大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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稙田の名所・文化財 その3(大分市)

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 引き続き、稙田地区の文化財を紹介します。

 4 高瀬石仏

 大分市にはたくさんの磨崖仏があります。思い出すままに挙げますと、岩薬師(元町石仏)、岩屋寺石仏、敷戸磨崖仏、曲石仏、首切場磨崖仏、清滝磨崖仏(南太平寺磨崖仏)、口戸磨崖仏、岩崎磨崖仏、碇尾磨崖仏、鐘ヶ渕の磨崖仏… さらに野津原には鶴迫磨崖仏、挾間町には鬼崎磨崖仏、海老毛の磨崖宝塔などございまして、知られていないものも含めればきっと他にもあることでしょう。大分市周辺は、国東方面や臼杵、大野・直入方面と並ぶ、大分県下の磨崖仏群の一端をなす地域です。

 このように大分市周辺には数多い磨崖仏がございますが、中でも高瀬石仏は、その保存状態や個性的な表現など、群を抜いて素晴らしいと感じます。もちろんどの仏様も、その保存状態や表現技法でもって位の上下をつける気持ちは毛頭ございませんで、等しくありがたいのですけれども、あくまでも石造美術としての観点から申しますと、大分市周辺では個人的には高瀬石仏が最も素晴らしく見えるということです。

 道案内の標識や駐車場、遊歩道など整備が行き届いておりますので、道案内は省略いたします。七瀬川自然公園を目指せばすぐわかります。自動車をとめてゆるやかな参道を登っていきますと、すぐに到着します。こちらの小字は伽藍迫と申します。伽藍とは寺院の建物、迫とは小さめの谷戸や谷筋に沿った傾斜地の小部落に盛んに見られる地名です。ちょうど、石仏の辺りは小さな谷になっております。この谷に昔お寺があり、そのお寺に付随する石仏であったのかもしれません。

 さて、盛んに紹介されておる龕の中の磨崖仏群のほかにも、外には小さな三尊仏が刻まれております(冒頭の写真)。風化摩滅が著しいが、本来は繊細な彫りであったことが推察されます。風化摩滅した今の様子を拝見しても、蓮台に乗った仏様の高潔な雰囲気が見てとれます。こちらの仏様はほとんど無視されているような状況ですが、ぜひこちらにもお参りをされてはと思います。さあ、いよいよ龕の中の仏様です。

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 いかがですか。横並びにて一枚の写真に納まりませんで、2枚に分けました。彩色がよく残り、下の写真をご覧いただきたいのですが火焔光背など非常に細やかな文様で表現してあります。どの仏様も立体的な表現が素晴らしいではありませんか。国東半島の磨崖仏に比べて、大分市の磨崖仏にはこのように丸彫りに近いような表現が多々みられます。それは岩質にもよるもので、厚肉彫りをしやすい柔らかい岩であったのですが、結果的に「崩れやすい」ことも意味しております。そのため元町石仏や岩屋寺石仏は傷みが激しく、ことに岩屋寺石仏は「おいたわしい」の言葉しかございません。ところが、高瀬石仏はほとんど壊れていません。それは、奥行きのある龕の奥壁に彫出されておるためでありましょう。

 一体ずつの詳述は省略いたしますが、一点だけ、下の写真の左端の像を見てください。こちらは深沙大将です。髑髏の首飾りをさげ、蛇をつかみ、ぎょろりと目をむいています。そして、お腹に女性の顔が描かれています!なんとも風変わりな、珍妙な表現方法ではございますが、これは、恐ろし気な深沙大将の心の中にある優しさを、このように表現したものとのことです。とても庶民の手による造立とは思えない立派な磨崖仏にこのような稚拙な表現方法がとられているとは、なんとも面白いではありませんか。

 とても立派で、ありがたい高瀬の仏様です。

 

5 八鉾大明神と秋葉様

 高瀬石仏の駐車場横の道を、川に沿うて進んだところが岡部落です。右に橋がかかっていますので、右折してその橋を渡り坂道を登っていきます。やや狭い道ですが、普通車でも問題なく通れます。登りつめて、民家が数軒集まっているところを左にあがったところが八鉾神社です。境内まで自動車で上がることができますが道が狭いので、手前にとめて参道を歩いて登った方がよいでしょう。

