大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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亀川の名所めぐり その2(別府市)

 引き続き亀川地区の名所旧跡を紹介します。特に羽室の御霊社はこのシリーズの中の目玉といってよいでしょう。みなさんに参拝・見学をお勧めしたい名所中の名所でありますので、特に詳しく紹介します。なお、今回も絵葉書による昔の風景の紹介を含みます。

 

9 旧釜戸地獄(絵葉書)

 「かまど地獄」は、今は鉄輪温泉にあります。ところが昭和11年までは柴石温泉にありました。その場所は血の池地獄よりも僅かに上手、道路沿いにコイン精米のあるあたりです。漢字表記は「竃地獄」「釜戸地獄」どちらも通用していたようです。亀の井バスの名所案内では次のように説明されていました。

「次は谷間の岩の上に 竈のような形して 五穀いちびを蒸すという 竈地獄でございます」

 この、「五穀いちびを蒸すという」と申しますのは、前回紹介しました竃門八幡様のお祭りのときにお供えのご飯をこちらの地獄で蒸していたためです。

the grand sight of KAMADO JIGOKU where the steam rising up furiously out of the spring, BEPPU
(別府名所)熱気の猛勢渦巻きあがる、かまど地獄の壮観

 奥に写っているのは一般の民家で、城ノ内部落にあたります。ここは今の「かまど地獄」のように池をなしているタイプの地獄ではなく、昔の十万地獄のように至るところから噴気が上がり、それを縫うて遊歩道を散策するタイプの地獄でした。男性が一人写っていて、その横には明礬温泉で盛んに見かける「湯の花小屋」のようなものがあります。これは、左の建屋に「入湯土産は是非湯の元に限る」と書いてある「湯の元」なるものの製造場所でありましょう。おそらく「湯の花」と同じものだと思います。

 この絵葉書にはキャプションがありません。見事な石垣をついて遊歩道をこしらえています。その一面から幾筋もの噴気が上がりまったくものすごい光景ではありませんか。おそあく熱蒸気であったと思います。安全対策に万全を期すことが当たり前の、今どきの観光地ではまず見られない風景ですね。

the famous Betupu
(別府名所)カマド地獄其ノ二

 珍妙な綴り方のローマ字が微笑ましいではありませんか。地獄蒸しの設備が写っています。ここで、竃門八幡様のごはんをこしらえていたのでしょう。観光客相手にゆで卵などもこしらえたかもしれません。

 これほど凄まじい光景であった旧の釜戸地獄も、昭和11年にはお湯が涸れてしまい観光地獄としては閉鎖の憂き目にて、のちに鉄輪温泉に移転し今に至るのです。お湯が涸れた原因は定かではありませんけれども、近隣の泉源を整備したか、または引き湯等の影響があったものと思われます。

 

10 昔の柴石温泉(絵葉書)

 旧の釜戸地獄跡地付近を過ぎて坂道を上り詰めると道路が左に旧カーブして、トンネルがほげています。柴石温泉場に行くにはこのカーブを曲がらずに、柴石渓流に沿うて細い道を登っていきます。今は護岸工事等の影響でずいぶん景観が損なわれましたが、昔は桜や紅葉の景勝地として知られていました。また、柴石温泉は立派に改修され現代的な立ち寄り湯になっていますが、昔は古い温泉場で滝湯が名物でした。

 これが柴石名物であった滝湯です。この滝湯は露天で、柴石渓流に面していましたのでさぞ風流であったことでしょう。でも外から丸見えであったようなので、現存していたとしても利用者は稀になっているかもしれません。

 なお、柴石温泉は亀の井バスの名所案内で次のように紹介されていました。

「このトンネルを過ぎゆけば 別府八景柴石の いと閑静な温泉場 昔御朱雀天皇の 太子親仁親王が ここに御湯治遊ばせし 尊き遺跡と申します」

 絵葉書に写っている標柱は、その「尊き遺跡」を示すものです。

 これは白黒写真にあとから色をつけた絵葉書です。昔の絵葉書には、このように同じアングルでモノクロと彩色の2種類が出ているものをよう見かけます。この色付けをする専門職の人がいたそうです。微細なタッチで見事な色付けではありませんか。こちらの絵葉書を見ますと、滝湯を利用している人はヘコ帯をつけていることが分かります。

(別府名所)八景の内 柴石渓流

 八景と申しますのは「別府八景」のことで、高崎山、浜脇公園、乙原・観海寺、鶴見ヶ丘、由布院、実相寺山、柴石渓流をさします。旧別府町内に限らず、別府近郊の景勝地の中から特に風光明媚なところを選定したものと思われます。ほかに「別府三勝」と申しまして、内山渓谷、志高湖、仏崎が選定されていました。絵葉書を見ますと柴石気流がしめて11か所の景勝地に選定されるのも頷けます。

 渓流の左には名物の滝湯が写っています。渓流を跨いで建っているのは展望所と休憩所を兼ねたものでしょう。これほどの景勝が失われてしまったのはほんに残念なことでございます。

