大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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重岡の庚申塔めぐり その7(宇目町)

 今回はこのシリーズの目玉のひとつである、塩見大師から始めます。写真が多いので長い記事になります。

 

26 塩見大師の石造物

 塩見大師はその霊験あらたかなること近隣在郷に著名で、しかも興味深い石造物が目白押しです。特に延命地蔵様と宝塔、庚申塔は素晴らしく立派な造りで、石造文化財の数多い宇目町内でも屈指であると確信しております。宇目町を訪れる際にはぜひ参拝をお勧めしたい、名所中の名所といえましょう。

 このシリーズの「その5」で紹介した「20大原の石造物」の先を左折して、県道39号を大字塩見園方面に進みます。青看板のある二股を「←市園」の表示に従って左折して、駐在所の先の突き当りをまた左折します。塩見部落の家並みが一旦途切れてすぐ、左側に文化財の標柱が立っているところから上がればすぐです。車はその上がり端に停めるとよいでしょう。

 坂道を上って正面が大師庵、折り返したところには延命地蔵様がおわします。先に大師庵の方に進みます。

 大師庵はわりあい新しい建物で、そう遠くない昔に建て替えられたようです。楓がたくさん植わっていましたので、秋には紅葉が見事だと思います。お弘法様にお参りをして、境内の石造物を見学しました。

大乗妙典一字一石塔

 目測ですが総高3m近くと思われます。たいへん大きく立派な一字一石塔で、銘には朱を入れています。

 一字一石塔のすぐ隣に、2基の宝塔が並んでいます。塩見大師の宝塔は宇目町の石塔の代表格と言ってもよいでしょう。書籍等で存じておりましたが、実物を拝見して想像以上の素晴らしさに感激いたしまして、茫然と見つめるばかりでした。左右ともに相輪が破損しているほかはほぼ完璧な状態を保っています。露盤の連子模様、請花・反花の花弁、台座の格狭間など優美を極めまして、見事というよりほかありません。また、どちらもよう似た造りですけれども、笠や塔身の形状が微妙に異なっている点にも注目してください。機械でこしらえたのではなく、手作業で一つひとつの部材をこしらえて重ねてあればこそのことです。

 詳細な説明板が整備されていました。内容を転記します。

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塩見大師庵宝塔
県指定有形文化財(建造物)
昭和51年3月30日指定
宇目町大字塩見園字塩見
塩見区所有

 この塔は凝灰岩でできており、総高250cmの壮大で中央色豊かな宝塔である。塔身は高さ53cm、径61cmで雄大な中にも安定感があり、地方の宝塔の形式と相対峙し、中央色豊かなことを示している。
 方形の基壇の上に基礎を建て、その基礎の4面には見事な格狭間が彫られている。格狭間の曲線は左右に強く張り出しており、肩のあたりからの曲線はゆるく膨らみをもち、おおらかな中にも上部の重さを支える力強さが洗われている。笠石の軒の厚さ、反花や軒両端の線は時代をよく反映し、露盤、伏鉢、請花は特によく優雅にできている。しかし、見てのとおり2基とも相輪中部から上を欠損しているのが残念でならない。
 この塔の特徴は、基壇上部4面に彫られた反花であるが、全体的に彫りは深く各蓮弁の形に丸みをもたせ、各弁を両側から押し上げるようによくまとめている。彫り方も丁寧で、上部の重さに対してよくバランスがとれており優雅さが浮き出ている。
 中央には「貞和五年丑巳十月二十八日」と北朝年号が刻まれている(貞和5年=1349)。貞和といえば足利尊氏楠木正成らが南北に分かれて戦った南北朝時代であるが、同年代の宝塔としては大分県はもとより、九州各県にもこの宝塔の右に出る塔は稀有のことから貴重な文化財である。
 ところで、宝塔という言葉は珍宝で飾った塔ということで、塔の敬称および美称である。仏教では塔のことを宝塔といっているが、ここでいう宝塔とは方形の基礎、首部のある塔身、その平面は円形であるのが特徴で、笠は四注状でその上に相輪あるいは宝珠をおいた形式のものをいうのである。基礎と笠は平面が四角であるが、六角、八角もある。
 石造宝塔はもともと木造建築の宝塔の構造を簡略化したもので、前述のように塔身に首部を彫り出し、また小孔を穿って納経等が追納されるような構造になっているのも見受けられる。また、華やかに装備され基礎も数段重ねており、基礎の上には反花座を刻み、その側面には格狭間を彫り出しているのもある。笠蓋の上に大型の請花を置き相輪には火焔宝珠を頂く形式のものが多数を占めている。
 鎌倉時代以降、全国各地に流布伝播して盛んに各宗派とも造立したが、時代が下るにつれまた地方によりその形式もまちまちになり、地方色豊かな宝塔も造立された。さらに逆修供養(生きているうちから死後の往生菩提を祈って行う仏事)が盛んになり、逆修供養塔として宗派を越えて造立された。

