大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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上伊美の名所めぐり その3(国見町)

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 大字千灯は名所旧跡のオンパレード、まったく犬も歩けば何とやらの密度でございまして、特に五辻不動や旧千灯寺跡は国見観光のメッカとしてお参り・自然探勝・文化財探訪に杖を曳く方があとを絶ちません。近年は大不動岩屋をはじめとする西不動を探勝される方も多くなりました。それ以外にもたくさんの文化財・名所があります。今回から数回に分けて、千灯の名所旧跡を紹介していきます。

 

○ 西不動について

 大字千灯と西方寺の境界、鷲巣(わしのす)と黒木山の中間に大規模な岩峰群が広がっており、この一帯を西不動を申します。旧千灯寺から見て西側にあることからの呼称です。麓の尻付岩屋を皮切りに、岩根を縫うて、また尾根伝いに難所の道を辿れば、大不動岩屋、小不動岩屋、大藤岩屋、天疫神岩屋、太郎天岩屋、妙見岩屋等の霊場が点在しています。これらは修験者の霊場であり、地域の部落の中にある堂様などとは様相が異なります。道が険しいのでよほど興味関心のある方や山歩きのお好きな一部の方以外には知られていなかったものを、この数年で大不動岩屋や阿弥陀越周辺の景勝が広く知られるようになりまして、地域外の方も盛んに訪れるようになりました。

 尻付岩屋から谷筋を詰めていけば阿弥陀越に至ります。ここから尾根伝いに修験の道が伸びているほか、直進して谷筋を下れば西方寺に至ります。阿弥陀越は、修験者の通行以外にも、地域の方が西方寺の谷と伊美の谷の往来に盛んに通行していた歴史の道です。素晴らしい自然景勝地天台密教の史蹟、または郷土の生活に根差した史蹟もでありますので、上伊美地区を探訪される際には必ず訪れるべき名所中の名所です。太郎天岩屋などは行き方が難しいものの、大不動岩屋や阿弥陀越はそう難しい場所ではありませんから、天気のよい日に山歩きを楽しまれてはいかがでしょうか。

 

11 尻付岩屋

 前回紹介した赤根の一ノ瀬池を起点に、県道を千灯方面に下って行きます。道路左側に「大不動岩屋」の看板があるところの手前、路側帯が広くなっているところに車を停めて、左折して少し行けば岩陰に尻付岩屋がございます。西不動の霊場の中で、山歩きをせずにお参りできるのはこちらだけです。

 冒頭の写真のように、岩陰にめりこむように堂様が建っています。そう古そうな建物ではありません。外側にはお六部さんの供養塔がございます。夫々、お参りをしてください。

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天下和順
回国供養 ※回と養は異体字
日月声明

 昔、日本には66の国がありました(大分県豊前の国と豊後の国)。回国供養とは諸国巡礼の旅です。お経を66部書写して、それを国ごとに1か所ずつのお寺に納めて廻ることを「六十六部回国供養」と申します。この巡礼者を、六十六部を略して「六部」とか「お六部さん」と呼んでいました。盆口説の段物(お塩亀松など)で「六部」という言葉を聞いたことのある方も多いと思います。諸国巡礼を終えて無事国元に帰還した紀念の塔が、回国供養塔(六部塔)です。日本各地に残っているそうで、大分県内でも方々で見かけます。県内で見かける回国供養塔には、たいてい仏様が乗っています。それは、その仏様にお参りする方にも六部巡礼の霊験がありますようにという願いが根底にあるのでしょう。自身の功徳の印ではなくて、世の為人の為に紀念の塔を造立したと思われます。

 こちらの千手観音様は、細かい彫りがよう残っています。細部まで行き届いた表現で、秀作と言えましょう。千手観音様は手の平にも目がついていて、生きの命の者皆をを救うてくださるありがたいお観音様でありまして、昔から絶大なる信仰を集めてきました。

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 堂様の中には痛ましいほど朽ちてしまった木彫りの仏様が6体安置されています。よしそのお姿が傷んだとて、その内にある仏様の霊験は少しも変わらず、信仰が続いています。

 