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 拝殿は新しく建てなおされたようで、まだそんなに古くありません。きれいに手入れされており、地域の方の信仰を集めている様子がうかがえました。お参りをする際、天井をぜひ見ていただきたいと思います。

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 色彩も鮮やかに、見事な天井画です!いろいろな種類の絵を市松に配しており、一つひとつの絵の美しさはもちろんのこと、全体として見たときにその色彩の妙が映えます。

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 こちらは秋葉様の祠です。個性的な狛犬に目を奪われました。秋葉様は火伏の神様です。かまどの火を絶やさず、火事にならないように守ってくださいます。今は、かまどの火を絶やさないというのは時代にそぐわなくなっておりますが、火事はいつの時代でも恐ろしいものです。高瀬石仏にお参りをされた際には、ぜひ八鉾大明神、秋葉様にもお参りをしていだたきたいと思います。

 

6 敷戸石仏

 敷戸駅前から、国道10号線を判田方面に向かいます。「鴛野小入口」交叉点(信号機有)を右折し、道なりに登っていきます。ほぼ登りつめたところ、左側に敷戸公民館があり、その敷地の角に「敷戸神社入口」の標柱があります。ここを右折します。左側の標柱を見て右折しますので、行き過ぎないいように気を付けてください。道なりに行くと、右側に敷戸神社があります。自動車は前にとめられます。

 神社にお参りをしたら、すぐ近くの墓地に宝篋印塔がありますので見学されるとよいでしょう。

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 比較的状態のよい宝篋印塔です。見学したら、神社の左側に「敷戸石仏」の小さな標柱があります。それに従って細道を進みます。

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 竹林の中を行く気持ちのよい参道です。でも、この先にて参道が崩れて通れなくなっています。その代替としてアルミの梯子がかけてあり、その梯子で崖を下りる必要があります。気をつけて通ってください。

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 梯子で下の岩棚に下りついたらすぐ、崖にこのような磨崖の五輪塔がたくさん見られます。やや角ばった彫出であり秀作とは言い難いが、石を積んで五輪塔を造るよりも労力がかかっていると思います。わざわざ磨崖の五輪様にしたのは、崩れないようにという願いがあったのでしょうか。

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 こちらも磨崖の五輪塔群ですが、かなり傷んできています。さらに進むと、磨崖仏です。

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 こちらが敷戸磨崖仏で、三尊仏をはじめとしてかなり多くの仏様が彫出されていたようなのですが、残念ながら風化摩滅が著しく、目を凝らしてもほとんどわからなくなっています。目に見える仏様は消えてしまっても、うまく言葉にできませんが、この崖には仏様が宿っていると思い至りましてありがたくお参りをさせていただきました。この辺りからは、麓の住宅地をはじめ遠くの方まで見晴らすことができます。市街地の拡大はとどまるところを知らず、この一帯の風景の変貌は著しいものがあります。そのような時勢の移り変わりの中で、こちらの仏様はいつも麓の暮らしを守って下さっていると思えば、ほんにありがたいことでございます。

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 少し歩を進めますと、竹やぶの向こう側の崖の上方に複数の掘り込みが確認できました。あるいは、磨崖碑の類であったのかもしれません。この一帯には大昔、大伽藍があったとのことです。ところが年月を経て、ひところは近隣が石切り場とされたために、その影響で磨崖仏等の傷みが進んでしまったそうです。あるいは切り出されて姿を消してしまった仏様や塔の類もあったのかもしれません。こちらは文化財に指定されていません。これ以上の傷みが進まないように、できれば史跡等に指定していただきたいと思います。

 

 以上、3回に分けて稙田地区の文化財を紹介いたしました。稙田地区には、ほかにも名所旧跡がたくさんあります。また、時機をみてこのシリーズの続きを書こうと思いますので、お勧めの名所旧跡等ございましたら教えていただきたく存じます。