大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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国東の名所めぐり その2(国東町)

 久しぶりに国東地区の記事を書きます。今回は大字田深(たぶか)の庚申塔を中心に、少し紹介します。適当な駐車場がないところが多いので、「くにさき公園」の駐車場に車を置いて歩いてまわった方がよいと思います。

 

6 旦過の厳島大明神

 国東市役所前から国道10号を富来方面に進み、橋を渡ってすぐ、左側に「くにさき公園」の広い駐車場があります。ここに車を停めたら、右奥に抜けます。カーブミラーのある辻を左折して道なりに行けば、左側の木森の中に厳島大明神が鎮座しています(冒頭の写真)。鳥居や灯籠が道路に面しているのですぐ分かります。こちらは大字田深のうち、旦過(たんが)部落のうちです。

 厳島神社と申しますと、みなさんご存じのとおり安芸の宮島が元です。金毘羅様と同様に船の安全を守護する神様で、のちにえびす様とも結びつきまして広く信仰され、全国各地に勧請されました。大分県内でも沿岸部を中心にところどころに鎮座しており、旦過の厳島大明神もそのひとつです。こちらは境内の庚申塔がたいへん立派ですから、参拝がてら見学をお勧めいたします。

青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、ショケラ
施主 福田権右衛門
   同 兵右衛門

 この塔は基壇が4重になっています。このうち最上段は立方体に近く、表に施主として2人のお名前が彫ってあり墨を入れています。こんなに立派な基壇をもつ庚申様は珍しいのではないでしょうか?しかも基壇のみならで、塔本体もすこぶる立派です。優れたデザイン、彫りの細やかさなど何から何まで見事なものであり、残念ながら大きく亀裂が走った箇所も違和感なく補修されています。

 上からみていきましょう。まず舟形の上部には、中央によって日輪・月輪が浮彫になっています。月輪は三日月型をなしており、瑞雲は夫々のへりに沿うて孤を描きます。主尊は宝冠をかぶり、その表情にも高貴な感じがにじみ出ている気がします。衣紋を袈裟掛けにしてあるのがよう分かるほか、裾まわりを見ますと仁王さんのような雰囲気もございます。全体的に青面金剛らしからぬ雰囲気ではありませんか。6本の腕の表現はごく自然で、配置のバランスがよいし、付け根も違和感がありません。先ほど申しました亀裂の影響で弓がほとんど見えなくなっているのが惜しまれます。体前に回した腕でショケラの頭部を握りしめており、こんな握り方をされてはショケラも今わの際でしょう。

 童子はすらりと背が高く、振袖さんです。ところが向かって右の童子は裾からにょっきりと脚を出して、尻からげをしているというよりはお稚児さんのような短い裾の着物を着ているようです。主尊の真下には3匹の猿がしゃがみ込み、見ざる言わざる聞かざるのポーズをとっています。その外側にの鶏はささやかな表現で、見えづらくなっています。

 猿と鶏のところが帯状に張り出しており、そのカーブに沿うて像を彫ってあるところや、主尊と童子の部分はへりがなく、大きく彫りくぼめて厚肉に表現してある点などは、国東半島でよう見かける平面的な表現の庚申様とは一線を画します。一見して、宇目町や本匠村、直川村など県南方面で見かける刻像塔の雰囲気が感じられました。元文5年、今から280年以上も前の造立です。

 左のお塔には「石書妙典」の銘があります。すなわち一字一石塔であり、分かりやすい言い回しです。蓮台の花弁がふっくらと優美な感じがしますし、よう見ますと塔の上端にも反花が表現されています。

 

7 田深天満社

 厳島大明神から国道213号に戻って、富来方面に少し進みます。田深交叉点(信号機あり)を右折して少し行けば、左側に田深公民館と並んで天満社が鎮座しています。こちらは大字田深のうち、安ヶ浜(やすがはま)部落の入口です。

天満宮

 道路に面して大きな鳥居が立っています。参道の石段は短い物の、手すりが完備されています。足の不自由な方は、隣接する公民館の坪からスロープ経由で境内に入れるようになっており、整備が行き届いています。

