大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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藁蓑 お稲荷様の庚申塔と一字一石塔(国東町)

藁蓑地区、お稲荷様の側にある庚申塔を紹介します。

 

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所在地:国東町大字大恩寺 藁蓑地区 稲荷社そば

 

 

 富来浦から、県道652号を文殊仙寺方面に登ります。オレンジロードと交叉し、犬鼻トンネルの新道(成仏方面へ)の分岐(※1)を左に見て、さらに直進します。※1から凡そ1.5kmで左側道路端に2階建ての農業倉庫(※2)があります。そのすぐ先、左側にお稲荷さんの鳥居があります。車は、鳥居の横か路肩にとめます。お稲荷さんの参道を登り詰めると、境内との間に里道(作業道)が横切っています。そこを左折し、里道をやや下りますと道路沿いの左側、やや高い位置に写真の庚申塔が立っています。

 この道をまっすぐ道なりに下って行きますと※2の箇所のやや下手に出ます。軽自動車であれば通行できますが転回に難渋しそうですし、椎茸等の作業の車と行き遇ったら離合ができませんので、お稲荷さんの参道から歩いて上がる方がよいでしょう。

 

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庚申塔

一面四臂、二猿(三猿)、二鶏

 

 宝珠をいただいた笠が目につきます。破風のお花模様もかわいらしく、なかなか立派な笠です。ほっそりとした塔には、童子は見られませんが、その分大きな青面金剛をドンと配置し、下には小さな猿と鶏。大きさの対比をつけることで金剛さんのインパクトが増しており、これは意図的なものかはわかりませんが効果的なデザインだと思います。

 金剛さんは残念ながらお顔が傷んでいますが優しそうな表情で、彩色のよく残る衣紋をまとい、まるで羽衣天女の裾のような模様が線彫りで表現されています。猿は2匹しか見られませんが、金剛山の足許の台座のようなところ、ここの傷みがひどく、或いはもう1匹刻まれており正三角形をなすような配置であったのかもしれません。塔がやや傾いていることから、もしかしたら昔転倒したことがあり、補修したのではないかと思われます。そうであれば、そのときに傷んだのかもしれません。

 台座の中段には造立に関った方の名前がずらりと刻まれています。どうして集落から離れたところにこんな立派な塔が?と思いましたが、その理由としては①前の里道が昔は山越えの道として機能していた、②すぐの田んぼをお守りしてほしかった(田の神の依代)、この2点を考えました。②について、里道沿いから分かれて山際を古い水路が通っているのが目に入ります。今は使っていないようにも見えますが、おそらく大工事であったことでしょう。今は減反で耕作していませんが、昔はお稲荷さんのすぐそば辺りまでがおそらく棚田であったかと思われ、今も石垣等が見られます。

 その水路に沿うて歩いてみますと、今は顧みる人もないようですがいくつかの石造物が目に入りました。

 

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 特に興味を惹かれたのが写真の石造物です。上部に右書きで「一字石」、下には右から順に「弥陀経」「法華経」「地蔵経」とあります。この「一字石」とはおそらく「一字一石」、つまりこれは一字一石塔なのでしょう。小さくて表面の滑らかな石を川原などで拾ってきて、その一つひとつにお経を一文字ずつ書きます。お経の文字数だけの石を地中に埋めて、その上に建てた塔が「一字一石塔」です。方々で目にしますが、このように3つのお経をひとまとめにしたものはなかなかないのではないでしょうか?たいへんな労力かと思います。昔の人の信仰心に驚嘆いたしますとともに、今は山林になっておるこの地にこのような立派な石造物が残るのはどうしたことだろう、ここは何か特別な場所だったのだろうかといろいろ想像が湧き、しばらくその場を離れることができませんでした。地域の方が屋外に見当たらず、由来を尋ねることができなかったのが残念です。