今回は弥生町は上野地区のうち、上小倉の磨崖石塔群とそのすぐ上にある山王神社を紹介します。磨崖石塔群の特異なる造形や配列、歴史的な背景は、学術的にも注目を集めてきたようです。一般の遊覧者は少なく、よほど興味関心のある方しか訪れませんけれども、保存状態が頗る良好であるうえに人里に近く簡単に見学できます。大分県の石の文化の一端を示す史跡でありますし、県下に多数残る磨崖仏・磨崖石塔群の代表格でもあります。釈魔大権現とならんで、弥生町を代表する名所といって差し支えないでしょう。それで、弥生町の記事の第1回目として取り上げることにしました。
1 上小倉の磨崖石塔群
近くに適当な駐車方がありませんので、弥生振興局(旧弥生町役場)に停めて歩くとよいでしょう。振興局のところの三叉路から、山裾の家並みに沿うた道を進むと「磨崖石塔」の標識が立っています(冒頭の写真)。
標識のところを右折して、この背戸を入ります。標識がなければちょっと入るのを躊躇するような道で、しかも奥に行けば民家の裏庭のようなところに出ます。でもすぐ先に磨崖石塔群が見えてきますので、特に迷うようなことはありません。
後で紹介する山王神社の参道石段下の右側、幅の広い岩壁の広範囲に亙ってかなりの数の石塔群が彫られています。とても1枚の写真には収まらないので、順々に紹介します。
左端の区画です。まず目につくの宝塔で、丸彫りに近いかなりの厚肉彫りでこしらえています。これほど厚肉に表現するのであればもはや単独の塔を造立した方が容易いと思われます。その左右には浅い龕の中に薄肉彫りの五輪塔をこしらえています。宝塔にくらべますとずいぶんささやかな表現ではありますけれども、一つひとつの造形はしっかりしています。宝塔の左側を別の写真で見てみましょう。
箒が立てかけてあるところも大きな宝塔の形になっていますけれども、ほかの宝塔とは違いレリーフ状の表現です。その右側をご覧ください、段違いでこしらえた龕の中の五輪塔のなんと小さいことでありましょうか。どのような意図でこの部分のみ段違いに、しかもこんなに小さく表現したのでしょう。自由奔放な感じがいたしますし、小さなお塔が可愛らしくて、この一連の磨崖石塔群の中でも特に好きなところです。
こちらは磨崖ではなく、普通の宝塔(ただし塔身は矩形)です。やや傷みが進んできています。
左端(手前)は、特に大型の五輪塔でございます。驚くべきことにこれも磨崖なのです。塔身など饅頭型の造形にて、一見して単独のお塔に見えてまいりますけれども、後ろが崖とつながっています。覆い屋の柱の、手前から2本目のところをご覧ください。ちょうど仕切りのように手前に迫り出したところにの側面にも小さな五輪塔が彫られています。
一つ前の写真に写っていた磨崖五輪塔を正面から見た写真です。なぜにここまでというほどの厚肉彫り、見事なものではありませんか。台座にあたる部分の正面には梵字が彫られています。
宝塔群もまた素晴らしい造形であり、一見して磨崖と気付かないような厚肉彫りで、しかも各部材の接合部にあたる箇所には丁寧に溝を切っています。一石づくりどころか、部材を重ねてこしらえたように見せる工夫がなされているのです。矩形の塔身には、3面に梵字が刻まれています。台座の連子模様も丁寧な彫りで素晴らしい。
この宝塔も、斜めから見ますと磨崖と分かりますが、正面から遠目に見ると磨崖には見えません。塔身の梵字や台座の連子、相輪などがよう残っています。その左右には龕の中に五輪塔を彫り、まるでこの3基がちょうど主尊と脇侍のような関係に見えてまいります。左側には、手前に迫り出した箇所の上部を五輪塔になしており、自由奔放と申しますか、とにかく彫れそうなところには何らかの塔をこしらえようとしているような意気込みが感じられるではありませんか。
奥の方の五輪塔は、今まで紹介してきたものとはやや様相を殊にしており、国東半島でときどき見かける磨崖五輪塔によう似た半肉彫りの造形です。
現地を訪ねるまで、まさかこれほどの規模・質であるとは思いもよりませんでした。その造形の見事さ・配列のおもしろさに、夢中で見学した次第でございます。近くを通る際にはちょっと寄り道をして、実物を見学をしていただきたいと思います。これほどの磨崖石塔群はそうそうないでしょう。
説明板の内容を転記します。
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この磨崖石塔は8基の宝塔と大小種々の34基の五輪塔からなり、凝灰岩の磨崖面に、塔の正面と側面の一部を浮彫りとして力強く彫り出されてあり、外に類のない独特の彫法である。
塔を作った年代は大部分が不明であるが、永い年代にわたって彫りつがれたものと思われる。年代のはっきりしているものは嘉暦元年(西暦1326年)の1基、嘉暦4年の塔2基、康永4年(西暦1345年)の塔1基の計4基である。
本塔群のもつ特異性は、よく調和のとれた形態の優美なこと、その力強い彫法とであり、薬研彫の梵字と(判読不能)。よく鎌倉時代の質実剛健の気風があらわれている。
なお前庭地下からは数点の中世土器類の破片が発掘された。
弥生町文化財保護保存会
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山王神社は比叡山は日吉大社からの勧請であり、日吉神社、日枝神社などもみなこの仲間であります。県内のあちこちにある神社で、上小倉の山王神社は磨崖石塔群のすぐ横から参道の石段が伸びています。
直線的な長い石段は蹴上げが低く、容易に通行できます。浮石等もなく、安全にお参りすることができました。いま、参道の左右は藪になっていますが、この付近に横穴墓群もあるそうです。藪に埋もれていて見学は困難とのことですので、今回は省きます。
参道を登り詰めたところから麓を見返って撮りました。耕地整理の終わった田んぼの向こうに、国道10号やセブンイレブンが見えます。旧大坂本村・上野村・切畑村は元来純然たる農村地帯でありましたが、国道10号(旧36号)の開通により沿線に商店が増加し、徐々に街村の様相を呈して戦前のうちから繁栄していたそうです。戦後、3村が合併し弥生村、弥生町と発展する中で平野部においてはいよいよその傾向が強まっています。
小高い丘の上の境内は整備が行き届き、樹木はきちんと選定されていました。つつじの時季は特によいでしょう。とても気持ちのよい空間です。何はともあれお参りをいたしましょう。
境内の一角にはかなり大きな宝塔が1基立っています。破損が目立つのが惜しまれます。
境内左奥にはいくつかの小祠が並んでいます。摂社と思われます。
十社大明神は高千穂神社の祭神として知られています。三毛野命(神武天皇の皇兄)とその妻子神(鵜目姫命・御子太郎命・二郎命・三郎命・畝見命・照野命・大戸命・霊社命・浅良部命)、しめて十柱の神様をお祀りしているので十社大明神と申します。県内では珍しいと思われます。
特異なる形状の石塔で、台座に文字が彫られているのですが苔で判読困難でした。いったい何の塔なのか気になっています。
今回は以上です。弥生町には、ほかにも釈魔大権現、熊ん戸の滝、須平の庚申塔など数々の名所・文化財・景勝があります。探訪が不十分なので、十分な記事が書けませんでした。適当な時季に、ゆっくりと巡ってみたいと考えています。