大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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蛇渕の磨崖仏(山香町)

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 山香町の磨崖仏を紹介します。今回は鳥ノ江(とりのえ)にあります蛇渕(じゃぶち)の磨崖仏です。この磨崖仏は前回紹介しました西鶴の磨崖仏よりもずっと行きやすいので、気軽にお参りすることができます。けれども入口が分かりづらいので、詳しく説明いたします。

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西鶴の磨崖仏(山香町)

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 今回は、山香町西鶴磨崖仏を紹介します。山香町というところは国東半島のちょうど付け根に位置しまして、旧速見郡でありますけれども国東文化の影響も大なるところがあったと思われます。その影響かはわかりませんが山香町には磨崖仏が多く、10か所以上を数えます。列挙しますと、倉成磨崖仏、棚田磨崖仏、金堂横穴墓の磨崖仏(又井遺跡)、小武の磨崖仏、仏ヶ迫磨崖仏、岡の磨崖仏、西鶴の磨崖仏、蛇渕の磨崖仏、小谷の磨崖宝塔、那留の磨崖仏、川原田の磨崖仏(※)です。これらのうち比較的知られているのは倉成、棚田、金堂横穴墓のもので、その他は場所が分かりにくく訪れる方は稀です。 ※川原田の磨崖仏については名称のみを何かの資料で見た記憶がございますが所在を存じておりません。或いは小字名等による呼称の違いで、実際は他の磨崖仏のいずれかと同一のものを指している可能性があります。

 こんなにたくさんの磨崖仏がございますのに、そのいずれも小規模なものであるのと、保存状態の劣悪なものが大部分であり、ほとんどが未指定文化財で、等閑視されているのが現状です。しかしそれぞれの像容や立地など特徴的なところが多く、史蹟として非常に興味深うございますので、こちらで少しずつ紹介していきたいと思っています。。

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諏訪の名所めぐり その1(野津原町)

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 昨年から、庚申塔をさがして野津原町を何度か訪れています。その度に、庶民のエネルギーに満ち満ちた石造物がものすごくたくさん残っていることに感銘を受けています。野津原町はまさに石造文化財の宝庫といえる土地ですが、残念ながらその素晴らしい文化財のほとんどが、全く知られていない状況です。これから少しずつ、この地域の名所旧跡・文化財を紹介していきたいと思います。

 さて、一口に野津原町といっても広いので、このブログでは便宜上、旧村域によって野津原地区・諏訪地区・今市地区という呼称を用いて説明していくことにします。大まかに言うと、大分市稙田地区の先が野津原地区、そこから急坂を登った台地上の地域が諏訪地区、さらに登り大野・直入地方との境界にあたる地域が今市地区です。なお、旧野津原村と旧諏訪村は元から大分郡ですが、旧今市村については大字今市が直入郡、大字荷尾杵(におき)と高原(たかはら)が大野郡からの編入です。このシリーズでは、諏訪地区の名所旧跡を紹介してまいります。

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都甲路を行く その6(豊後高田市)

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 「都甲路を行く」のシリーズの続きを書きます。いよいよ東都甲の谷の奥詰めまできました。鬼城岩峰からスタートします。

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都甲路を行く その5(豊後高田市)

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 都甲シリーズの続きです。前回、鶴の大師堂まで紹介しました。今回は鶴から新しい道路を上がって、長安寺からスタートします。

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