大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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三重の名所めぐり(三重町) その1

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 最近、三重町を訪れる機会がありました。そのときに数か所のみですが石造物を探訪いたしまして、あらためてこの地域の文化財の数・多様性に目を見張った次第でございます。

 さて、三重町は菅尾・三重・百枝・新田・白山の5地域に大きく分けられます。これらは旧町村域による区分で、このうち旧白山村は昭和30年代の合併時に清川村に入ったものの三重町への合併を望む声が大きく不満がくすぶりまして、揉めに揉めて旧村を二分する大騒動になり、結局大部分の地域が三重町へと分離編入に至った経緯があります。そんな騒動ももう遠い昔のこと、今は三重側も清川側も、同じ豊後大野市の仲間になりました。また、旧因尾村(本匠)の大字山部は片内部落と、旧南野津村の大字西畑は入北部落も交通の事情等により三重町に分離編入されました。当たり前のように「三重町」と括られる地域に、このような複雑な経緯がございます。

 今回は三重町の中でも、三重地区(旧三重町+西畑+片内)の文化財を少し紹介します。三重地区の中心市街地は、古くは三重市(みえいち)と申しまして犬飼や野津市と同様に隆盛を極め、今なお豊後大野市中心市街として繁栄しています。それ以外の地域は農村・山村でございまして、殊に鷲谷から片内にかけて、それから内山のうち松谷・宝河内・山中あたりは市街地の喧騒を遠く離れた別天地の感がございます。この地域は道が悪くて自動車の運転に往生しますが、あの山また山の奥山に点々と残る石造物には、なぜかことさらに心惹かれるものがございます。それで手始めに、三重地区の中でも山間部の地域を巡ってみることにいたします。

 

1 松尾の石造物(イ)

 三重庁舎から国道326号を菅尾方面に少し進み、「→鷲谷」の表示のある青看板に従って右折し県道35号(三重弥生線)を進みます。この県道35号は山間部の険なること甚だしく、道端に「三重弥生線の早期改善を!」のような垂れ幕が見られます。現状では鷲谷から虫月(本匠村)まで断崖の隘路が長く続いており非常に時間がかかりますので、地域内の往来以外の実用性は低いといえましょう。

 ともあれ、悪名高い県道35号も三重寄りの部分は改修済みで、快適な2車線路が続いていますから安心して通れます。左側に松尾公民館を見て、その先で左に旧道が分かれます。その旧道を行きますと、少し進んで現道に合流するところの左上に石造物が並んでいます。大字松尾のうち部落名がわかりませんでしたので、区別のため項目名に「イ」と付記しました。

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 中央は「金光明経一石一字塔」です。金光明教・法華経・仁王経を「護国三部経」というそうで、格の高いお経であります。よく一字一石塔には「大乗妙乗一字一石」などと書かれてあるものが多い中で、「金光明経」と明示してあるものは珍しいのではないでしょうか。

 そして左は庚申塔です。御影石でありましょうか、見るからに新しく、方々で見かける庚申塔よりも明らかに新しそうです。それもそのはず、平成元年の銘がありました!平成に入ってからの庚申塔は数えるほどしかないと思います。三重史談会『庚申信仰史料集』によれば、三重町内の庚申講が戦後次々と途絶える中で、この地域の庚申講は平成に入ってもなお続いている(いた)そうです(現状は不明)。座元の座敷に掛軸をかけてお座を持っておりましたが昔の庚申塔がないので、平成元年を紀念して新しく庚申塔を造立したとのことで、これは非常に珍しい事例でありましょう。

 この山間部の地域にありましては人口も減少していることと思いますが、平成の世になってもなお庚申様への信仰を絶やさずに守り続けた地域の方々に頭が下がります。立派な庚申様は、地域の作の神としての霊験はもとより、前の道路を通行する方々の安全をも見守って下さっているような気がいたします。ほんにありがたいことではありませんか。道路が広くなり、自動車のスピードが上がっています。交通安全に気を付けたいものです。

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 右の祠です。草に隠れていたので近づいてみました。天神様ではないかと思います。

 

2 松尾の石造物(ロ)

 平成元年の庚申塔を過ぎて少し行くと人家が途切れます。ほどなく道路が左に大カーブしており、その外側に石造物が寄せられています。

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 台座の上の石造物は、向かって左端が三界万霊塔、右から2番目のお花の上がっている塔が庚申塔です。

 

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奉待庚申塔

 梵字が見事な花文字になっています。まるで蔓草のような美しさが感じられました。こちらの塔は折損の跡が痛々しいものの、それ以外は概ね良好な状態を保っています。宝暦年間の塔で、先ほどの平成の庚申塔とは200年以上の開きがございます。石の文化財というものは長い年月を経てもこうして残りますから、昔と今をつなぐ架け橋のようなものといえましょう。

 

3 旧三重南小学校

 道路端の庚申塔を過ぎると、川向かいに赤い屋根の校舎が見えます(冒頭の写真)。こちらは旧三重南小学校の跡地です。三重南小学校は平成11年より休校、平成19年に廃校となりました。平成半ばまで、あの木造校舎・講堂が現役であったとは驚きです。末期には子供が少なく、運動会などは保護者や地域のお年寄りなどが総出で参加して盛り上げていたことでしょう。いくら子供が少なくなったとて、地域から学校がなくなるというのは寂しいものですし、地域の方や卒業生の心中はさぞやと思われます。でも、旧三重南小学校は「あかい屋根の郷」として、地域のイベント会場や小学生の課外授業の場として活用されているそうです。懐かしい木造校舎は、松尾から鷲谷にかけての地域の拠点として、今後も長く活躍することでしょう。

 

今回は以上です。ひとまず大字松尾の文化財・名所を少し紹介してみました。次回は大字鷲谷を予定しています。