大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

カテゴリから「索引」ページを開いてください。地域別にまとめています。

中武蔵の名所めぐり その4(武蔵町)

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210928000451j:plain

 引き続き中武蔵の名所を巡ります。今回は大字狭間です。

 

13 狭間の大桜

 前回、大字丸小野は柿園の庚申塔まで紹介しました。そこから狭間の大桜に向かいます。丸小野から麻田方面に下り、「挟間入口」のバス停を左折し道なりに行きます。しばらく進むと、道路右側に「狭間大桜」と書かれた立派な看板が立っています。このあたりを久保畑と申しまして、堂様の周辺に吉野桜が数本植わっています。春は菜の花と桜が咲きまして、特に月が明るい宵の口などなかなかのものです(冒頭の写真)。子供の頃に唄った「朧月夜」や「花蔭」のイメージにぴったりの風景ではありませんか。

 さて、確かに花の時季は美しいものの、立派な看板に「大桜」と書くほどのことかいなとお思いの方もあると思います。種を明かしますと、いま花をつける吉野桜は銘木「挾間の大桜」ではございません。昔は今の吉野桜のところよりも山手に大きな山桜の木があり、杵築藩主をはじめ方々より賞賛を受けたものの文化年間に枯れたそうです。しかしその周辺の桜が成長し、再度「狭間の大桜」を楽しみに近隣在郷より花見客が多く訪れましたがこれも明治の末に枯れました。昭和の中頃まではその周辺の大きな桜が親しまれ花見客で賑おうたそうですが樹勢は衰え、ついぞ「狭間の大桜」も今は昔となったのです。

 今や昔日の面影はなくなったものの、植樹された吉野桜は年々成長しています。どうにかテング巣病などにやられることなく成長を続けて、いつの日か狭間の大桜再びとなればと願っています。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210928000830j:plain

 ところで、バス停の名前は「狭間」ではなく「挟間」の用字でございます。ほかにも、この地域を指して「挟間」と表記されているのを見たことのある方もおいでになると思います。これは、旧来の用字は「狭間」でありましたが、他地域の方に「挟間」と誤記されがちであり、しかもワープロ等の変換で「挟間」の方が上位になり易いこともあって、利便性を考慮して行政区としては「狭間」から「挟間」に改めたという経緯があるそうです。一応このブログでは、旧来の用字「狭間」で通すことにします。

 

14 久保畑の庚申塔

 狭間の大桜の看板の後ろに十王堂があり、その坪の端にいくつかの石造物が寄せられています。全体の写真を撮り忘れてしまったので、今回はその中から庚申塔のみを紹介します。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210928000457j:plain

青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 武蔵町でよく見かけるデザインの庚申塔です。流行したパターンなのでしょう。町内にこのタイプの刻像塔がほんに多うございますので、写真のみ見ますとアレこれはどこの塔かいなとあやふやになってしまいそうでございます。でも笠の形状や主尊の衣紋の表現など、よく見比べますと少しずつ違っています。こちらは日月と主尊の間が広く空いているのが特徴です。この分のスペースが無駄になっているような気もいたしますがなかなかどうして、日月がぐんと上に刻まれておるので、いよいよ天高い雰囲気がよう出ているではありませんか。弓と三叉戟が逆ハの字になっておりますので、その上の広がりをことさらに強調するような効果が感じられます。よく考えられたデザインであると言えましょう。

 

15 中狭間の石造物

 久保畑の十王堂を後に、道なりに先に進んでいきます。右に天神様の鳥居を見て1軒目の先、右に分かれる里道の上がりはなに3基の石造物が並んでいます。左は何かの神様の祠、中央がお弘法様の祠、右が庚申塔です。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210928000500j:plain

青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 こちらは小型の塔で笠も飾り気のないタイプではありますけれども、肉付きのよい主尊の堂々とした立ち姿が立派です。腕や弓・鉾の様子は久保畑のそれと同じ方向性のデザインです。でも大きな頭がよう目立ち、それがために全体の印象がまるで異なります。怖い形相でありますのに頭の大きさから何となく子供っぽいような雰囲気が感じられまして、親しみを覚えました。

 この庚申塔は前の道路よりもやや引っ込んで民家の石垣のきわに立っていて、しかも電信柱で隠れがちでありますから、久保畑側から訪ねると見落としてしまうかもしれません。もし行き過ぎたら、そこかで転回して引き返せばすぐ分かるでしょう。

 

今回は以上です。大字狭間にはほかにも庚申塔がいろいろございますがまだ探訪できていません。次回は来た道を引き返して、大字麻田・手野の庚申塔を紹介します。