 この項の最後に、新民謡「別府八景」ならびに「別府郊外八湯」から該当する文句を紹介します。好きな節で唄ってください。

〽渓の柴石 音なす滝湯 落ちて流るりゃ 花の影
〽花に夢見た 寝覚めの姿 流す浮名も 湯の煙

〽渓の滝湯が どんどと響きゃ 花もおぼろの 旅心
〽心逢瀬の 二人で湯治 しばし柴石 仮の宿

 

10 羽室の御霊社

 野田のトンネルを抜けて鉄輪方面に行きます。左にザボン漬けの南光物産を見て、その少し先に大光院というお寺があります。その手前を左折して急坂を下り、羽室部落の先の二又を左にとります。ザボン園の手前の二股を左に上がって細い道を登り詰めたところが御霊社で、ここまで車で上がることができます。

 この日は汗ばむような陽気でした。大きな木の繁る境内には心地よい風が吹き、市街地の喧騒を離れて別天地の感がございます。

 説明板の内容を転記します。

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御霊社

社の創建は、古く鎌倉時代といわれている。23基の五輪塔が古塔群を形成している。また、社いは、滝沢馬琴椿説弓張月で有名な源為朝が弓を掛けたといわれる老松が昇天の龍さながら、枝をうならせていた。
今はその松(弓掛けの松)も枯れ昔を偲ぶことすらできない。

(昭和50年県指定建造物)

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 弓掛け松は、旧の「別府音頭」の文句にも出ており、昔は別府名所として知られていました。

 

〇 新民謡「別府音頭」(旧)

 この唄は、今も盛んに唄われている勝太郎の「別府音頭」以前に作られた新小唄です。別府検番の名物芸者であったゑみさんの作で、富久丸さんと信子さんがレコードに吹き込みました。ここにその文句を紹介します。

〽さあさ皆さん別府へござれ 地獄極楽さまざまに
 チョイトさまざまに 地獄極楽さまざまに ヨイトナ ヨーイヨイ

〽わしが待つ船 八嶋を越えて 月もスミレと波の上
 チョイト波の上 月もスミレと波の上 ヨイトナ ヨーイヨイ

〽主は紫 わしゃ紅よ 中にかわいいみどり丸
 チョイトみどり丸 中にかわいいみどり丸 ヨイトナ ヨーイヨイ
 ※菫丸、紫丸、紅丸、みどり丸=別府航路の客船の名称

〽船を上れば砂湯がござる 湯気のかい間に的ヶ浜
 チョイト的ヶ浜 君を弓掛松の色 ヨイトナ ヨーイヨイ

〽鶴見千年 八幡地獄 山に紅葉の観海寺
 チョイト観海寺 山に紅葉の観海寺 ヨイトナ ヨーイヨイ

〽紺屋地獄で絞りを染めて 二人来て見る三日月を
 チョイト三日月地獄 二人来て見る三日月を ヨイトナ ヨーイヨイ

〽様と行くなら間歇地獄 血の池地獄はまだおろか
 チョイトまだおろか 釜戸獄の中までも ヨイトナ ヨーイヨイ

〽様は明礬わしゃ柴石よ いつも青々海地獄
 チョイト海地獄 いつも青々海地獄 ヨイトナ ヨーイヨイ

今回のシリーズに関係のある名所を太字にしました。この唄は別府検番の廃止後は全く唄われなくなり、今はお年寄りでもご存じない方が大半であると存じます。節がよいので、ぜひ民謡の会などで再度普及を図っていただきたいと思います。

 

 閑話休題、御霊社の紹介に戻ります。

 鳥居には扁額がありませんでした。なだらかな石畳の坂道が羽室部落の中程に続いています。この参道を歩いて上がりたかったのですが、下に適当な駐車場所がありませんでしたので、この項の冒頭にて申しました道順を辿って境内まで車で上がったというわけです。

 説明板の内容を転記します。

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別府市指定 昭和52年7月19日
羽室御霊社のスダジイ
保護樹

特色
羽室御霊社の境内林で、神社とともに歴史を重ねたスダジイの林であります。主な樹木はスダジイで、その他にホルトノキヤブツバキタブノキ、ヤブニッケイ、クロキ、モッコク、イズセンリョウ、アリドウシ、ベニシダ、ハナミョウガ、コヤブラン、ツルコウジなどが生育しております。

注意
枝を切ったり、樹皮を傷つけたり、値をいためたり、生育を妨げるようなことのないよう大切に育てましょう。現況を変更する場合は申し出てください。

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 正面参道を上がり着いたところに並んでいる五輪塔群です。お供えのお花は生花でした。右の五輪塔梵字がくっきりと残っています。その隣は、水輪の上に宝篋印塔の笠を乗せた後家合わせの塔でありますが、周囲に宝篋印塔の塔身は見当たりませんでした。

 狛犬は対になっておらず、1匹だけ奉納されています。流れる毛並みを見事に表現した丁寧な彫り、全体的によう整うたデザインなど、秀作といえましょう。牙の表現や後足の勇ましげな踏みしめ方など、なんとも強そうな狛犬ではありませんか。

