大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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南緒方の名所めぐり その1(緒方町)

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 このシリーズでは南緒方地区の名所旧跡をめぐります。南緒方地区は大字原尻・久土知(くどち)・大化(たいか)・馬背畑(ませばた)・鮒川・知田(ちた)からなります。初回は大字原尻と久土知をめぐります。

 この地域には緒方観光のメッカであります原尻の滝を中心に、一宮八幡社、二宮八幡社、宮迫東西石仏など数多くの名所旧跡があり、非常に近距離に位置する名所でありますので容易に探訪できます。原尻の滝を訪れる方には、ぜひ周辺の名所旧跡もいっしょに探訪されることをお勧めいたします。

 

1 原尻の滝とチューリップ畑

 大野地方には形のよい滝が数々ございます。その中でも原尻の滝は最も著名な景勝地で、遊覧に訪れる方が後を絶ちません。こちらは宇佐の三瀑(東椎屋・西椎屋・福貴野)などのように細い流れが高く一直線に落ちる滝とは異なりまして、川幅いっぱいの段差を幾筋もの滝が落ちているのが特徴です。近隣で申しますと、沈堕の滝、蝙蝠の滝も同様の特徴がございまして、3つ合わせて大野の三瀑と呼んでも差し支えないでしょう。

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 道の駅のベンチから眺める姿ももちろんよいのですが、こちらを訪れた際には吊橋と沈み橋を渡って周遊されることをお勧めいたします。沈み橋は落て口の近くを通っていますので、このような馬蹄形の滝としては珍しく、上から見下ろすことができます。

 さてこちらは、「東洋のナイアガラ」などと宣伝されてきました。大雨のあとで増水したときなどはさながら東洋のナイアガラといった感がございますが、通常の姿ではちょっと、ナイアガラとは程遠いささやかな流れであります。けれど、こちらはただ単に滝の姿だけではなくて、周囲の田園風景や集落の様子と一帯となったよさがあるのです。その意味で言えば、近年の観光開発によりまして売店等が増加し、遊覧客の利便性が向上した一方で景観が変わってきているのが惜しまれますが、幸いにも滝の上の風景はあまり変わっていません。やはり開発にあたってこの点には十分考慮されているのでしょう。

 こちらは、夏に涼をとるには木蔭が少なくて暑すぎます。春、チューリップの咲く頃か、または稲刈りの頃がよいでしょう。

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 それはもう見事なチューリップ畑です。昔ながらのチューリップだけでなく、いろいろな品種のチューリップが植えられています。この日は遊覧者が多く、写り込まないように撮影したために変な写真になってしまいました。

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2 二宮八幡社の一の鳥居

 原尻の滝の上の沈み橋を通ると、川の中に鳥居が立っているのが見えます。こちらが二宮八幡社の一の鳥居です。緒方三社と申しまして、一宮から三宮までの八幡様がございます。二宮八幡社は原尻の滝のすぐそばです。一宮八幡社はその脇から山に上がったところで徒歩僅かですので、この二社については原尻の滝と同時に訪れるのがよいでしょう。三宮八幡社は上自在に鎮座しておりましてやや離れておりますので、自動車で移動するのが無難です。

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 こちらは川越祭で有名です。旧の十月半ば頃、お神輿がこの川を渡るのです。わたくしはまだ見学したことがございませんで、いつか行ってみたいと思っております。盆口説のイレコに、これに関連するものがありますので紹介します。

〽朽網の流れを申そうか 緒方の流れを申そうか 朽網の流れも五千石 緒方の流れも五千石 緒方の流れを申しましょ 緒方で名高い三宮 三宮なる祭典は 一で鉄砲二で白熊 三で三社の御神輿 四では白旗猩々緋 五では五人の団扇舞 六つ六頭振り立てて 七つ何にも御揃うた 八つ社に舞い込んで 九つここらで宮巡り 十でトントコトンの舞い納め

 盆口説のイレコとは何ぞや?と思われる方もおいでになると思いますので説明します。イレコには2種類あります。すなわち、7775調の一口口説の音頭の半ばに75の繰り返しの節を挿入して字余り文句を唄うものと、77調の段物口説の音頭の半ばに別の節・地の音頭とは無関係の75調の短い文句を挿入するもので、緒方三社のお祭りの文句は後者で唄われたものです。昔、音頭取りが何人もいた頃には、いよいよ場が盛り上がってきたときや、または音頭のテンポが乱れたりして踊りに障りがあったときなど、棚を下りている音頭さん(盆口説を唄う人)が「音頭さん待ちなれわしが貰うた…」などの文句で割り込んでイレコを挿んだものですが、今は音頭さんが少ないこともありイレコを耳にする機会が少なくなりました。

