大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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百枝の名所めぐり その3(三重町)

 今回は大字川辺の石造文化財を中心に紹介します。川辺には庚申塔、石造五重塔、宝塔、石幢などが点在しており、探訪時に次々と見学できましたが、石幢のみ時間の関係で訪ねなかったのでまたの機会とします。また、この記事の末尾にて、以前このシリーズの「その1」で紹介した「1 宮山の石造物・上」のすぐ近くにある庚申塔群も紹介します。

 

6 川辺の田園風景

 百枝入口交叉点から県道636号を西に進みます。大字川辺に入りますと、ちょうど大野川が屈曲したところの内側に川辺部落があり、その周囲には美田が広がっています(冒頭の写真)。この一角は周囲の山々の景観と相俟って非常に風光明媚です。四季折々の風景を楽しみながらドライブするのもよいし、サイクリングやジョギングにももってこいのコースといえましょう。

 

7 正明寺跡の石造物

 道路右側の景観を楽しみながら進んでいきますと、左側に石造物が目に入ります。こは正明寺跡とのことで、立派な宝塔をはじめとして数基の五輪塔などが見られます。車は、少し手前の路側帯が広くなっているところに停めるとよいでしょう。近隣の文化財の中でも特に簡単に見学できるところです。

 道路端ぎりぎりに一段高い区画をこしらえ、この上に宝塔と厨子が並んでいます。順に紹介します。

 写真が悪くて見えづらいと思いますが、この宝塔は細部までよう残っており、保存状態がすこぶる良好です。高さは235cmもあります。全体の印象としては、相輪の特徴的な形状が目立ちます。ほかにも基礎の左右に格狭間を、正面には何らかの文様を彫っているところ、それから作り出しの路盤は連子模様ですがその中央にはお花模様のような文様が見られるところなど、興味深い点が多々あります。

 造立は明徳4年、凡そ630年前です!石材の質にもよりましょうが、石の文化財というものは長きに亙って残ります。途方もない昔と今をつないでくれるようなものであり、郷土の歴史の象徴としてとらえることもできましょう。
 塔身には四面に梵字が彫ってあり、その間に以下のような銘が彫ってあります。

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敬白
逆修講之人数
彦六藤九郎
■三郎八郎二郎
八郎太郎■三郎
八郎六郎彦二郎

