大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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中野の庚申塔めぐり その1(本匠村)

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 今回から本匠村は中野地区のシリーズに入ります。中野地区には庚申塔が多うございまして、1か所に10基以上の塔が立っていることもざらです。しかも庚申塔のみならで出雲様、能毛様、二字一石塔など珍しい石造物も多々ございます。自然景勝地も多く、毎週でも訪れたくなるほど好きなところです。未だその全容は掴みかねておるところでありますが、『本匠再見』を参考にある程度は探訪できましたので、ひとまず写真のある分を紹介してまいります。

 なお、中野地区のうち風戸山(椎ヶ谷・竹原)の名所・石造物、大字小川の庚申塔、大字宇津々はフルドモリの庚申塔については、以前別記事にて紹介しました。これらにつきましては、このシリーズにおける道順に沿うて適宜リンクを貼っていきます。あわせてご覧ください。

 

1 小半鍾乳洞

 あまりにも有名な景勝地でありますので省こうかとも思いましたが、やはり中野地区を語る上では小半(おながら)鍾乳洞は欠かせませんので簡単に紹介いたします。県内には鍾乳洞が数多うございまして、殊に著名なのがこちらの小半鍾乳洞、川登の風連鍾乳洞、白山の稲積鍾乳洞です。この3洞は夫々観光化されておりますが、ほかに観光化されていないものとしては、風連の大正新洞、狩生鍾乳洞、猿権現の鍾乳洞などがあります。八戸台には胡麻柄鍾乳洞がありましたが石灰の採掘により失われました。

 さて、このように県内に数多くある鍾乳洞のうち、古くから観光地として知られたのが小半鍾乳洞であります。鍾乳石の織りなす珍妙なる景観、その迫力や自然の不思議に忽ち人気が高まりました。のちに風連や稲積も人気を呼び、それに比例して小半鍾乳洞の存在感がやや低下した感もございますけれども、周囲の自然景観(冒頭の写真)も相俟って、やはり小半には小半なりの捨てがたい風情がありますから、遊覧者が後を絶ちません。最近は前を通る道路の落石により休業しており、入洞できないのが惜しまれます。昨今の社会情勢もございますが、また入洞できるようになる日を心待ちにしております。

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 手持ちの写真にまともなものが少のうございましたので、この1枚のみ掲載いたします。印象といたしましては風連よりも通路が狭く、次から次に異なる景観があらわれます。ですから行きと帰りとではまた違う感動があります。現地の説明板に洞内の景観が紹介されています。その中で「千里が浜」という景観の説明が非常に珍妙でありますのでここに抜粋いたします。

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千里が浜

 砂浜というより、小さな石で、台風の時などに一番奥から流れている小石です。

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 これを珍妙と言わいで何と申しましょう。千里が浜という大仰な名称をつけておきながらどこか謙遜をしているような、奥ゆかしい文言ではありませんか。

 

2 小半の盆踊りについて

 鍾乳洞のすぐそばの空き地には、以前、小半の盆踊りを模した案山子が展示されていました。小半部落の盆踊りの演目は、三つ拍子(扇子踊り)・八百屋踊り(扇子踊り)・扇子踊りなど手の込んだものばかりです。音頭は堅田踊りの長音頭で、これは村内の他部落と共通でありますが、普通は手踊りかうちわ踊りばかりです。ですから小半の団七踊りと扇子踊りは村内においては貴重なものでありまして、文化財に指定されております。殊に扇子踊りは、三つ拍子も八百屋踊りも佐伯踊りの系統ですがこの種の踊りとしては非常に手の込んだものであり、特に八百屋踊りに至っては途中で扇子を畳んでかいぐりをするところ、扇子を一振りに開いたと思ったら継ぎ足にて八の字に扇子を廻しながら出ていくところなど、優美をきわめます。たいへん評判を呼んで、ひところは別府に招かれて披露したりしたこともあったそうです。近年は高齢化等により供養踊りを休止していますが、村のお祭りのときに保存会の方による踊りを見ることができます。私は踊り好きなので、八百屋踊りを動画を見ながら自分なりに練習してどうにか踊れるようになりました。みんなが参加できる供養踊りなどが復活されることがあれば、踊りに行きたいなと考えています。

