大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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中武蔵の名所めぐり その3(武蔵町)

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 前回で大字吉広の名所・文化財は終わりにして、今回は大字丸小野・挾間・麻田を巡る予定にしていました。ところが急遽、小ヶ倉の墓地の庚申塔を訪ねる機会を得ましたので、予定を変更しまして、今回はその庚申塔からスタートして大字丸小野に移動することにします。

 

10 小ヶ倉の庚申塔(墓地そば)

 吉広公民館から、県道55号を西武蔵方面に向かいます。いちばんカサの小ヶ倉部落を過ぎますとセンターラインがなくなります。道なりに橋を渡って少し行き、右側にコンクリ舗装の坂道がありますのでそれを上がります。軽自動車ぎりぎりの幅はありますが県道との接続部分に段差があり、進入しにくいと思います。歩いて行く方がよいでしょう。坂道を登り詰めたところを右に行けば墓地で、そのかかりに六地蔵さんが並んでいます。その手前左上、杉林の中に庚申塔が立っています(冒頭の写真)。

 塔に至る道は石段の痕跡がありました。今は段々は壊れていますけれどもよく整備されていて、下草を刈ってあります。墓地に関係する方々をはじめ、近隣の方の信仰が続いているのでしょう。

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 塔がずいぶん傾いていて、やっと立っている状態です。その左側には壊れた灯籠をこづんでいます。国東半島には、このように道路(こちらの場合は墓地への道)から少し上がったところに刻像塔と灯籠1基ずつ、その周りに庚申石が散在する事例が多うございます(庚申塚)。こちらでは壊れた灯籠や庚申石で小さな塚をなして、その上に刻像塔を建てているのが特徴です。宇目町では文字塔を33基横倒しに重ねて塚をなしている例がございます。それは33という数に特別の意味があるそうです。こちらの場合はそのような意味ではなく、粗末にならないように、少しでも鄭重にお祀りしようとした結果でありましょう。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 碑面が荒れ気味で細かい部分が分かりにくくなっておりますが、諸像の輪郭線はよく分かります。主尊の衣紋が珍妙な造形でおもしろいではありませんか。チューリップのイラストを逆さにしたような裾まわりが特に印象に残りました。童子は右と左でやや高さが違います。猿と鶏が仲良う一列に並んでいて、ほのぼのとした印象でございます。

 さて、こちらは墓地に付随する庚申塚でしょうか、それとも、今は墓地に上がるときだけ使われている道が、昔は西武蔵方面に行く山越道であったのでしょうか。造立当初の由来は分かりませんけれども、こんなに斜めになってもじっと立ち続ける庚申様に頭が下がります。

 なお、小ヶ倉部落の中ほどにある堂様の坪にも庚申塔が立っているそうです。そちらにはまた行き当たっておりませんが、区別のために項目名を「墓地そば」と付記しました。

 

11 矢治払の石造物

 小ヶ倉から丸小野を目指します(松ヶ迫のカサから山を越して行く道もありますが今回は一般のルートで紹介します)。県道55号をオレンジロードまで下り、左折します。保育園の角を左折してとにかく道なりにどんどん登っていけば、この谷筋のいちばんカサが矢治払(やじば)部落でございます。その中ほど、道路右側に大きな桜の木があって、そのネキにいろいろな石造物が寄せられています。

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 見事な枝ぶりの大桜です。花の時季は言わずもがな、葉桜の時季もほんによいものでございます。冬は冬で、また来る春を楽しみに、なんとなく心が明るくなってまいります。特に春先、花蔭にお弘法様や庚申様が並ぶ光景は、国東半島を象徴するものといえましょう。よし絵本や映画の世界の刷り込みであろうとも、「花蔭」や「峠の小道」など子供の頃に唄った童謡のイメージであろうとも、どなたの心の中にもある心象風景、懐かしい風景ではないでしょうか。昔は狭い道を右に左に蛇行しながら登っていたのが、今では拡幅され2車線の快走路となっております。でも、この一角には懐かしい風景がしっかり残っていて、前を通るたびに嬉しくなってしまいます。観光地ではありませんが、武蔵町の中でも一押しの名所です。

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 ひときわ高いところにお弘法様が立っています。今でもこちらでお接待を出しているのでしょうか?この地域のお接待は旧暦か新暦か存じませんが、もし旧暦であれば桜は散ってしまっているでしょう。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、ショケラ

 写真が悪く分かりにくいと思います。実物は、もう少しくっきりとしています。主尊はまさに怖い形相で、この一帯に数ある庚申様の中でも異彩を放っています。ショケラをさげているのも、武蔵町では少数派のようです。また、武蔵町の庚申塔は圧倒的に4臂が多い中で、こちらは6臂であります。国東半島全域で見れば6臂が断然多いものを、武蔵では4臂が多いというのも興味深い事象でありまして、こんなところにも地域性が出ているのです。大桜の下にあるたくさんの石造物のひとつではありますけれども、特に主尊のお顔などなかなかのものですから、車を停めてじっくりと観察してみてください。

 

12 柿園の庚申塔

 矢治払は大桜の下の石造物から、来た道を引き返して下ります。右に丸小野寺(子供修正鬼会で有名です)への別れ道を見て、左に「岡入口」のバス停が立っています。バス停を過ぎて左側一つ目の坂道を上がります。急坂を登って柿園部落の上手を通り、左カーブで折り返して登ればいよいよ林道の様相を呈してまいります。二股を右にとってすぐ、左側の崖上に庚申塔が立っています。ここまで車で上がれますが路上駐車するよりほかなく、椎茸の作業等の車が通るかもしれませんので、下の道路の広いところに停めて歩いて訪れた方が無難です。

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 このように崖上に立っています。右の道に少し入らないと見えないので、間違って二股を直進しないように気を付けてください。ここからでは段差が高くて上がれないので、このまま林道を少し進みます。すると左側に神社の参道があります。

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 こちらが神社の参道です。石段が壊れていますが気を付けて上がれば問題ないレベルです。石燈籠の奥をさらに上がれば、上の方に祠があります。この日は時間の関係で遥拝にとどめました。下の林道と灯籠の中間あたりから左に上がれば、庚申塔の裏に行くことができます。通り過ぎて折り返すように下りますと、塔の正面に出られます。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 武蔵町におけるオーソドックスなデザインの塔で、これとように似たものを方々で見かけます。こちらは以前訪ねたときよりもやや風化が進んできていて、猿や鶏が扁平になっています。けれども諸像の姿は今のところよく分かりますし、うっすらと彩色の痕跡も認められます。主尊のお顔を見ますと、遠目ではどんぐり眼に見えましたけれども、近寄って確認しますと上の線と下の線の端がやや離れていました。上の線は瞼ではなく眉毛のようです。目をつぶった、ありがたい仏様のお顔のような印象を受けました。非常に短足の主尊の両脇にはスラリとした童子が控えています。

 

今回は以上です。大字丸小野にはほかにもたくさんの庚申塔がありますし、丸小野寺など行きたいところがいろいろあります。またの機会に探訪したいと思っています。次回は大字狭間・麻田を巡ります。