大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

カテゴリから「索引」ページを開いてください。地域別にまとめています。

上香々地の名所めぐり その2(香々地町)

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230749j:plain

 ずっとお参りしたかった市丸の伊勢堂にやっと行き着くことができました。そこで、上香々地の名所シリーズの続きを書きます。三重地区のうち、夷谷のシリーズばかりを書いてきました。上香々地の名所はずいぶん久しぶりです。今回は行き方の難しいところもありますので、できるだけ詳しく説明します。

 

3 市丸の伊勢堂

 伊勢堂は珍妙なる仁王像が素晴らしく、みなさんにお参り・見学をお勧めしたい名所でございます。こちらは、興味関心のある方は冊子などで写真を見てぜひ行ってみたやと思いながら、その道順がややこしいのでなかなか辿り着けないこともあるようです。最も分かり易いと思われる道順を紹介します。

 香々地市街地から県道653号を夷方面に参ります。西国東広域農道との交叉点を過ぎて、1つ目の小さな橋を道なりに渡ったらすぐ左折します(標識なし)。田んぼの中の農道を行き道なりに右に折れて、山裾に沿うて進みます。正面右手に市営住宅が近づいてきたら、左方向にコンクリ舗装の林道が分かれています。その道を上がれば害獣除けの柵があるので開いて通り抜け、必ず元通りに閉めます。しばらく行くと、左に大きくカーブするところから右方向に簡易舗装の細道が分かれています。右折してこの道に入りますが、ここからは軽自動車がやっとの幅しかなく舗装が荒れていますし、奥まで行くと転回に往生します。ちょうどカーブの辺りが広くなっているので邪魔にならないように車を停めて、歩いて行く方がよいでしょう。しばらく歩くと、右手に古い墓地があります。その少し先、左側の細道の先に仁王像が見えてきますのでここまでくればすぐ分かります。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230751j:plain

 雑木林の中の、気持ちの良い参道です。鳥居か何かが壊れてしまい、その残欠がやっと立っていました。その奥の仁王像が近づいてきますと、いよいよ心が浮き立ってまいりました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230754j:plain

 両者とも岩の上に立って、正面に睨みを効かせているはず…ですが、特に阿形にいたってはその朗らかなお顔に思わず笑うてしまいました。堂様はコンクリートブロック造りで建て替えられ、正面の戸もサッシのドアです。この新しい建物の裏手には、旧の伊勢堂の基礎部分が残っていました。老朽化により傷みが進んでいたものと思われます。元の堂様はどんな様子だったのでしょうか。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230756j:plain

 立派な眉毛をきりりと吊り上げて、どんぐり眼も眦を上げ、団子鼻を吹き広げて口はヘの字です。それなのに何となく微笑ましく、愛嬌がございます。左手を腰に当てて右手を肩のあたりにやっている所作は、まるで堅田踊りのようです。

 また、この像は下半身の造りが特徴的です。2本脚で立たせることは潔く諦めて、脚をレリーフ状に仕上げることでしっかりと面で支えているのです。両子寺など方々に残る「優秀作」と言われる部類の仁王像とはまた違い、地方作とでも申しましょうか、庶民の日々の暮らしの中にある素朴な祈りが込められているように感じられます。オリジナリティに富んだ生き生きとした表現であり、こちらもまた秀作といえましょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230759j:plain

 阿形がまた、見れば見るほど素晴らしい。この朗らかなお顔といったらどうでしょうか。もちろん作者はそんなつもりではなくて、きっと怖い顔に仕上げたかったのでしょう。私は作者の意図にそぐわない感想を持ったというわけですが、見学した人が楽しい気持ち・明るい気持ちになるのであれば、それはそれでよいことなのではないかと思います。地域の方・外の方によらず、いろいろな方が興味関心を持つことは、文化財の保護への第一歩です。石造文化財は単に造形への興味関心のみならで、今の地域社会の礎を作ってくださった昔の方に思いを致すきっかけにもなります。

 

4 市丸の庚申塔

 伊勢堂から右方向に行くと、庚申塔らしき石造物が目に入りました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230814j:plain

 銘がすっかり消えてしまっていますので確証はありませんが、上部の日月からおそらく庚申塔であろうと判断しました。この先、下手に古い墓地が広がっています。その方向に少し下ってみますと、お墓の上に庚申塔がたくさん立っているのを見つけました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230820j:plain

 この区画には、それらしい石塔が都合9基を数えます。刻像塔はなく、すべて文字塔です。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230828j:plain

 左の塔は上部が割れてしまい、その部分を手前に置いてあります。右は「青面金剛奉…(以下不明)」です。墨書にて、造立年等も消えてしまっています。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230833j:plain

 この2基も銘が消えてしまっていました。こうなってくると、待ち上げのときに立てる「庚申石」と「文字庚申塔」との区別が曖昧になってしまい、見当がつきません。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230836j:plain