 説明板の内容を転記します(読みやすいように僅かに改変していますが内容は同じです)。

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田深天満社の概要

祭神
 正一位
 太政大臣 菅原道真
 天満天神

由来
 天神様すなわち菅原道真公(845~903)、これほど庶民に親しまれた人はいません。菅原道真公には3つの人間像があります。一つは政治家、死後に左大臣および太政大臣、二つは学者、文学者、三つは伝説道真像(天神様)です。のちに京都の北野天満宮に道真公を祀られることとなりました。天満宮(社)は全国に1万2千社あります。
 田深天満社は天保2年(1645年)にこの地に創建され、われわれ田深地区の氏神として、また学問の神様として崇められています。社殿の老朽化が進み、平成5年に社殿及び拝殿の改築を致しました。
 この境内には、2匹の臥牛がおります。道真公が政所で亡くなり、安置場所を探しに牛車で移動中、現在の太宰府天満宮まで来たところで牛が臥して動かなくなり、そこを安置場所と定めました。以来、いずれの天満宮(社)にも臥牛があります。特にわが神社には立派な銅製の臥牛がおります。
 この神社の祭典は年4回、春夏秋冬と行われます。夏季大祭(7月25日)に行われる県指定有形文化財 御練りの行事は有名です。

平成23年 田深天満社社務所

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 説明文で言及されている「立派な銅製の臥牛」は、説明板のすぐ後ろです。単独の写真を撮り忘れてしまいました。上の写真に写り込んでいるので、それをご覧ください。

 

○ 田深の御練りについて

 田深天満社の夏期大祭では、7月25日の昼間に「御練り」があります。これは大名行列を模した立派なものです。鎧武者を先頭に、毛槍、鉾などが列を組んで田深を一面練り歩きます。しかもただ歩くだけではなしに「ヤートコセ」などの掛け声で、2列縦隊の右と左で互い違いに毛槍を渡す所作などがあります。地域の子供達も大勢参加しています。

 国東半島では、このような神社のお祭りの行列は田深のほかに杵築市の若宮様や天神様など、ところどころに残っています。しかし人口の減少により昔のような行列ができなくなって、お神輿を軽トラックに載せて地域内をまわるなどしてやっと続けている事例が多くなっているほか、それも難しくなって廃絶したところもあります。田深の御練りが今後も長く続くことを願うてやみません。

 

 説明板では銅製の臥牛の方が言及されていましたが、こちらもすこぶる立派です。非常に写実的なデザインですし、尾や背中の曲線、脚の曲がり方など何もかも丁寧な表現で素晴らしい。特に心惹かれましたのが、やさしそうなお顔です。

 狛犬はよう見ますと厳めしい顔立ちなのに、一見してなんとなく愛嬌を感じました。玉乗りの狛犬というものは、全体としてのフォルムがころんとして何となくかわいらしい気がいたします。

 細部がだんだん傷んできているようですが、歯などを見るに、細かい彫りで細部まで表現されていることが分かります。

 お参りをしたら、お社の左右にまわって石造物を見学することをお勧めします。まず、左側からまいります。こちら側には庚申塔と摂社の石祠がお祀りされています。

 庚申様には特別の覆い屋をかけて、鄭重にお祀りしてあります。このように庚申様に屋根をかけてある例は、そう多くはないでしょう。

青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 基壇が少し傾いているのが気にかかります。塔は諸像を比較的厚肉に彫っていますので今のところめいめいがくっきりしていますけれども、碑面がざらつき風化摩滅が進んできていることが分かります。近隣在郷でときどき見かけるデザインなので既視感がありますが、この種の庚申塔の全てが同一の作者というわけでもなさそうです。やはりデザイン的に優れているので、類似品が流行したのではないでしょうか?

