大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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竹田津の名所・文化財 その3(国見町)

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 今年も西方寺のミツマタを見に行きました。そのついでに以前辿り着けなかった京来下(きょうらげ)の庚申塔に再チャレンジしましたら、首尾よく見つけられました。そこで久しぶりに西方寺シリーズの続きを書いてみます。

 

7 京来下の庚申塔

  竹田津から西方寺の谷を道なりに行きます。清浄光寺を左に見てさらに進むと、京来下のバス停があります。自動車はバス停の近くに邪魔にならないようにとめます。田んぼの広がる谷の向こう側、山の上に大きな松の木が見えます。この松の根方に庚申塔が安置されています。

 車をとめたら僅かに引き返して、「中ノ谷不動尊」の案内板に従って橋を渡ります。田んぼ道が小さな十字路になっていて、正面が中ノ谷不動です(前回紹介しました)。庚申塔に行くには、中ノ谷不動に上がらずにこの十字路を右折します。ほどなくY字分岐になっていますので、これを左にとり爪先上がりの林道を登っていきます。途中で舗装がなくなり路面が悪いうえに崖道で転落の危険もありますので、自動車では上がらないようにしましょう。左・右と折り返すように急坂を登っていくと、そのうちに傾斜が緩やかになります。下から見た松の木と自分の位置関係をよく考えて進み、いよいよ近づいてきた頃に林道から右に外れて、木立の中の細道を行きます。下の写真を見てください。

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 写真の場所にて、林道から外れて右に入ります。右の細道を少し進むと、正面に大きな松の木と庚申塔が見えてまいります。

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 この光景が目に入ってきたとき、思わず小躍りしてしまうほどの喜びでございました。大上先生にブログでご助言いただき3度目の挑戦でようやっと辿り着けた嬉しさももちろんございましたが、立派な松の木と庚申塔・庚申石の組み合わせや周囲の景観も含めまして、庚申信仰の原風景的なものを感じたのです。国東半島の山々にはかつて立派な松が方々にございましたが、松喰虫や落雷にやられたり、杉や桧の植林が進み自然林が失われていく中で、今ではほんに少なくなっております。こちらは庚申様を守っていただくために松を1本だけ残したのでしょうか。または、もしかしたらこちらに庚申塔を造立した際に、松を植えたのかもしれません。

 なお、こちらから山道を登ってまいりますと字阿弥陀迫に至ります。阿弥陀迫からさらに登って峠を越しますと西不動を経て千灯に至ります。この峠道は、自動車交通が主流になる以前は地域の方に盛んに通行されていたとのことです。ですからこの塔は賽ノ神的な意味合いでこちらに造立されたのかなとも思ったのですが、アミダ迫へは京来下からではなく西方寺上組のお稲荷さんのところから登る道が主であって、こちらは枝道的な存在であったと考えられます。ですから態々この高所に造立したのは、賽ノ神というよりは、作ノ神としての意味合いが強かったのではないかと思います。今は木々に遮られておりますが、昔はこちらから京来下の集落や耕地を眼下に見晴らしていたのではないでしょうか。塔は、集落の方を向いて立っています。

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 青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 なんと立派な塔でありましょうか。彫りが深く緻密で、しかも諸像の姿には全く傷みがありません。この山中にあって奇跡的な保存状態と言えましょう。入母屋造の笠は、破風のところの曲線が見事です。軒口に刻んだ菊の御紋は、細かい花びらを丁寧に表現してあります。主尊はきりりとしまった口元、鼻筋が通り眉毛は立派で、どんぐり眼を剥いてたいへんいかめしい表情です。逆立った頭髪はものすごく細かい線彫りにて表現してあります。6本の腕の付け根がごく自然な位置に収まり、細かく前後差をつけて立体的になっておりまして、それぞれの腕の長さも違和感がございません。採り物もくっきりと彫り込んであります。小さなショケラが合掌してあるのが可愛らしいではありませんか。おたすきのような部分には墨の色がよく残っているところも見逃せません。金剛さんに踏みつけられて四つ這いにてうずくまっている邪鬼の不気味な風貌にも注目してください。

 童子も、主尊ほどではございませんが険しい表情にて、辺りを警戒しているようです。長衣の文様も細かく表現されており、全く手を抜いていません。下段もまた見事です。向かって左から、言わざる・雌鶏・聞かざる・雄鶏・見ざるの順に交互に並んでおり、両端の猿は横向きになっています。その横向きの猿が腰かけている段差が、奥で左右につながっているのです。中央の猿もその段差に腰かけ、鶏は段の上に立っている格好です。この猿と鶏の雰囲気には、エジプトの壁画等の雰囲気も感じられませんか。このように段差を設けて猿が腰かけているような表現は、近隣ではほとんど見かけません。非常に独創的なアイデアで、しかもデザインが洒落ており、素晴らしいと思います。単純に塔の大きさ・総高のみで判断すれば、こちらより立派な塔は近隣にいくらでもございます。でも、大きさや高さのみでは計れないものがございます。近隣在郷の庚申塔の中でも指折りの洗練されたデザインであり、彫りの完成度等考慮しましても、国見町の中では5本の指に入る秀作といえましょう。

 こちらの塔の前から、古い道が麓の方に続いています。おそらく林道開通以前に、集落から庚申塔に上がるときに通っていた道なのでしょう。その道を通って下ってみようかとも思ったのですがやや荒れ気味に感じられましたので、来た道を引き返して林道を下りました。

 

長くなりましたので一旦切ります。次回は、稲荷社とミツマタ群生地、それから「百万遍」の思い出を少し書いてみようと思います。