大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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中武蔵の名所めぐり その2(武蔵町)

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 引き続き中武蔵地区は大字吉広の名所・文化財を巡ります。

 

4 楽庭八幡宮

 吉弘公民館から県道を武蔵市街地方面にまいりますと、道路左側にあります(冒頭の写真)。立派な看板がありますのですぐ分かります。広い駐車場もありますから、この近隣の庚申様などを訪ねる際の拠点とするとよいでしょう。なお、こちらの字を美婦(ミフ)と申します。

 さて、こちらの八幡様は吉弘氏ゆかりの地で、時の吉弘城主・吉弘正賢による祭祀が元です。有名な吉弘楽が7月末に行われます(元は旧の6月13日にしていました)。国東半島では楽打ちが下火となる中、今や杵築の若宮楽など少数のみとなっておりますので吉弘楽がこうして脈々と受け継がれているのは貴重なことでございます。

 お参りをする際、ぜひ灯籠に注目してください。

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 なんと風変わりな灯籠でありましょうか。仁王さんが灯籠を軽々と抱えています。棒が折れて、頭の上に乗る格好になっているのはご愛敬です。石工さんの閃きに唸らされますし、そのアイデアを具現化した技術も見事なものではありませんか。

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 こちらは棒がきちんと上につながっています。楽庭八幡様にはかつて、有名な大杉がございましたが、平成4年に台風の影響で倒れてしまいました。倒れかかった大杉で拝殿が破損し、改修を余儀なくされたそうです。もしかしたら、そのときにこの変わった灯籠も破損し、修復したのが今の姿なのかもしれません。

 

5 中村の庚申塔

 楽庭八幡宮から、県道を渡って反対側の道を小川に沿うて進みます。途中左側に看板がありまして、そこを左折して民家の背戸を上がって永泰寺に裏から入ることもできますが、一旦通り過ぎてその先の二又を左にとれば正面に廻れます。庚申塔などの石造物がお寺の入口に寄せられています。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 写真が悪くぼんやりとしていますが、実物を見ても細かい部分は分かりにくくなってきていました。主尊はその輪郭線がくっきりとしているものの、特に体幹は達磨落としのような表現方法であり、非常に大味な造形であります。それがために何ともかわいらしいような雰囲気がございまして、前回紹介しました鶴の阿弥陀堂の庚申様と比べましてもその差は一目瞭然です。厚肉彫りであり、おそらく造立当初はもう少し細かい線も表現されていたのではないかと思います。中村部落を長年に亙り守ってくださった庚申様は、今も物言わでじっと立ち続けています。さりげなく注連縄が巻かれていて、今も近隣の方の信仰が続いていることが分かり嬉しくなりました。

 

6 永泰寺

 中村の庚申塔のところから境内に入って、永泰寺にお参りをいたしましょう。こちらはお庭の整備がよく行き届いています。四季折々の美しさがあり、箱庭のような風情が感じられますし、しかも吉弘氏代々の墓標などの文化財もあるのですから、楽庭八幡様とセットでお参りをすることをお勧めいたします。

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 この石塔群は、吉弘氏代々の墓標であるとのことです。躑躅の蔭にて一見して場所が分かりにくいと思います。いずれも立派な造形であり、しかも保存状態が良好です。

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7 馬場台の庚申塔

 こちらは行き方が難しい庚申塔です。『くにさき史談』でその写真を見て一目惚れしてしまいまして、さっそく探訪いたしました。ところが一目拝みたやの願いも叶わで引き返すこと2回、3回目の探訪でやっと行き当たった次第でございます。

 楽庭八幡宮から県道を少し市街地方面に行き、左側にコミュニティバス「馬場入口」停留所のある角を左折して橋を渡ったところが馬場部落です。突き当りを左折し、狭い道を登って行けば左側に累代墓が1基あるところが二股になっています。自動車は右の道の入口手前ぎりぎりに1台ならどうにか停められると思います。ここから先は落石等が多いので徒歩が無難です。右の農道(パイロット道と思われます)に入って道なりに歩いていきます。この一帯は元はみかん山でしたが今は荒れてしまっています。とにかく農道に沿うて奥へ奥へと行きますと、左上に庚申塔が見えます。

