますので用心して通ってください。この道は、後述するみかん山の所謂「パイロット道」なのかもしれません。

 曲がりくねった道をどんどん登って行き尾根に上がりつくと、右方向に鋭角に分かれる道があります。この道は無視して道なりに左奥に行きますと、辺りが開けて小規模のみかん山になっています。またY字の二股になっています。

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 この写真の右奥から上がってきます。二股を左(写真手前方向)に曲がり、少し進むと、左側に林道と思われる未舗装の道が分かれています。

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 この道の入口あたりに、邪魔にならないように車をとめることができます。ここから庚申塔まで目と鼻の先なのですが、なかなか見つけられずにあたりの竹林を右往左往することになるのでした…

 靴がバカだらけになり、諦めて戻ろうとしたときにふと見上げますと、上の方に庚申塔が見えました!ヤレ嬉しやと思わず手を叩いてしまうほどの感激に、竹藪を右往左往した苦労が報われたと感じました。もちろん『国東史談第九集』のお陰様であって、その調査の苦労に比べれば私の苦労など何でもないのですが、やはり手入れされていない竹藪を動き回るのは骨が折れます。

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 写真中央に小さく塔が写っているのがおわかりでしょうか? 先ほどの未舗装の道にほんの数メートル踏み入れて、右上を注意深く見上げれば見つかります。塔の周りは平場になっていることが遠目にわかりました。でも、そこまで上がる道はありません。昔は道があったのでしょうが、枯れ竹が折り重なり、まったくわからなくなっていました。

 適当な取り付き場所を見極めて、枯れていない竹につかまりながらオイサオイサと登っていきます。ちょっと入っていくのをためらうような場所ですが、先の方で庚申様が待っていてくださると思えば身も心も軽く、まるで猿のように登ったのでした。

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 庚申塔の周りには、たくさんの庚申石が点在していました。今では誰も上がらなくなったような場所ですが、信仰の場であるということがわかります。この塔の造立時には、おそらくみかん山は拓かれていなかったと思います。でも、竹藪や杉林の中を探し回った際、この下手の方に平地が段々になっている箇所を確認しています。おそらく、田んぼか畑があったのでしょう。その作の神としての霊験を期待したのかもしれません。または、この下の未舗装の道が、昔は吉松方面への山越しの近道として盛んに利用されていたのかもしれないとも考えました。そうであれば、賽ノ神としての意味合いもあるのでしょう。この場所にお祀りされている意味があるはずです。

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青面金剛6臂、2童子、2猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 金剛さんのお顔の傷み以外は、比較的良好な状態です。大きな塔ではありませんが非常に立派な塔で、豪華な感じの衣紋や自由奔放な猿の様子などは特に細かく表現されており、秀作と言えましょう。6臂の金剛さんは、腕の付け根が上下に段々になっているなどやや不自然な表現方法を採用している塔をよく見かけます。ところがこの塔は、レリーフ状の彫りであることも関係しているのか、腕の付け根が違和感のない位置になっています。武器をとる指の握り方など極めて写実的で、精確な表現であることに注目して下さい。衣紋の装飾も見事です。ショケラをごく小さく表現しているのも、相対的に金剛さんを大きく見せるという効果を発揮しています。

 体を海老折りに伏せた邪鬼のまぬけな顔の愛らしいこと、まして猿の動きのおもしろさはどうでしょうか、見事な表現です!向かって左の猿は御幣をかるうて右を向き、右の猿は剣か何かを抱くようにして正面を向いています。「見ざる言わざる聞かざる」の儀軌を全く無視しています。その間、邪鬼の真下にて、雌鶏と雄鶏が向かい合わせに小さく身を寄せているのもかわいらしいではありませんか。

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 先方に湾曲した上部の縁が傷んでいるのは、以前倒伏していたためではないでしょうか?傾きを防ぐために石を噛ませてあるのも、その証左でしょう。あまり立地がよろしくなく、再度の倒伏のリスクが高まっています。どうにか倒れないでほしい、せめて、山の斜面にもたれかかるように後ろ向きの傾きであれば…と思うのですが。無責任な意見ではありますけれども、可能であれば神社に下ろして、再びみなさんにお参りしていただけるようになればとも思います。この竹藪の中にあっては、金剛さんも心なしか寂しそうな様子が感じられました。