大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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竹田津の名所・文化財(国見町) その1

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 国見町大字西方寺の名所・文化財を紹介します。西方寺は旧竹田津町の内陸部に位置しておりまして、山を隔てて香々地町や西不動(国見町)と接しています。かつては山越しの徒歩道が縦横に伸び、交通の要衝でありました。最近はミツマタ群生地として名を上げ、春にはたくさんの方が行楽に訪れて賑わうようになっております。

 さて、この地域には見るべきところが数多いものの、私にはいささか不案内な土地でありますのでまだほんの少ししか見学できておりません。ひとまず下記6か所を2回に分けて掲載いたしまして、残りはまたいつか見学でき次第…ということになります。

(その1)

1 野田下組の庚申塔

2 窓の迫

3 中ノ谷不動尊

(その2)

4 清浄光寺

5 許波多社

6 堂前の庚申塔

 1 野田下組の庚申塔

 竹田津市街地より西方寺方面に進みます。川に沿うて行きますと、左側に清浄光寺が見えてきます。そちらに渡る橋には曲がらずに通り過ぎて、一つ目の角を左折し林道に上がります。この道はミツマタ群生地に上がるのに多くの方が通られる道ですが幅員が狭く、途中より砂利道になります。普通車でも問題なく通行できますが離合に難渋しますし見通しの悪い箇所が多々ありますので、気を付けてください。

 コンクリ舗装の林道をしばらく行きますと、下の写真の箇所に出ます。

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 このように左側がえぐれており、道路の下は暗渠です。すぐわかると思います。ここから右に下りたところに庚申塔があります。この少し先、僅かに路肩が右に広がっています。そこに駐車するしかないと思いますが、迷惑になるような場所ですので急いでお参りをして車に戻る必要があります。ミツマタの時季など、交通量の増す季節は避けた方が無難です。

 この暗渠の右側を見下ろすと、庚申塚のようになっているところが見えますのですぐわかります。歩いて降りるには問題ない程度ですが急坂ですので、気を付けて下ってください。

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 刻像塔の背後に、庚申様の家来(庚申石)がたくさん立っています。塔の後ろを見ながら降りる格好になりますので気が引けますが、このルートが簡単です。昔は下の集落から上がる道があったはずですが、減反等の影響からか道がわからなくなっています。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼

 全体的にレリーフ状の扁平な彫りで立体感に乏しく、表現も稚拙ではございますが、堂々としています。庶民の信仰のエネルギーがほとばしるような、たいへん立派な塔です。まず金剛さんのお顔に注目しますと、どんぐりまなこを吊りあげて、口をヘの字に曲げた厳めしい表情です。でも、鼻の穴を吹き広げてヘソを曲げているような雰囲気が見てとれて、ただ厳めしいだけではなくてある意味で人間らしい、親しみやすさをも感じました。三叉戟や宝輪、蛇などの持ち物を大きく表現していて、いよいよ金剛さんの力強さを引き立てているような気もいたします。そして異常なる短足で邪鬼を踏みしめているわけですが、うずくまっている邪鬼は観念しているのでしょうか、珍妙な姿勢にて「われ関せず」の表情のようにも見えてきます。

 童子は、袖の表現が形式的で、金剛さんの衣紋の細やかな表現と対照的です。その表情は金剛さんによく似て、やや怒っているように見えます。猿は、左から言わざる・聞かざる・見ざるのポーズで、左右の猿は横向き(中央を向いている)になっているのが特徴的です。そして鶏は左が雄鶏、右が雌鶏でしょうが、いずれも体は左を向いています。それなのに、雄鶏は首を捻じ曲げるようにして真後ろを見返り、雌鶏を見つめています。とてもおもしろい表現です。しかも雄鶏は脚を4の字に交叉させて、まるでフラミンゴのような立ち方です!邪鬼や猿、鶏の表現に遊び心が感じられて、楽しいではありませんか。全体的に見て摩滅が少なく、彩色もよく残っています。この塔は正徳2年(1712年)の造立ですが、とても300年も経っているとは思えない保存状態です。

 

2 窓の迫

 さて、林道に戻りまして先に先にと進んで参りますと、ミツマタの群生地が5か所あります。そのうち第3群生地(冒頭の写真です)付近にて、清浄光寺前の道を直進して上がってきたところが右から合流します(丁字路)。この辺りに来ますと砂利道とコンクリ舗装が交互になりまして、砂利道の箇所にやや凹凸がありますので徐行しましょう。右から上がってくる道は無視して道なりに行き、第5群生地も過ぎます。第5群生地の先、小さな切通しにて下り坂に転じます。その切通しにかかるところの右側に、林道と平行にコンクリ舗装の道(急な登り)が分かれています。ここが窓の迫に行くのにいちばん分かり易い入口ですが、自動車は上がれません(軽自動車ぎりぎりの幅はありますが上がってすぐ車輌不可の道になります)。この分かれ道よりも手前に、左側が広くなっているところがありますのでそこに駐車してください。注意点として、左右が植林地になりその中をまっすぐ下っていくところまで行くと行き過ぎです。その下はもう、香々地町山ノ神地区です。「第5群生地から数えて一つ目のコンクリ舗装」が入口です。