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 下の農道から塔が見えます。お墓の二又からそれなりに離れています。先が不安になる道ですが、とにかく塔が左上に見えるまで歩いてください。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、2邪鬼

 完璧といってもよい保存状態でありますのに、写真が悪いせいでとても分かりにくいと思います。スラリとした体形の主尊はまさに怖い風貌でありますのに、その表情が多分に漫画的な表現であることも手伝ってか、鶴の庚申塔よりもいくぶん親しみやすく感じられました。足がハの字に外を向いているのはやや強引な表現ですけれども、それ以外のところは複雑に重なる腕や衣紋のヒダ等を、比較的薄い彫りにて上手に前後差をつけて的確に表現しているところなど見事でございます。

 主尊以外は童子、猿、鶏、邪鬼、これらが全てが対称性を保って配されています。碑面をめいっぱい使うて収まっていますのでたいへん豪華な感じがします。しかも右と左でそれぞれ所作を変えてありますから、いきいきとした感じが出ています。特に両側の猿が、縁のところに寄りかかるようにして内を向いているところなど、なかなかよく考えられたデザインではありませんか。

 現状は分かりませんが、こちらの庚申様は平成に入ってもなお、麓の馬場部落の方々によりお祭りが続いていたそうです。庚申様の日にはこちらの塔のところで餅撒きをして、座元の家に集まりお座をするとのことで、その際に「せりたおし」も行われる由。この「せりたおし」は、「せる」=押す、つまり押し倒しといったところで、お座についた講員の方が押し合いへし合いをするのです。これは、昔、夜通し庚申様をしていた頃、眠気覚ましとして楽しんだ名残なのではないかと思います。

 さて、庚申塔を見学してお墓のところまで戻ったら、自動車を転回するのに難渋するかもしれません。その場合は無理をせずにそのまま進んで、次の角を左折して崖道を下っていけば楽庭八幡の駐車場のところに出られます(普通車でも通れますが離合はできません)。

 

8 馬場台の神社

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 こちらは、庚申塔を捜してみかん山の跡地を右往左往していたときに見つけた、小さな神社です。何の神様か分かりませんでしたがお参りをしました。農道からそう離れていなかったと思いますが、どこをどう通ってこの神社のところに出たのかよく思い出せません。

 

9 今入の庚申塔

 説明の都合上、県道55号とオレンジロードの交叉点を起点とします。この交叉点から、県道を吉広方面にまいります。右に天満社を見て少し行くと、左に防火水槽、その後ろに累代墓が1基見えます。その防火水槽のところから左に林道を上がってすぐ右カーブしているところの左側に、林道に背を向けて庚申塔が立っています。字は今入(イメリ)、大字手野との境界にあたります。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 中村の庚申塔(永泰寺入口)に似たデザインで、厚肉彫りの主尊は実に堂々たる立ち姿でございます。来るなら来いと迎え撃つような強さを感じます。それに対して童子はひっそりと立っていて、その対比がおもしろいではありませんか。猿と鶏は横並びで、帯のように彫りくぼめた狭いスペースに仲良く並んでいます。とても可愛らしく、拝見しておりますと思わず笑みがこぼれました。主尊の上の日月・瑞雲にも注目してください。細やかな彫りで表現した瑞雲は、くっきりとそれと分かるような雲というより、お月様の手前にぼんやりと棚引くような風情がございまして、昔、唱歌の文句にもございましたが霞か雲かといったところです。破風を大きくとった笠もなかなかのものです。

 馬場台の庚申塔は探訪の時季を選びますけれどもこちらは幹線道路のすぐ横で簡単にお参りができますから、通りがかりにでもちょっと車を停めて立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

今回は以上です。大字吉広にはほかにもたくさんの石造物や神社、お寺、堂様などございますが、まだ探訪できていません。次回は大字麻田・挾間・丸小野を巡ります。