 こちらはほんに風変りな形状にて、この区画の庚申塔群において特に心に残りました。この形にはどのような意図があるのでしょうか。日月には、僅かに赤い彩色の痕跡が認められます。銘は、上部に梵字、その下はほとんど消えていますが「庚申」の文字のみよう残っています。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230839j:plain

 こちらも風変りな形状です。文字の痕跡がかすかにございますものの、全く読み取れません。『香々地町庚申塔』にも記載がありませんでした。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230843j:plain

 無残にも折れてしまっています。かすかに「庚申石塔」の文字が読み取れましたが、その上下は全く分かりません。下部の小さな区画にも墨で何か書かれてあります。

 この庚申塔から墓地を少し下って右に行けば、元の道に出ます。おそらくこの辺りから山道を下って行けば市丸部落に出るのでしょう。なお市丸は、一丸の用字もあるようです。

 

5 早田の天神様

 伊勢堂から県道に返って、市街地方向に後戻ります。広域農道の交叉点を過ぎて、左の川向うに佐古神社を見送った先、右側にジュースの自動販売機のある角から右前方向に分かれる旧道を進み、早田(わさだ)部落に入ります。1つ目の角を右折した先を鋭角に右折して、コンクリ舗装の細道を進みます。ここから行き止まりの天神様まで一本道ですけれども、軽自動車でもギリギリの幅(普通車はまず通れません)で脱輪が懸念されますうえに、奥に入ると転回に難渋します。探訪時、この道に車で入ってどうにか天神様の前まで行けましたが、転回で大変な思いをしました。佐古神社辺りの邪魔にならないところに車を置いて歩くことを強くお勧めいたします。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230855j:plain

 境内は狭いものの梅が咲いて、ほんに気持ちのよい場所でございます。古いお社はきちんと手入れがなされているように見えました。この裏手にはいろいろな石造物が寄せられています。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230859j:plain

 まさか石造物が集められているとは思うておりませんでしたので、浮足立って見学いたしました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230904j:plain

 なんとも素朴な造形の道祖神が2基ございます。両者は同じような造りに見えて、よう見ますとそれぞれ腕の曲げ方などが微妙に異なります。おそらく道路端にあったものを、拡幅工事か何かでこちらに移動したのでしょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230914j:plain

 稲荷大明神の横には五輪塔がいくつか並んでいました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230921j:plain

 左側には五輪塔や宝塔、宝篋印塔か何かの相輪部分のみが安置されています。塔身はどこに行ってしまったのでしょうか。残欠であっても粗末にすることなく、このようにきちんとお祀りしてあるのは立派なことです。

 

6 殿屋敷の国東塔

 早田の天神様の境内の一段下の平場を左方向に進みますと、正面に防風林があります。その辺りから道なき道を少し下ると、大型の国東塔が見えてきます。こちらの国東塔は3年前に県の文化財に指定されました。指定名は「早田国東塔」です。豊後高田市のホームページにて詳しく説明されています。早田にはこのほかにも国東塔があるかもしれないので、項目名は小さい地名をとって「殿屋敷の国東塔」としました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230931j:plain

 残念ながら塔の周囲がたいへん荒れており、藪に埋もれがちです。3年前にはきちんと手入れをしたものと思いますが、場所が場所ですのですぐに藪が茂ってしまうのでしょう。奥に写っている大型の国東塔が、県指定になっています。

 こちらは、豊後高田市のホームページによれば、ばらばらに壊れた部材が付近の畑の土中に埋っていたものを、昭和55年に復元したものとのことです。塔身は暦応2年の銘があり、旧西国東郡の在銘国東塔の中では古い部類であるそうです。ホームページの写真を見て、いつか実物を拝見したやと願うておりました。今回やっと行き着いて、その大きさに圧倒されました。2.6mほどの大型の塔であるうえに、蓮華座の表現がよそではちょっと見られない珍しい造りになっています。この部分の優美なることこの上なく、どっしりとした塔身の形状によう合うていて素晴らしいではありませんか。

 手前に写っている小さい方の国東塔も、茶壺型の塔身とその下のささやかな蓮華座がよう合うてなかなかのものです。けれども上部の欠損・傷みが惜しまれますし、すぐ横にものすごく立派な国東塔が立っているものですから、どうしても霞んでしまいます。この付近には壊れた五輪塔もたくさんありました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230934j:plain

 板碑も1基見つけました。これほどの石造物の造立には、よほどの分限者が関っていると推察されます。殿屋敷という字名も、さもありなんといったところです。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312230944j:plain

 県指定の国東塔を捜してうろうろと彷徨い、向こう側の舗装路に出てしまいました。これは違うと引き返そうとしたとき、路傍にささやかな祭壇を設けて、小型の板碑と五輪塔などが安置されているのを見つけました。いったいこの付近にはどれほどの石造物が残っているのでしょうか。見落としたものも含めますと、かなりの数になるのではと予想しております。

 

今回は以上です。三重地区は名所旧跡・文化財の密度がものすごくて、訪れるたびに新しい気付きがあります。上香々地のシリーズ、夷谷のシリーズそれぞれ終わりが見えない状況ですが、気長に続けていこうと思います。