12 大不動岩屋

 尻付岩屋の前の林道を上ります。この道は軽自動車までならどうにか通れますが路面状況が非常に悪くスタックや脱輪が懸念されるほか、落石や枯れ枝等の落下物が多いので運転に難渋します。ですから、歩いて行くことをお勧めします。登り詰めたら鷲巣林道の半ばに突き当たります。左折して少し行き、大不動岩屋の標識に従って右折して作業道(軽トラック以外不可)を登っていきます。

 どうしても車で上がりたい場合は別のルートをお勧めします。県道をずっと下っていき、旧道と新道の分かれるところの手前を左折して、その先の二又を左にとってくねくねと登っていけば櫛海(くしのみ)の谷の奥詰めに突き当たります。左折して、「鷲巣岳」の標識のある三叉路を直進すれば鷲巣林道ですから、これを進めばよいのです。ただし道幅が狭く落石も目立ちますから、運転には注意を要します。先ほど申しました作業道のかかりに、邪魔にならないように駐車しましょう。

 作業道の終点からは、人が1人歩ける程度の幅の細道になります。谷川に沿うてなだらかに上っていけば、宝篋印塔などいくつかの石造物が道端に残っています。

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 相輪が破損しているほかは良好な状態を保つ宝篋印塔です。この近くから左方向に小不動岩屋への道が分かれています。沢に沿うて上っていけばすぐ着きますが、少し分かりにくいかもしれません。適当な写真がなかったので今回は省きます。

 谷筋を少し進み、大不動岩屋の標柱に従って右に折り返すように登ります。

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 崖の中腹に、ぽっかりと大きな穴が開いています。大不動岩屋がいよいよ近くなりました。右側は崖になっているので転げ落ちないように気を付けながら、岩場をトラバースして登っていきます。手がかり足がかりがたくさんありますので、見た目よりもずっと容易に通れます。

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 岩屋の中はかなり広く、近隣に多数ある岩屋の中でも特に規模の大きなものであると存じます。昔はこの岩屋の中に石造のお不動様が安置されておりましたが、盗難を懼れて、今は西方寺の中ノ谷不動に安置されています(以前紹介しました)。

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 岩屋の中からは素晴らしい景観が臨めます。何度も訪れたことがありますが、毎回逆光で上手に撮影できません。よい写真を撮りたいときは午前中がよいでしょう。

 

13 阿弥陀

 大不動岩屋から後戻って、谷筋の道を上っていきます。徐々に傾斜が増してきて、羊歯がはびこってやや荒れ気味の感もありますが、赤テープを辿れば道を外れるようなことはないでしょう。しまいにはトラロープを頼りの急坂になります。頑張って登って尾根筋に出たところが阿弥陀越です。

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 ここから正面に下ればすぐ、大藤岩屋(阿弥陀堂)にでます。西方寺の方によりお祀りされていた阿弥陀堂も今や朽ちかからんとする状態です。下っていけば西方寺に出ます。もしお友達などと一緒に探訪される際は、車を予め西方寺側に1台とめておくとよいでしょう。

 阿弥陀越から左折して急坂を登れば岩尾根上の展望所に出ます。360度の素晴らしい景観を楽しめますので、お弁当を広げるのもよいと思います。山名の表示板も整備されています。ここから尾根道を行けば、ところどころに見晴らしのよい場所があります。太郎天岩屋に行くときはこの道を辿ります。

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 いちめん山また山、岩峰や屏風岩ものすごい迫力に圧倒されます。

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 景色に見惚れて足を踏み外さないように気を付けてください。山深い場所なので単独行は避けたほうがよいでしょう。

 西不動のほかの霊場や鷲巣については、またの機会に紹介します。

 

14 千灯石仏

 西不動から尻付岩屋まで後戻り、県道を下っていきますと谷が広がります。政所(まんどころ)部落に出ますと、道路端に「千灯石仏」の標識が立っています。ここから左折して折り返すように舗装路を上がるのですが、軽自動車でも曲がり切れませんのでその坂道の上がり端に突っ込んで停めるとよいでしょう。

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 舗装路を上がって振り返った景色です。春には桜が咲いて、のどかな田園風景を見晴らします。ここから先は未舗装の道になります。その境目の右手は広場になっています。

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 建物は撤去され、基礎のみが残っていました。左に建っている碑銘は日露戦争の忠魂碑です。

