大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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夷の名所・文化財 その1(香々地町)

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 夷谷(えびすだに)は名所旧跡の宝庫です。中山仙境を中心に東夷、西夷の谷に分かれ、小集落が点在している中を庚申塔や古刹、神社など数えもやらぬほどにて、そのいずれもが屹立する奇岩を借景として、この地域特有の景観の一端をなしているのです。とても1回では紹介しきれませんので、何回にも分けて少しずつ掲載してまいります。

 さて、第1回目は東西夷の追分地点、楽庭(がくにわ)地区から東に上がったところにあります清巌寺(せいがんじ)および祇舎谷不動(ぎじゃたにふどう)です。両者の関係性は不明ですが、おそらく祇舎谷不動は清巌寺の奥の院であったのではと考えます。今回は説明の都合で、祇舎谷不動から先に紹介しします。

 

1 祇舎谷の棚田跡の石造物

 香々地市街地から県道を夷方面に向かいます。東西夷の追分(中山仙境登山口)のやや手前、左側に楽庭神社があります。自動車は、その境内にある公民館の裏の広場の隅にとめるか、または少し手前の左側に旧道に沿うた駐車スペース(隅に「釣鐘狩場」の民話の看板がありますからすぐわかります)にとめます。自動車を停めたら、県道から左に分かれる舗装林道「長尾野山ノ神線」を少し上がります。お庭に宝塔のある民家を左に見てすぐ、右の里道(車不可)に入ります。左に田んぼを見ながら少し行くと、道が正面と左に分かれています。ここは道なりに、左に行きます。突き当り(崖上に墓地があります)を右折して、落ち葉の多い狭い山道を進んでいきます。

 ここから先はやや歩きにくいところもありますが、道は明瞭です。右に傾斜の緩やかな棚田を見ながら歩いていくと、左側には道から爪先上がりの急傾斜の棚田が広がります。左右どちらの棚田も耕作放棄されて久しく、植林されておりますが、立派な石垣が残っております。右の田んぼは一枚々々が機械の入る大きさではありますけれども、この谷沿いの耕作は大変であったと思います。夷谷では、岩峰のすぐ麓まで古い石垣の残る棚田跡が方々に見られます。平地が狭いので、少しでも耕地を広げようとした昔の方の苦労の跡です。名所めぐりや自然探勝で少し山に分け入ると、昔の暮らしの様子に否が応でも思いを馳せることになりましょう。

 稲田が広がっていた景色を想像しながらしばらく行くと、左側に六地蔵様などの石造物が見られます。

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 左下には燈籠か何かの大きな笠が転がっています。六地蔵様も全部倒れてしまい、かなり荒れた印象を受けました。この後ろには、傾斜地の広範囲に亙ってめいめい墓が見られます。この墓原には江戸時代から大正、昭和初期まで、幅広い年代のお墓があるのを確認しましたが、お墓以外の石造物は見られませんでした。

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 六地蔵様から少し進み、振り返って撮影した写真です。右奥から左手前に道が通っています。木が育ってきていますが、道沿いに田んぼのあとが広がっています。ここから進行方向右側の田に目を凝らすと、石造物が目に入ります。

※似たような景色が続くため、場所の説明が困難です。もしお訪ねになる際には、六地蔵様を過ぎたら右側に気を付けながら進んでください。

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 国東半島ではあまり見かけない、双体道祖神です。まるでこけしのような造形にて、ずいぶんと簡略化されております。拝み手のつけ根が離れていて、おめが様のようにも見えました。この1枚か2枚下の田んぼにも、石造物が見えました。

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 こちらです。何の像なのかわかりませんでした。ずいぶん風変りな表現だと思います。鼻がとても高く、首から下がとてもなで肩で上腕まで一続きに三角形をなし、やはり拝み手のつけ根が離れていました。こちらもおめが様なのでしょうか?説明版等はありませんし、とうに耕作されておりませんので地域の方を見かけるはずもなく、どなたかに尋ねることもできませんでした。この奇妙な像はいったい何だったのか、とても気になっています。

 この付近で確認できた石造物は以上です。元の道に返って奥に進み、祇舎谷不動の上り口を目指します。

 

2 祇舎谷不動

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 谷間の道を行くと、左側に写真の石塔が立っています。ここが祇舎谷不動への上り口で、長い長い石段が伸びています。その石段は下の方が崩れていますので適当に転石をよけながら上がると、すぐに石段にかかります。

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 杉林の中を苔むした石段が右に左に緩くカーブしながら、延々と続いています。この辺りは非常に風光明美で、歴史の長さを感じますとともに、特に冬の日には枝の掻い間からやわらかな日差しが差し込みまして、何ともいえないのどかな雰囲気がございます。

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 ここは傾斜が特に急で、石段が崩れています。不安定なので、石段の横を左右に折り返しながら適当に上がってください。すぐにきちんとした石段に戻ります。

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 正面に祇舎谷不動の岩屋が見えてきました。ここから上は石段の積み方が特に規則的で、立派な造りです。石段のぐらつきは特に気になりませんでしたが、途中、数段が斜めになっているところがありますので通行に気を付けてください。また、複数名で通行される際には転石を蹴落としてしまうと下の方が危ないので、前後の間隔を十分に開けて通りましょう。

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 登り着いたら岩壁の下に狭い境内が広がり、正面左右に岩屋があります。写真は左の岩屋で荒れるに任された状態にて、特に何も残っていません。ここから岩壁に沿うて左の方に行く踏み跡がありますが、この先で道がなくなっています。