宇目町教育委員会

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(大乗)妙典一字一石塔

 一字一石塔が倒れて、上部が破損していました。

 いろいろな仏様や石塔が寄せられた一角があります。めいめいにお供えがあがっており、当時も行き届いています。先ほどの宝塔の説明板の内容を借りれば「地方色豊かな」石仏ばかりで、一体々々の個性が際立っています。

寛政九
猿田彦大(神)

 猿田彦庚申塔が壊れて、木になんかけてあります。近隣からこの場所に持ち込まれて安置された可能性があります。

庚申

 こちらの庚申塔は辛うじて立っていますが銘の彫りがごく浅く、碑面はそう荒れてはいませんのに読み取りは困難を極めました。紀年銘は「享」の字以外分かりません。

 中央のお顔の頭部の形状から、馬頭観音様のような気がいたします。さても珍妙なる表現に目が釘付けになりました。左右のお顔を斜めに彫ることは諦めて、平面に3つの顔を並べるという奇想天外な発想が素晴らしいではありませんか。もっともこのような手法は庚申塔や磨崖仏などいろいろな石造文化財で盛んに見かけますのでさして珍しいものではないのですが、こちらは比較的厚肉に彫ってあるために3面を横並びにした珍妙さが際立っており、ことさらに印象に残りました。

 6臂の腕はその長さがまちまちで、失礼ながら稚拙な表現です。でも左右対称に、碑面をめいっぱい使って厚肉に彫ってありますので、たいへん力強く立派な感じがいたします。簡略化された衣紋の表現も力強くてよいし、下部の蓮華坐も正面のみで、両端で花びらが回り込むことなく半ばでスパッと切れているのも潔うございます。

 先ほど紹介した宝塔も、郷土色豊かなこちらの仏様も、本質的にはその価値に上下はないと考えますし、またそうであってほしいと願うています。文化財の指定の有無や見かけの造形の素晴らしさによらで、地域の方々の信仰の対象であること、昔の人が思いを籠めて造立したことに思いを致して、どの石造物にも等しく価値を見出していきたいといつも思います。

 では、延命地蔵様の方に歩を進めましょう。道路を背にして、お地蔵様を中心に無縁塔と地神塔、それからたくさんの庚申塔(うち1基は刻像塔)が並んでいます(冒頭の写真)。順番に説明します。

 お地蔵様を中心に、立派な石塔が左右に並んでいます。ちょうどこの場所は小高くなっていて、仏様をお祀りするのにおあつらえ向きの立地です。昔はお参りがたいへん多かったと思われます。

 むっちりとした肉付きのよさが際立つお地蔵様でございます。特に頬から顎にかけてのふくらみや、がっちりとした肩がよいと思います。また、裳裾からじょうりを履いた足が出ている様子も丁寧に表現されています。台座に施された大きな花弁にも注目してください。お参りをして柔和なお顔を拝見いたしますと、心が晴れ晴れとしてまいります。

 説明板の内容を転記します。

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町指定有形文化財
塩見大師庵延命地蔵
平成2年5月25日指定
宇目町大字塩見園字塩見
塩見区所有

 凝灰岩で造られた総高265cmの堂々たる地蔵で、本町随一の大きさを誇っている。右手に錫杖を持ち、左手に宝珠を持った典型的な延命地蔵である。江戸時代中期の作らしい洗練された優雅さを誇っている。
 地蔵とは、過去の前仏といわれる釈迦と、後仏である弥勒菩薩が現れるまでの無仏56億7千万年という長い期間に六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)の衆生を救う菩薩として現れたのだといわれている。
 この地蔵菩薩を一心に進行すると、10種の御利益、土地は豊かにみのり、家宅は永く安らかで、先亡は天に生まれ、現存するものは寿を益し、求めるところは意を遂げ、水火の災難はなく、虚耗は除され、悪夢は杜絶し、出入には神が護り、多くの聖なる因に遇うことができるといわれている。死去した人の罪禍をも救済してくれると説いている。
 庶民にとってこれほど受ける仏はほかになかった。そしていろいろの神と習合して、村々の辻などに立たされるようになった。

宇目町教育委員会

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無縁法界塔

 三界万霊塔と同義です。延命地蔵様の横に造立したのは意義深いことであったと思われます。

地神塔

 こちらの地神塔は、清川村緒方町で盛んに見かけるような、大型の立派なものでした。地の神様・作の神様の信仰の篤さを物語ります。

 右側は庚申塚の様相を呈しています。たくさんの文字塔と1基の一字一石塔に守られるようにして、さても見事な彫りの刻像塔が立っているのです。こちらの刻像塔はその大きさ、彫りの細かさ、保存状態など、町内でも屈指のものであります。