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神幸殿敷地寄附 川上吾郎

 この用地はどこかの神社の御旅所であったようです。近隣の神社でしょうから、龍神社か臼杵神社でしょう。今は、御神幸が出るようなお祭りはしていないようです。

 碑銘を見学したら参道に戻って先に進みますと、ほどなく堂様が見えてきます。

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 堂様はそう古い建物ではなさそうです。以前は引き戸を開けてお参りしていたものを、戸が外されていました。横に建っている庚申塔は後で紹介します。

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 説明板の内容を転記します。

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県指定史跡(昭和32年3月26日指定)
千灯石仏
所在地 大分県国東市国見町千灯
所有者又は管理者 川上辰生
年代 鎌倉時代松~南北朝時代

 幅160cm、高さ70cm、厚さ50㎝の一枚岩に薄肉彫りした弥陀来迎図である。
 向かって右下の入母屋造屋形内に合掌僧形人物像と、それに向かって下って来る阿弥陀如来、奏楽・舞踊の諸菩薩を彫る。阿弥陀・諸菩薩ともに光背を彫りくぼめ、像体が浮き出す手法をとる。
 脇侍に不動明王多聞天像を配するのは、豊後磨崖仏に共通する特徴である。
 六郷満山に浄土教信仰が浸透してきたことを示す資料として貴重なものである。

国東市教育委員会 平成22年3月

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 彫りが浅く、細かい像をたくさん彫っているので一見して分かりにくいかもしれmせん。ですから先に説明板の内容をよく把握して見学することをお勧めします。向かって右端に小さな建物、その中に坐っているのはお坊さんで、それ以外のたくさんの仏様は楽器を演奏したり踊ったりしている菩薩と阿弥陀様とのことです。説明板にあるとおり光背を彫りくぼめて表現してあることで、ごく浅い彫りにもかかわらず諸像が浮き出るような効果が出ています。彫りが浅いので却って傷みが少なく、この細かい彫りがよう残っているのでしょう。これだけのものが自由に見学できる状態で、柵もガラス板もないままに安置されています。とても珍しい貴重な文化財でありますので、見学されるときには手で触れないように気を付けたいものです。これと似た趣向の磨崖仏が旧千灯寺の奥の院に残っていますので、後日紹介します。

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青面金剛6臂、2童子、2猿、2鶏

 所謂「異相庚申塔」です。五角形の掘り込み、十字架に見える三叉戟、合掌の腕の形などから、潜伏キリシタンに関連するものかもしれないという説があります。しかしあくまでも像容からの推測ですので、否定も肯定もできません。このタイプの庚申塔国見町香々地町に多く残っています。

 主孫の髪型が風変りで、まるで頬かむりをしているように見えてまいります。お顔の表情は読み取りにくくなっていますが、頬がむっちりとしていて鼻筋が通り、リアルな人物像のような雰囲気がございます。大きな蛇の不気味なことといったらどうでしょう。衣文の下部には細かいひだが表現されています。下半身が寸詰まりで、脚がずいぶん小さいのも見逃せません。

 童子は両手を袖に隠して行儀よう立っています。主尊の腕や体、蛇に囲まれるようにして狭い範囲にやっと収まっていますので、特に向かって左の童子など窮屈そうでお気の毒なことでございます。猿はめいめいに横向きで、よう見ますとポーズが異なります。左の猿は正坐をした上半身を前になんかけるような姿勢、右は斜めに傾いて立っているようです。そう考えますと右と左でずいぶん、体の大きさが異なります。鶏は主尊の足場の真下に、猿に挟まれるようにして仲良う向かい合うています。猿と鶏がなんとも微笑ましい雰囲気が、この庚申塔のいちばん好きなところです。

 千灯石仏を見学される際には、この個性的な庚申塔も見逃さずに、細かいところまでじっくり見ていただきたいと思います。

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 堂様の左奥には半肉彫りの仏様が2体並んでいます。供養塔か、古い墓碑の類と思われます。見落としやすいので、気を付けて捜してみてください。

 

今回は以上です。寺迫の金毘羅様や龍田社まで紹介する予定でしたが、文字数が多くなりすぎるので次回に回します。