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 たいへん可愛らしい案山子です。昔の供養踊りの賑やかな雰囲気がよく出ています。女性2人が男性を前後から挟むようにして3人組になり、棒を持って踊っています。これが団七踊りで、昔は県下一円(国東・宇佐・下毛を除く)で大流行し盛んに踊られていました。今も点々と残っておりますが、全体で見ますとトンと下火になっています。もしまた盆踊りの案山子を展示されるときは、扇子踊りも団七踊りも小半部落の誇りでありますから説明板を設けるとより分かり易いと思います。

 

3 薬師庵の石造物

 薬師庵は小半部落の中ほどにあります(公民館を兼ねています)。今は鍾乳洞の前の道が通れませんので、別の道から行きます。本匠支所から因尾方面に進み、小半鍾乳洞への分岐を過ぎて一つ目の橋を渡ってすぐ右折します。次の角を右折して急坂を下れば小半部落です。橋を渡って、三叉路をまた右折します。そのすぐ先、右側にカーブミラーの立っているところを右折します(車も通れますが曲がりにくいので気を付けてください)。狭い道を進んだ奥詰めが薬師庵で、車は坪に停められます。

 薬師庵にはたくさんの石造物が寄せられておりますので、薬師様にお参りをしたら石造物を見学いたしましょう。その大半が庚申塔で、文字塔・刻像塔あわせて15基以上あったと思います。

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 このように坪の端に低い石垣を組んで、その上に庚申塔が並んでいます。刻像塔や立派な文字塔を前面に並べて、後列には小さめの文字塔や破損した塔を並べています。この並び方から、後年あらためてお祀りし直したものであると察しがつきました。おそらく管理が困難になったか道路工事にかかったかで、別の場所にあったものをこちらに移したのでしょう。

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大乗妙乗一字一石塔

 倒れてしまっているのが残念です。でも部材の一つひとつに大きな傷みは見られませんでしたから、元通りに組み合わせれば昔日の立派な姿がよみがえることでしょう。

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 中の仏様の優美なお姿は言うまでもありませんが、御室も立派です。特に軒口のところの装飾や笠の縁取りの細やかさなど、手の込んだ手法をとっています。

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 文字塔には、特に珍しい銘は見当たりませんでした。このように並んでいるのを見ますと、一つひとつ、みんな形が違います。どういう意図で形を違えているのでしょうか。

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奉造立庚申之塔、3猿、2鶏

 こちらは、文字塔と刻像塔のあいのこです。上に「奉造立庚申之塔」と陰刻し、下の方に猿と鶏の像だけを陽刻しているのです。このような塔は何度か見たことがありますが、大分県ではごく少数のように思います。 

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青面金剛6臂、2童子、1猿、1鶏、邪鬼

 碑面が荒れて苔の侵蝕も著しく、像容が不鮮明になっています。日月の位置が普通よりも低く、主尊の頭の左右に来ているのが変わっています。猿と鶏は童子の上あたりに刻まれているようですが、もしかしたら私の見間違いかもしれません。主尊の衣紋など見ますと、もとは細かい彫りであったと思われます。

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青面金剛6臂、3猿、2鶏

 おじいさんのように見える青面金剛のお顔には、素朴な雰囲気が感じられます。寡黙でありながら優しい心を内に秘めているような、ジツのある印象を受けまして、近所に昔いたお年寄りのことなど思い出してたいへん懐かしく思いました。やはり碑面の荒れと苔の侵蝕により像容が不鮮明になっているのが惜しまれます。特に下の方に小さく刻まれている猿と鶏は、よく見ますと動きのある表現でありますのに、苔のせいで生き生きとし感じが半減してるような気がいたしました。

 

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 薬師庵にある刻像塔の中で、最も状態のよい塔です。細かい部分までくっきりと残っています。主尊のお顔を見ますと、大きな鼻とやや離れがちな目、おちょぼ口など個性的なお顔立ちでございます。耳は邪馬台国の方の髪型のような雰囲気です。三角帽のような炎髪も立派ではありませんか。そしてこの塔のデザインで特に優れていると感じたのが、主尊の輪郭線(衣紋含む)から童子を含みますとちょうど二等辺三角形をなすような配置になっているところです。腕の角度や衣紋の下部の外向きに跳ね上がっているところなど、明らかにそれを意識してデザインしているようです。この二等辺三角形がちょうど炎髪とほぼ相似形になっています。ショケラや鶏、猿のささやかな表現により、主尊の存在感がいよいよ増してまいります。それがために、二等辺三角形の配置の美が強調され、舟形の塔身が持つ曲線美と相俟って、洗練された印象を受けました。石工さんの美的センスが感じられます。

 