 

○ 原尻の盆踊りについて

 原尻は緒方町きっての「踊りどころ」でありまして、昔から盆踊りの盛んな土地として近隣に知られており、「八百屋(佐伯踊り)…手踊り」「祭文…手踊り」「猿丸太夫…手踊り」「風切り…扇子踊り」「猿丸太夫…手踊り」「伊勢音頭…扇子踊り/銭太鼓踊り」「杵築踊り…手踊り」「三重節…団七踊り」「二つ拍子(麦搗き)…手踊り」「三勝…手拭踊り」「かますか踏み…手踊り」など15種類ほどの踊りがあります。今も、盆明けの土曜日に公民館の庭でこの中から10種類ほど踊っています。太鼓と口説の素朴な踊りですが、手をかえ品をかえ、見事な踊り絵巻です。滝の音や虫の声をお囃子に加えて、ほんによい雰囲気であります。

 

3 原尻橋

 緒方町には形のよい石造アーチ橋がたくさん残っています。中でも鳴滝橋、長瀬橋、原尻橋は多連アーチによる大規模な橋でありまして、その優美な姿が田園風景に溶け込み、一幅の絵画を見るような風情がございます。

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 こちらが原尻橋で、原尻の滝のすぐ上流にかかっています。写真が悪く、あまり見栄えがしないように見えますが、実際はとても美しい橋です。大正12年の架橋で、5連のアーチからなります。これをほぼ人力でこしらえたわけですから、その作業の大変さは推して知るべしといったところで、素晴らしい土木技術に驚嘆いたします。近くに車をとめて、見学してください。

 

4 上戸の石風呂と切通

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 石風呂と申しますのは、石の湯船のお風呂という意味ではございませんで、一種の蒸し風呂のようなものです。どういうわけか緒方町には石風呂がたくさん残っておりまして、その数10基以上を数えます。昔から緒方町では石風呂のことを「えんせき」と呼びました。塩石の字をあてており、海から遠く離れたこの地でどうして塩石と呼んだのかは不勉強で存じておりません。石風呂はたいてい、岩壁を削って浴室を設けて、その下部には火口があります。火室にてソダを燃して石を焼き、浴室の床に石菖を厚く敷き詰め、水を打って蒸気を立てて、その蒸気を浴びるのです。保清のためではなく、疲労回復や神経痛の治療のためのものです。詳しくは説明版の画像を見てください。

 緒方町に数ある石風呂の中でも、上戸(じょうど)の石風呂はその立地が特異で、きっと見学される方の興味関心を引かれることでしょう。原尻の滝の近く、二宮八幡社の前の道路を上流方向にまっすぐ進んでいった奥詰めで、分かり易い場所です。ただし道幅がたいへん狭いので、運転に不安のある方は散策がてら原尻の滝から歩いて訪れた方がよいでしょう。説明版のところから、川に沿うて奥に行きます(ここから先は徒歩のみ)。

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 写真では分かりにくいと思いますが、石風呂への道は正面奥です。左上に上がる道ではありません。正面奥、右にカーブしたところが切通しになっているのです。明らかに人為的な切通しであります。これは、元々はこの場所にイゼが通っていたのです。そのイゼを付け替えた跡地を人が歩くための通路に転用したとのことです。

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 切通しを抜けると、正面にはまた切通しがあります!石風呂は右外側、川べりに見える穴です。先に石風呂を見学しましょう。

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 ものすごい立地ではありませんか。こちらの石風呂はもう利用されておりませんが、地域の方の整備により道がはっきりしています。石風呂を利用していた頃は、きっと入口に筵をかけるなどして蒸気が逃げるのを防いでいたのでしょう。

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 正面には流れゆたかな緒方川です。川がすぐそばにあるので、入浴するにあたっての利便性が高かったと思います。しかもたいへん風光明美でありますので、蒸気の効用のみならで、心の安定をも図れそうな石風呂です。では、少し引き返して石風呂の上に上がる段々を上がります。ステップが狭いものの、鎖があるので安全です。

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 上にはお地蔵さんが祀られていました。こちらの由来は不明とのことですが、おそらく石風呂に宗教的な霊験を加味するものでありましょう。それと申しますのも、山香町大字山浦字長田にあります泉福寺跡の石風呂をはじめ、緒方町内のほかの石風呂もそうですが、廃寺跡に位置するものが多々あるほか、緒方町の石風呂では浴室内に仏像を安置したり、または岩壁に梵字を刻んだりしたりしていることが一般的であります。昔の方は石風呂を利用する際に御念仏を唱えることも多かったとのことですから、こちらのお地蔵さんも、神経痛等の治癒を願うもので、石風呂と一体となった仏様であると考えられます。石風呂の真上に安置されているのは、そういうわけでしょう。