 主尊から見ていきましょう。注目すべきは、杖に見替えの長い鉾を持った腕の表現です。正面から見たときに、手先が肩にかかる向きに腕を曲げています。レリーフ状の彫りでは、この種の表現は困難を極めると思います。ある程度厚肉に彫り、その彫り口の処理が丁寧なればこそ違和感なく表現することができているのです。弓をことさらに大きく表現し、その尖端が上の枠に食い込むなど大胆なデザインもまた見事なものですし、袈裟懸けの衣紋のひだなどもよう分かります。足先の向きもハの字にならず自然な表現です。それだけに、お顔の傷みが進んで表情が読み取れないのが惜しまれます。

 童子は手先を袖に隠すように前で打ち合わせ、行儀よう立っています。主尊の大胆な表現に比べますとささやかなもので、供揃いの雰囲気がございます。猿と鶏はめいめいの小部屋に収まります。特に鶏がかわいらしくてよいと思います。

 また、この塔とは本来無関係のものだとは思いますけれども、破損した狛犬を前に安置してあります。

 お社の右側にも、摂社と思しき石祠が数基と石殿がお祀りされています。

 この石殿は長手に3体、側面には1体ずつの像が彫ってあります。一般にこの種の石殿では六地蔵様や十王様が彫ってあることが多いと思いますが、こちらは傷みがひどくて像様の確認は困難を極めます。

 

8 安ヶ浜の祇園

 祇園様(八坂社)は天満社のすぐ裏手で、両者が隣接しています。天満社のすぐ右隣りの背戸(車不可)を歩いていけば左側です。

 わりと大きな鳥居が立っていますが、拝殿はありません。しかし一段高いところを玉垣で囲うて、立派な造りの本殿(石祠)がお祀りされています。お参りをしたら、境内の庚申塔を見学することをお勧めします。

青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 この塔はへりのない厚肉彫りであり、この記事の冒頭で紹介しました旦過の厳島大明神の庚申塔と同様に非常に立派な造りです。

 まず日輪と月輪の表現が見事なものです。普通、ただの一重円(線彫り)ないしレリーフ状の浮彫りで表現してあるところを、こちらは二重線で表現してあるうえに、その二重線の間隔が上と下とで異なります。ちょうど瑞雲が下半分に沿うて弧をなしていることから、その雲によって朧に見える様子が二重線の工夫によりよう分かります。また、瑞雲のお花くずしの曲線や、その下部に伴う牡丹の花のような渦巻の部分もすこぶる優美で、これまた素晴らしい。これほど見事な日輪・月輪・瑞雲は稀でしょう。

 主尊も、近隣で見かける青面金剛とは大きく異なる特徴を有しています。足を肩幅に開き、杖を両手で突いて首をかしげて立つ姿は、一見して猿田彦に見えてきませんか。猿田彦の刻像塔は稀ですけれども、ところどころに残っています。私はこれとよう似た猿田彦の刻像塔を、大分市などで見たことがあります。ところがこちらは、肩から左右にまっすぐ別の腕が伸びており4臂で、外の腕では弓と矢をそれぞれ持っており、これは猿田彦の刻像塔では見られない特徴です。猿田彦の像の影響が明らかに感じられる、たいへん個性的な青面金剛です。衣紋の段々のひだや指先など、細かい部分まで丁寧に表現していますし、袖口のところの立体的な表現など何から何まで素晴らしいと思います。

 童子は、主尊よりも一段低いところに立っています。右と左で髪型が違います。両手を前で組んでおり、よう見ますと袖口や袂のふっくらとした感じや、帯も分かります。猿と鶏は最前面に横1列に並び、浅くレリーフ状の彫りです。猿は見ざる言わざる聞かざるでしゃがみ込み、図案化を極めます。鶏は外側から猿を見守っています。

 全体のデザイン的に優れているばかりか諸像の表現も丁寧な秀作であり、保存状態も極めて良好です。猿や鶏は浅く彫り、その上を段違いで彫り下げまして主尊と童子を立体的に表現してある点などには、やはり県南(本匠村など)で盛んに見かけるタイプの庚申塔との類似点が感じられました。興味関心のある方は、見比べてみてください。

 

長くなるのでここで一旦切ります。次回もこのシリーズの続きを書きます。

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