4 小川の庚申塔

 大字小川の庚申塔は下記リンクを参照してください。屋敷ノ原、苣ノ木、番ノ原、岩屋の庚申塔を紹介しています。


5 銚子渓谷

 銚子渓谷は小半鍾乳洞と比肩する、本匠村きっての景勝地です。かの国木田独歩が佐伯に1年間滞在した間に2回も訪れ、その景勝を称賛したことで知られています。近年は昔よりも遊覧者が減っているようですが、人の手があまり入っていない自然美を楽しめますから、ぜひみなさんにお勧めしたい名所でございます。標識が充実していますので道案内は省きます。前項を参照していただき、大字小川の庚申塔めぐりと合わせて探訪されるとよいでしょう。注意点として、渓谷付近は道幅が狭く、駐車場所に迷うてあまり奥に行きすぎるといよいよ道が荒れてにっちもさっちも行かなくなります。案内板をよく確認し、路肩の広くなったところに駐車して歩きましょう。

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 説明板の内容を起こします。

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銚子渓谷(八景) 村指定名勝
 小川谷の上流に見える清流と奇岩の美しい渓谷で、昇竜の滝・雄淵・雌淵・猛虎淵・竜頭岩・平氏滝・銚子の滝の八景がある。
 この渓谷一帯は硬質の砂岩で、その上に幾千万年の時をかけて形造られた直径二メートルから一五メートル程の大小無数の甌穴と断崖にかかる幾つかの滝がこの景勝の基礎を成している。
 このなかで甌穴の成因はまことに不思議で、学術的にも非常に貴重なものといわれている。
 渓谷の周辺には自然の森がそのまま残っており、四季折々の変化を楽しむことができる。
 明治の文豪国木田独歩は、こよなくこの渓谷を愛し、佐伯在住僅か一年の間に、二度までも現地に足を運んでいる。
 本匠村教育委員会

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 説明板で言及されている八景については、銚子の滝以外はどれがどれやら分かりませんでした。ほかに「巴淵」の呼称もあり、おそらく八景のうち猛虎淵のことではないかと思います。車道から渓谷に下る道は3つあります。この渓谷は、谷間に沿うて行き来する道がありません。ですからその全容を知るには、道路から下ってはまた戻り、下ってはまた戻り…と都合3回も上り下りする必要があり、しかも遊歩道が急坂でやや荒れ気味ですので疲れます。夏の涼みにもってこいの場所ですが、山坂の往復は覚悟しておく必要があります。せっかく滝で涼んでも、戻りでまた汗みどろになるのが関の山です。

 さて、銚子渓谷は小さな甌穴が崩れてつながり、大きな甌穴となり淵をなしている景観が特徴です。淵を観察するには、2つ目か3つ目の坂を下ります。銚子の滝はもっとも手前の坂を下ります。一応、銚子の滝への坂道がもっとも整備されていますが、途中で桟道を渡る辺りが滑り易いので注意を要します。

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 これが銚子の滝です。落差は知れたものですが滝の規模に比べて滝壺が広く、水が碧く澄んでたいへん美しいので一見の価値があります。時間帯によっては写真のように滝壺に日が差して、薄暗い滝との対比も見事なものです。水遊びをしても気持ちよさそうな場所ですが、あの難所の道をまた歩いて帰ると思うと体を濡らす気にはなれませんでした。

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 何淵かはわかりませんが、大きな甌穴が連続して淵をなしているところの一角です。二つ目の坂道を下れるだけ下ったところから写真を撮りました。これ以上は進めません。ここまで来れば、甌穴が淵をなしてそれが連続している特異な景観がよく分かります。

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 上の方は、特段珍しいことはない、普通の渓流になっています。これより上流もずっときれいな流れが続いています。その穏やかな流れが、急に瀬となり細い段々に落ち込んできていて、何気ない景色ですけれども自然の美を感じられます。銚子渓谷といえばこの辺りまでを指すようです。ほんの少しの距離にたくさんの自然美が凝縮された景勝地です。四季折々のよさがあり、特に木の芽立ちの頃と紅葉の頃をお勧めいたします。

 

今回は以上です。庚申塔あり景勝地あり、盛りだくさんの記事になりました。本匠村に遊ぶ際、大水車と鍾乳洞だけに寄って帰るだけではもったいのうございます。因尾地区、中野地区それぞれに自然景勝地文化財がたくさんあります。本匠村のよさを皆さんにもっと知っていただきたいと思っています。次回は大字波寄を巡ります。