 こちらの石風呂は大正10年頃まで利用されていたそうですが、今も地域の方により清掃・お祀りが続いています。

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 お地蔵さんの後姿です。切通しの上に、チョックストーンのように岩がひっかかっています。もしかしたらこの岩の上を渡ると、反対側にも石造物や何かの遺構があるのかなと思ったのですが、岩の上が三角になっていて危なそうだったので渡りませんでした。

 観光の方は誰も訪れないような場所ですが、とてもおもしろいところです。見学をお勧めいたします。

 

5 宮迫西石仏

  上戸の石風呂から二宮八幡方面に戻り、原尻簡易郵便局を右折、トンネルを抜けて突き当りを左折します。道なりに行けば、道路左側に宮迫西石仏と宮迫東石仏があります。宮迫という字は、山の上にある一宮八幡社に由来するものでありましょう。迫とは谷沿いの傾斜地に見られる地名です。同じ谷筋の相対する斜面に西石仏と東石仏がございまして、その距離わずかに500メートル。両者は一体のものといえましょう。

 西石仏へは、道路から石段を上っていきます。距離は知れたものですし、手すりもありますので安心してお参りできます。駐車場所も十分にあります。

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 こちらは平安時代後期のものとのことです。それにしては彩色がずいぶんはっきりと残っているのですが、これは昭和9年頃に着色し直されたものであるそうです。東西の宮迫石仏は、昭和9年に国の史蹟に指定されました。それ以前は対外的には知られていなかったのですが、鉄道が開通しまして他県から研究者等が盛んに訪れるようになり、国指定に至ったそうです。もしかしたらその紀念に色褪せを復元をしようとして、再度着色したのかもしれません。

 磨崖には阿弥陀様、お釈迦様、薬師様が整然と並び、菅尾石仏に似た造形の厚肉彫りにて見事な表現です。ただしこちらは、菅尾のそれに比べますと形式化が目立ちまして、殊に螺髪が方眼状になっていること、それからめいめいの仏様の台座にかかった布のヒダの表現などを見ても一目瞭然です。それを表現力の衰えと見るか、ある種の洗練と見るかはそれぞれでありまして、そんなことはどうでも、とにかくありがたい仏様であることに変わりはありません。

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 参道正面に阿弥陀様・お釈迦様・薬師様の龕を見て、左側に少し上がれば写真の龕がございます。こちらは中央を柱のように残して、奥で左右がつながっているという造りです。こちらには何かの仏様か石塔の類が安置されていたのではないかと思うのですが、今はただ龕を残すのみとなっています。説明版にも言及がなく、詳細がわからなかったのが残念です。

 

6 宮迫東石仏

 こちらは道路沿いに立派な駐車場(トイレつき)があります。そこから急な坂道をだらだらと上がっていくと着きます。その坂道は軽自動車であればどうにか上まで行けますが、道幅が狭くて危ないし上には適当な駐車場所がありませんので、下の駐車場にとめて歩いて上がった方がよいでしょう。そう遠くありません。

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 こちらはお不動様、大日様、持国天様です。西石仏が三尊を等しく彫り出していたのに対して、こちらは大日様が主になっています。写真でもお分かりになるかと思いますが、上半身をやや後ろに傾けているのが特徴です。これは、仏様を少しでも大きく、立派に見せようとした工夫なのでしょう。

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 右側には仁王様が刻まれていますが、残念なことに脚のみを残して崩落しています。

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 左側の仁王様はよく残っています。以上の5体はやはり平安時代後期のもので、さらに左側の磨崖宝塔2基についてはやや時代が下り鎌倉時代のものであるとのことです。形式化が著しいものの、このように2基並んでいると立派でありがたい雰囲気がございます。どうしてこの場所に宝塔を追刻したのでしょうか?何か思いがあってのことと思いますが、どうしても確からしい事情が思い浮かびませんでした。

 

今回は原尻の滝周辺の名所旧跡を紹介しました。一宮八幡様、二宮八幡様、ちょっきん様、庚申塔、原の石風呂、市穴の石風呂など、今回紹介できなかった名所・文化財がいろいろありますので、また適当な写真を撮れたら補足の記事を書きたいと思っています。