 コンクリ舗装の急坂を上がったら右に折れると、すぐ害獣よけのネットがあります。その右側から越えて、尾根伝いに歩いていきます。ところどころの立ち木に赤テープがありますので、注意深く辿っていきましょう。しばらく行くと左下にまた害獣よけのネットがあります。ここは右方向に行きます。尾根伝いにテープを辿って上り下りしていくと、右側に上下二段にテープの巻かれた気があります。このテープを絶対に見落とさないようにします。尾根はまっすぐ続いていますが、この二重テープのところで右に下っていき、支尾根に進みます。もし尾根上に鉄条網が出てきたら、二重テープを見落として行き過ぎています。戻ってください。

 支尾根伝いに赤テープを辿っていくと、窓の迫の上に出ます。窓の迫とは、下の写真の場所です。

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 このように、岩尾根の下がほげて、天然のトンネルになっています。ここを窓の迫といいます。トンネルというよりは、天然の岩橋が架かっていると表現した方が適切かもしれません。上を歩いて渡れます。両側は切れ落ちていますが幅がありますので、極端に端に寄らなければ安全です。上を渡ったら、テープに沿って谷に下ります。すると写真の場所に到着します。

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 なんとも雄大な景色ではありませんか。自然の不思議、天然の美を感じずにはいられません。以前、山国町の西京橋を紹介しました。あれよりは小規模ですけれども、実際に谷底に下り立ってみますとその迫力に圧倒されます。

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 窓の迫を抜けて、下から見上げた様子です。たいへんな急坂を下ることになりますが、地域の方がトラロープを設置して下さっていますので容易に下ることができます。ここを進んでいくと、京来下部落に出ます。京来下は、西浄光寺前の道をまっすぐ登っていったところの、西方寺の谷の奥詰めにあたる集落です。

 赤テープを巻くなど道に迷わないように配慮して下さっていますが、二重テープを右に下るところだけ間違わないように注意が必要です。山深いところですので単独行は避け、ご家族で、またお友達と散策することをお勧めします。手軽なハイキングコースとしてきっと楽しめることでしょう。

 

3 中ノ谷不動尊

 今度は京来下部落を目指します。ミツマタ第三群生地の近くから下ってもよいのですが道がたいへん狭いので、林道を西浄光寺付近まで戻りまして、市道を上がっていく方がよいでしょう。道路左側に「京来下」バス停があります。広くなっていますので、駐車させていただいても邪魔にはならないと思います。

 バス停の下手からコンクリ舗装の里道を歩いて田んぼに下り、橋を渡って直進しますと正面が十字路になっています。直進して少し上がると、右上に堂様が見えてきます。ここが中ノ谷不動尊です。

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 堂様からは、京来下の集落がよく見えます。この地域を守ってくださる、ありがたいお不動様です。坪に石造物が残っていますので、見学されるとよいでしょう。

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 五輪塔など、いくつもの石造物があります。その中で、仏様を三角形に配置した小さな石塔が気になりました。このような塔は、大昔の庚申塔で猿だけを刻んだ刻像塔を思い起こさせますが、こちらは庚申様ではないようです。よく見ると、合掌している手の平が完全についておらず、ふんわりを合わせているように見えます。いかり肩で、オメガーの拝み手。この三角形の配置は、或いは三位一体を表現しているのではないか、潜伏キリシタンの関係の塔では?など、いろいろ考えました。素人の勝手な推測に過ぎませんが、いろいろ考えて興味深く拝見いたした次第です。

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 堂様には自由に上がってお参りをすることができます。ご丁寧に、蝋燭やマッチも用意して下さっています。ありがたくお参りをさせていただきました。お不動さんの石像がたいへん立派です。写真はありませんけれども、屋内の左右4か所に小さな格子戸があって、それぞれにいろいろな仏様が安置されています。青や赤など、彩色のよく残る見事な木仏です。見落とさずにお参り・見学してください。こちらには案内板がなかったのが残念です。でも、境内はきれいに掃除されており、屋内も清潔で何もかも行き届いた様子からは、今なお近隣の方の信仰を集めていることがよくわかりました。

 実は、この堂様にお参りしたのは全くの偶然で、京来下の庚申塔を捜している過程で見つけたのです。『くにさき史談第九集』や『国見物語第一集』、それから大上先生のブログの記述などよく読み込んで捜したのですが、残念ながら庚申塔は見つけられませんでした。でも、偶然とはいえこんなに立派な仏様にお参りをすることができ、よかったと思います。京来下の庚申塔については、どなたかにお尋ねしないと私には難しいと感じました。またよく調べて、いつか再訪したいと考えています。

 

(その2に続きます)