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 こちらが右の岩屋です。土壁の、たいへん古い堂様が建っています。お賽銭箱などがありますので、お参りをいたしましょう。この堂様の奥に古い石造のお不動様が安置されているのですが、その境界の格子戸が閉ざされており開けるのに難渋して、お不動様を拝観することはできませんでした。

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 堂様の天井の様子です。竹を横に渡して瓦を載せています。瓦がずれているのか、僅かに天井越しの外光が感じられました。

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 右の岩屋の前を右方向に行きますと、崖上に堂様が見えます(写真に少し写っています)。こちらに上がる道もありますが崖をへつっていく難路で、途中が崩れていて立ち寄ることができませんでした。ここから堂様を左上に見て、やっとひとり歩ける程度の小路を右に進んでいくと展望地に出られます。崖下を平行移動したら、左に折り返すように登ります。

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 展望地からの風景です。たいへん気持ちのよいところです。祇舎谷不動にお参りをされる際には、ぜひこちらまで上がってみて下さい。ここから尾根伝いに高岩(堂明)まで上がる道があるそうですが、時間の関係で探訪できませんでした。高岩は360度の大展望のようで、いつか登ってみたいと思っています。

 では、来た道を戻って、清巌寺跡を目指しましょう。途中の六地蔵様の辺りから墓地に上がって作業道を進んでいけば清巌跡に出られますが、道が分かりにくいと思います。一旦、林道「長尾野山の神線」まで戻りましょう。

 

3 清巌寺跡

 舗装林道(長尾野山の神線)との出合いまで戻ったら右折し、林道を少し上がります。もし駐車場所から直接訪ねる場合は、お庭に宝塔のある民家のところの右側に分かれる里道には入らずに直進してください。少し上がって、道路が左カーブしているところで正面奥に狭い舗装路が分かれていますから、その道に入ります(標識はありません)。

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 写真のように軽自動車であればどうにか通行できそうですが、適当な駐車場所がありません。冒頭に紹介した駐車スペースに車をとめて、歩いて訪れましょう。写真の中央に小さなタンクが見えます。この辺りで右に折り返すように登る小路に入ります。少し登れば崖下に石造物が寄せられている広場に出ます。清巌寺跡に着きました。こちらの字を寺迫と申しまして、この寺とは清巌寺のことでしょう。

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 崖下の石造物です。相対道祖神は、先ほど棚田跡の石造物の項で紹介した道祖神に比べるといくぶん写実的な造形です。崖面にぴったりと嵌め込むように安置されています。向かって左、崖面を矩形に彫りくぼめたところには、2体の小さな磨崖仏がみられます。頭部が剥落しておりますが、おそらく2体並んだお地蔵様かお弘法様でありましょう。道祖神の右側にも小さな龕があり、1体の磨崖仏が確認できました。こちらは傷みが進み、像容が不鮮明になっています。

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 小規模な宝塔や五輪様も数基残っています。ここから右奥に行くと祇舎谷不動への道中で見かけた六地蔵様の上の墓地に出られます。その道を少し行くと、左上のやや高いところに庚申塔が立っています。

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 倒れそうなほど傾いたまま、今は通る人もない里道を静かに見守る庚申様でございます。道路から直接上がるには傾斜が急すぎて、しかもよく滑ります。一旦通り過ぎますと、左側に矩形の彫り込みの中にお墓が2基立っているところがあります。その先にて折り返すように左後ろに上がって戻ると、今度は塔の後ろに出ます。やや高い段差を下りたら、塔の正面に立つことができます。

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 青面金剛4面6臂!、1猿、1鶏、3鬼面!

  さても珍妙なデザイン、ちょっと類を見ない表現でございます。こちらの塔を捜すこと3回目にしてやっと実物を目にすることができ、感激いたしました。4面の青面金剛は珍しく、国東半島では、思い出すままに列挙しましても坊中の磨崖庚申(香々地町)、井上の庚申塔国見町)などごくわずかです。こちらは主たるお顔の真上と左右にやや小さめのお顔を並べて、焔髪を共有するという離れ業の表現にて、まるで燈籠鬢の島田を結うているような雰囲気がございます。上のお顔はぐるりを髪に囲まれて、獅子のようではありませんか。主たるお顔は表情が分かりにくくなっておりますが、何となく神妙な感じがいたします。腕をご覧ください。通常の形の腕の上の方から、左右に2本ずつ別の腕が生えているように見えます!6臂の主尊は腕の付け根が上下に離れてしまって珍妙なデザインになっている例をよく見かけますが、こちらは上下に離れているどころか、腕から別の腕が生えているという奇想天外な表現方法で、呆気にとられてしまいました。上に伸ばした手は何も持っておりませんが、向かって右端の手に注目いたしますと、指先をすぼめるようにしています。その左の手とは明らかに形が異なります。何かの印になっているのでしょうか。

 そして腰から下は版木のように平板な表現になっていて、明らかに上半身とは印象が異なります。両足先を180度開き、しかも両脚の間は本来は空白であると思われますのに全く彫りくぼめていないため、ヘコを垂らしているように見えてまいります。猿と鶏は主尊の足元にて中央を向き、特に猿が御幣を持って恭しく仕えているように見えるのが微笑ましく感じられます。主尊の脚下には鬼のお面のようなものが3つ並んでいます。オリジナリティに溢れた、素晴らしい塔です。近隣に類似のデザインが見当たらず、造立に関与した石工さんの発想力に感嘆いたしました。

 

今回は以上です。実はこの近く、字白禿にも庚申塔があるはずなのですが、今回も見つけられませんでした。またいつか捜しにいきたいと思います。