新五郎
八郎三郎
妙悟三郎二郎
明徳二二年癸酉十月廿二日
大願主各
敬白

妙光玄法
妙林源氏女増一女
~~~

 上記のうち、紀年銘の「二二年」と申しますのは22年の意ではなく、4年です。これは四が死につながるのを嫌うて、このように表現したものです。他地域の石造物においてもときとき見かける表現です。全体は縦書きですが、「二二」は組文字のように横並びで彫ってあります。

 ところで、すぐそばに立っている標柱には「地元ではじろべえ様とよんでいる」とあるのですが、インターネット上では「しろべえ様」とあります。どちらが正しいのでしょうか。また、この呼称の由来は何でしょうか。

 この塔でも特に特徴的だと感じたところを、別の写真で紹介します。ご覧のとおり、露盤は笠からの作り出しです。側面が鉛直ではなく、笠よりは急勾配ですが斜めになっておりますから下端の接地面が広く、笠との段違いがごくささやかになっています。連子模様の中央のお花模様にも注目してください。

 蓮坐から相輪、火焔までは一石づくりです。蓮坐は二重花弁にて、上下が互い違いにずれて、なんとも優美な雰囲気を醸し出しています。相輪は中膨れで、所謂「宇目型」の宝篋印塔のそれにもよう似た姿です。この上端にもお花模様を線彫りし、赤い彩色がよう残っています。上のお花がまた優美で、めいめいの花びらには浅く線を入れて、実際の花びらのような風合いをうまく出しています。火焔の細やかな文様にも注目してください。何から何まで立派です。

 宝塔の隣の石祠は中が空で、何がお祀りされているのか分かりませんでした。基礎のつくりが珍しいと思います。

 区画の端の方にも石塔の部材が見受けられました。その向こう側、下の方には五輪塔が並んでいます。道路からの方が見学しやすいので、確認してみてください。

 ご覧のように完成系のものは少ないものの、こちらも鄭重にお祀りされています。ぐりんさんの区域に注連を張ってあるのはちぐはぐな感じもしますけれども、神様仏様の区別なく崇敬する昔からの習慣や、地域の方の素朴な信仰心が感じられます。

 

8 川辺の庚申塔(公民館)

 川辺部落内の2か所で庚申塔を見つけました。そのうち、公民館にあるものを先に紹介します。正明寺跡をあとに先へと進み、立体交差の手前を右折します。二又を左にとり、すぐ右側が公民館です。折り返すように坪に入り、駐車できます。

 手作りの看板が印象に残りました。川辺老人クラブの方々による花壇が整備されています。建物の裏側に回り込みますと、庚申塔などの石造物が並んでいます。すぐ分かります。

(手前) (梵字庚申塔

(奥)  (梵字)奉待庚申塔

 この2基は形も高さもそっくりで、銘だけが異なります。断面が正方形であり、尖端の形状が特徴的です。シンプルで、格好のよい塔ではありませんか。庚申塔でこの形状のものは珍しいと思います。「庚申塔」の銘の塔には、下の方に赤く彩色した蓮の花が見て取れますほか、文字の線にも朱がくっきりと残っていました。

 なお、この場所にはほかにも数基の庚申塔があり、すべて文字塔です。

 

9 川辺の庚申塔(くじゅう様そば)

 公民館の角を右折します。200m強進んだところの三叉路を右折し、道なりに行けば左の木森が庚申塚のようになっています。地域で「くじゅう様」と呼ばれている石塔よりは少し手前です。小さい地名が分からなかったので、前項との区別のために項目名には「くじゅう様そば」と付記しました。適当な駐車場所がありませんので公民館や正明寺跡そばなど、邪魔にならないところに駐車して歩いて来る方がよいでしょう。

青面金剛6臂、ショケラ

 この場所にある庚申塔の中で、刻像塔はこの1基だけです。正面にはお供えがあがっており、ほかの塔(文字塔)の周囲が荒れ気味であるのと対照的でした。以前も申しましたけれども、一定数の庚申塔がまとまっている中に刻像塔が1基ある場合、刻像塔をこの場所の庚申様の代表として特別にお祀りしてある場面が方々で見られます。こちらもその一例というわけです。

 それにしてもこの塔は珍妙を極めます。上部の破損が主尊には影響していないのは幸いです。上から見ていきましょう。厳めしく逆立った御髪は線彫りで表現してあります。その左側には余白のところに赤色が確認できますから、おそらく元々は彩色でもって火焔輪を表現していたのでしょう。右手(向って左)で三日月形に赤く彩色した月輪を掲げてあるのが確認できます。このことから、よくわからなくなっていますけれども左手では日輪を掲げていると思われます。このように、日輪と月輪を両手で掲げた庚申様は大野地方などで何度か見かけたことがあります。時間の経過や天体をも統べる、神怪しき力が感じられます。

 お顔はえらの張った四角い輪郭で、口許は優しそうな感じがしますがよう見ますと細い目をつり上げた様子がなんとも恐ろしく、不気味です。体の外に出した手では弓と矢をとっており、その大きさの比率などコチャ構やせぬとばかりに大きくデフォルメしてあります。腕の曲がり具合が自由奔放である点にも注目してください。異常なる大きさのショケラも、一度見たら忘れられないインパクトがあります。

 短い脚をガニ股に開いた立ち姿なども含めて、力強くどっしりとした感じもいたしますが、失礼ながら彫りや表現に稚拙な点があり、それがまた親しみやすさやかわいらしい雰囲気をも醸し出しており、ほんに魅力的な庚申様ではありませんか。

嘉(以下未確認)
奉待庚申塔

 この塔には植物がたくさん絡みつき、近付くのも難儀をしたので除去しませんでした。それで、銘を全部は確認できていません。おそらく嘉永年間の造立かと思います。

 この2基にも銘がありましたが、確認は省きました。このように、文字塔は藪の中に埋もれつつあり、状態もあまりよくありません。写真は省きますが、ほかにも数基の文字塔を確認できました。合計8基程度はあると見積もっております。

 

10 くじゅう様

 庚申塚を過ぎて少し行きますと、左前方に石塔が見えてきます。道路端なのですぐわかります。小道を通って道路から畦に上がれば、すぐ近くで見学することができます。この塔は近隣在郷でもなかなか珍しい形状で、たいへん立派です。見学をする場合、地域の方の迷惑にならないように、農繁期は避けた方がよいかもしれません。

 いかがですか、なかなか珍しい形状だと思います。このようなお塔や石仏、なんでもそうですが、低い位置から見上げますといよいよ立派に見える気がします。

 この塔は「石造五重塔」として県の文化財に指定されています。一般に石造の五重塔と申しますと、軸部から笠から、矩形のものが段々になっているものを想像されるかと思います。ところがこちらは、宝塔の笠から上が多層塔になったような造りであり、よそとずいぶん異なります。また、尖端は相輪ではなく一石五輪塔になっていますが、これは後家合わせかと思います。一見して最下段の屋根が傷んでいるのが惜しまれますほか、軸が少しぶれぎみのような気もしますけれども、概ね良好な状態を保っているといえましょう。

 塔身の四面には梵字を彫ってあります。豊後大野市のウェブサイトによれば、基礎1面に銘文があり、それによれば文明元年10月の造立とのことです。555年も前に、こんなに複雑な構造のお塔を造立するのは今よりもずっと難しかったと思います。どうして、こんな田んぼの端にぽつんと立っているのでしょうか?圃場整備などで移設されたのかもしれませんが、そのあたりの事情は分かりません。地域の方は「くじゅう様」と呼んで信仰が篤く、火伏の霊験あらたかとの伝承があるそうです。

 

11 宮山の庚申塔(下)

 道順が飛びます。このシリーズの第1回目で紹介した「宮山の石造物・上」のすぐ下にある庚申塔を紹介します。道順はリンク先を参照してください。

 さて、今回紹介する庚申塔は7基で、全部文字塔です。そして以前紹介した「宮山の石造物・上」の場所にも刻像塔が1基と文字塔が数基あります。同じ講中によるものと考えられます。

左から順に
梵字 青面金(以下埋没)
梵字 奉禮拝庚申(以下埋没) ※拝は異体字
梵字 奉待庚申
梵字 奉待青面金剛

 紀年銘の読み取りはすべて省きました。いずれも小型の塔ですが、右から2番目のものは銘の彫り方が堂々とした字体で、優れていると思います。

左から順に
奉拝庚申(以下未確認)
梵字 奉(以下未確認)
青面金剛

 この日あちこちをまわって最後に訪れたこともあり、疲れが出て植物を除去するのを忘れてしまいました。結果的に、写真を見ても中央の塔の銘がさっぱり分からず、悔やみましたが後の祭りです。

 

今回は以上です。次回は菅尾地区の名所を少しだけ紹介します。

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