青面金剛6臂、2猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 大型の塔で、碑面いっぱいに諸像が配されておりたいへん豪華な感じがいたします。上から順に見ていきます。日輪が破損しているのが惜しまれますが、月輪は円の中に三日月型をなして赤い彩色がよう残っています。瑞雲も、月の光でほのかに光っている様がよう分かります。主尊はじつに写実的な表現で、右上の腕と三叉戟が残念ながら破損しているほかは少しの瑕疵もございません。特にお顔の表現が素晴らしいと思います。厳しい表情ですけれどもこれ見よがしな感じが全くなく、鼻から口にかけての均整のとれた表現やあごの自然なカーブは見事なものです。袈裟懸けにした衣紋に美しく彩色を施し、裾まわりのドレープ感も上手に表現してあります。胸筋や指の握りなども写実的で、何から何まで完璧であると言えましょう。てるてる坊主のようなショケラもまた乙なものです。

 鶏の脚や嘴も丁寧に彫ってありますし、猿が両端にて片脚を伸して反対の脚を曲げ、ぐっと重心を後ろにしている様子も又たいへん上手に表現してあります。そして何より、邪鬼の表現に感心いたしました。このように正面向きでお顔と前脚のみ彫り出してある事例は宇目町内をはじめとしてお隣の直川村でよう見かけますほか、国東半島などでも事例があります。得てしてそれらは漫画的と申しますか、デフォルメを極めるの感があります。ところがこちらは、正面向きの邪鬼というたいへん難しいデザインをものの見事に克服して、全く違和感のない表現になっているのです。あっかんべえと舌を出した顔の不気味さ、その下の赤い彩色など、よう工夫されています。

 文化財指定はされていませんので説明板では一切言及されていませんが、宝塔とお地蔵様のみならで、庚申塔も必ず見学して頂きたいと思います。

 文字塔の銘はほとんどが「庚申塔」です。ここから通路に沿うて、ずらりと並んでいます。写真はありませんが、この右並びにも数基立っています。

大乗妙典一字一石塔

 わたしが気付いただけでも、破損しているものも含めてこの地に3基の一字一石塔があります。まったく、昔の方の信心深さには恐れ入ります。

 

27 落合の石造物

 塩見大師をあとに、車で先へと進みます。中島部落を過ぎて十字路(横通りが2車線)に出た辺りが落合部落です。これを左折して道なりに行けば道路左側にいろいろな石造物が寄せられています。ちょうど右側の路側帯が広くなっているので、車を停めて見学することができます。なお、この道を先へと行けば「その5」で説明しましたキリシタン墓のところにつながっています。実際に探訪される際には過去の記事をあわせてご覧いただき、予め地図に印をして道順を工夫してください。

 このように、2車線の道路端に祭壇をこしらえて石造物を並べてありますのですぐ分かります。道路拡幅にかかってこちらに移したと思われます。板碑状のものは、銘が読み取れませんでしたが蓋し庚申塔でありましょう。

 宇目型宝篋印塔をここでも見つけました。すこぶる良好な状態を保っており、宇目型たる所以、その特徴がよう分かります。特に相輪と反花の表現、それから笠の段々を省いている点などはすぐ分かる特徴です。キリシタン墓のところの塔よりもずっと簡単に見学できますから、通りがかりにでもぜひ確認してみてください。

 

28 伏野の石造物

 道順どおりに行けば市園の観音堂を紹介したいのですが、写真が多すぎて記事があまりにも長くなるので順番を入れ替え、大字千束は伏野部落の石造物を先に掲載します。市園は次回に回します。

 場所は宇目緑豊小学校への入口近く、道路端です。すぐ分かると思います。車は邪魔にならないところを探して停めるしかありません。

 このように、道路脇から細い坂道を上がりますと、通路に沿うていろいろな石造物が並んでいます。或いはこの場所には堂様か何かがあったのかもしれません。下の道路が拡がる前はもう少し用地が広かった可能性があります。

 大きなお地蔵様は下の道路からでもよう目につきます。合掌した手からさがる袖の優美な表現に注目してください。左の小さなお地蔵様も、地衣類が目立ちますが状態は良好です。いずれもたいへんありがたく、立派なお地蔵様でございます。

 銘の読み取りが難しい庚申塔が多い中で、こちらの猿田彦大神庚申塔は特別に鄭重にお祀りされています。この御室をなす石自体が庚申塔(庚申石)である可能性があります。

 ご覧のとおり、銘の読み取りは困難です。

地神祭鎮座

 地神塔でしょう。このような表現は初めて見かけました。珍しいのではないでしょうか。

 

今回は以上です。次回は市園の観音堂から始めます。興味深い石造物がたくさんありますので、ぜひご覧ください。今から頑張って書きます。

過去の記事はこちらから