 さあ、いよいよ御霊社の五輪塔を本腰に紹介してまいります。こちらは別府市内はおろか近隣在郷、国東半島をも含めての広範囲におきましても指折りの秀作がずらりと並んでいます。別府は石塔の類が比較的少ないように感じておりましたが、こちらの五輪塔群を見学しまして認識を改めました。ひとまず説明板の内容を転記します。

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史跡 竃門氏墓地古塔群
昭和50年3月28日 大分県指定史跡

有形文化財 竃門氏墓地五輪塔
昭和50年3月28日 大分県指定有形文化財

 この羽室御霊社社殿裏の古塔群は大きく3群に分かれ、国東塔、五輪塔、角塔婆、板碑など各種の古塔があります。この古塔群全体が県指定史跡に、またこのうち最も大きな五輪塔3基が県指定有形文化財にそれぞれ指定されています。
 造立年代は塔の形式から鎌倉時代後期から室町時代前期で、当時この地を治めていた竃門氏の墓地と考えられています。
 五輪塔の1基には「嘉元四年 丙午正月二十一日 沙弥道善」(1306)、他の1基には「暦応二 巳卯六月廿八日」(1339)の銘がある(日名子太郎『大分県金石年表』より)といわれますが、現在は磨滅して解読困難です。
 地元には源為朝に関連した伝説が残っています。

平成4年12月1日 別府市教育委員会

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 拝殿に向かって右端の方にある石塔群で、五輪塔と板碑が1基ずつ残るほかはみな残欠の状態です。板碑は梵字が残るもののその状態はよろしくありません。

 拝殿の左右に特別な区画をこしらえて夫々フェンスで囲み、大型の五輪塔が安置されています。これほど大きな水輪をどのようにしてこしらえたのでしょうか。ノミやタガネでこんなに軸がぶれない水輪ができるとしたら、その石工さんの腕前たるやかなりのものでありましょう。ほぼ球体といえるような、見事な水輪でございます。全体的にどっしりと重量感のある、素晴らしいお塔であるといえましょう。

 お稲荷さんの石祠もあります。五輪塔の区画は写真のようにフェンスで囲まれているわけですが、正面の戸は自由に開閉できるので間近に見学できます。どのような意図でフェンスを設置してあるのでしょうか。

 後列の塔は、前列に比べますと小型であり、その保存状態もやや劣ります。でも、前列の塔が傍になければ五輪塔にしては十分な大きさがあります。一つひとつ造形が異なりますので、よく見比べてみてください。

 それにしても、これほど大きな部材を積み上げるのだけでも一仕事であったことでしょう。特に水輪は球に近いので、紐をからげるのも難しそうです。とても一人で抱えられるような大きさではなく、木遣り音頭で持ち上げるしかないと思うのですけれども、こと水輪に関してはどのように上げたのか気になっています。

 こちらは特に状態が良好であった塔で、梵字がくっきりと残ります。全体的によう整い、安定感があり、ただの一つも瑕疵のない完璧な塔であるといえましょう。おもわずため息がでるような、見事な造りです。

  驚くべきことに、四面に梵字が彫られていました。一つひとつの塔の詳細が説明板で言及されていないのが残念です。

 お稲荷さんの横からは裏参道が伸びています。この道に少し入れば、スダジイ林の自然を存分に楽しむことができます。

 数ある樹木の中で、もっとも目を引くのがこちらです。太い幹、見事な枝ぶりには、その生命力の神秘性すら感じられます。いったい樹齢何年になるのでしょう。

 裏参道は竹林の中の坂道になり、ずっと先の方まで続いていました。時間の関係でこの写真のところで折り返しましたので、どこに出るのかは未確認です。

 

○ 亀川地区の盆踊りについて

 別府市は、市街地の拡大により旧来の盆口説が早くに廃れたところです。天間、東山、内成など山間部の地域は別として、市街地およびその周辺で旧来の盆口説が残っているのは亀川地区一円と北鉄輪、向浜のみになっています(近年までは吉弘などでも行われていました)。

 亀川地区では旧来の盆踊りを「地踊り」と称しています。演目は「三つ拍子」「二つ拍子」「六調子」「祭文」の4種類で、所作の類似性から日出町の盆踊りと同一の伝搬経路にあると推察されます(六調子の踊り方が日出以東よりもずいぶん簡略化されています)。亀川夏祭りでは「地踊り大会」と称して大きな輪を立て賑やかに踊るほか、自治会ごとの供養踊りでも「別府音頭」や「温泉おどり」などの新民謡踊り(レコード音源)と同時に口説と太鼓で踊っています。

 大分県は盆口説による踊りや、堅田踊り等に見られる小唄踊りの類が比較的よく残っている地域でありますが、平成に入って以降、著名な盆踊り以外は徐々に下火になってきています。その中で亀川地区におきましては、誰でも簡単に踊れてとっつきやすい新民謡の踊りを継続するだけでなく、旧来の盆口説の保存伝承に熱心であるのは立派なことです。一時期は新民謡の踊りのみになっていた地域に盆口説が復活したという事例もあるようです。

 

今回は以上です。次回はシリーズ半ばでお休みとしていた上伊美の名所シリーズの続きを書きます。