大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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西鶴の磨崖仏(山香町)

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 今回は、山香町西鶴磨崖仏を紹介します。山香町というところは国東半島のちょうど付け根に位置しまして、旧速見郡でありますけれども国東文化の影響も大なるところがあったと思われます。その影響かはわかりませんが山香町には磨崖仏が多く、10か所以上を数えます。列挙しますと、倉成磨崖仏、棚田磨崖仏、金堂横穴墓の磨崖仏(又井遺跡)、小武の磨崖仏、仏ヶ迫磨崖仏、岡の磨崖仏、西鶴の磨崖仏、蛇渕の磨崖仏、小谷の磨崖宝塔、那留の磨崖仏、川原田の磨崖仏(※)です。これらのうち比較的知られているのは倉成、棚田、金堂横穴墓のもので、その他は場所が分かりにくく訪れる方は稀です。 ※川原田の磨崖仏については名称のみを何かの資料で見た記憶がございますが所在を存じておりません。或いは小字名等による呼称の違いで、実際は他の磨崖仏のいずれかと同一のものを指している可能性があります。

 こんなにたくさんの磨崖仏がございますのに、そのいずれも小規模なものであるのと、保存状態の劣悪なものが大部分であり、ほとんどが未指定文化財で、等閑視されているのが現状です。しかしそれぞれの像容や立地など特徴的なところが多く、史蹟として非常に興味深うございますので、こちらで少しずつ紹介していきたいと思っています。。

 

1、西鶴の洞窟

 山香市街地から国道10号を立石方面に向かいます。左に線路が並行しています。道路右側にホームセンターセブンを見て踏切を渡り、線路の向こう側の道(旧道)を国道と並行して進んでいきます。棚田集落を過ぎて、道なりに橋を渡ります。右手に数軒の民家を見て、左側にかかる1つ目の橋のところに車を置きます(路肩が広くなっています)。その橋を渡ったところが西鶴(にしつる)です。戦前までは集落があったそうですが今は無住で、屋敷の跡もよくわかりませんでした。

 ところで、西鶴の「ツル」という音は、川辺の低地などで浸水しやすい土地を指すそうで、県内でも方々で見かける地名です。よく「津留」とか「都留」と書くことが多うございます。原義を鑑みると津留の用字が適切であるように思いますが、おそらく美称的な用字として鶴の字をあてたのでしょう。

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 右に田んぼを見て進み少し上がると、正面に洞窟が見えてきます。これは旧陸軍の地下工場だったか弾薬庫だったかの入口だそうです。入口から少しだけ中を見てみましたが奥の方まで続いており、怖かったのですぐ引き返しました。奥の方はどうなっているのでしょうか。現地に案内板がありませんでしたので詳細は不明ですが、もしかしたら鉱山の坑道か試掘坑跡を軍需工場あるいは倉庫に転用した(転用しようとした)ものであったのかもしれません。山香から立石にかけては昔、金鉱山が盛んに拓かれていました。最も大規模なものは馬上金山で、これは今でもその名をよく知られておりますが、他にも鶴成金山、舟ヶ尾金山など中小規模の金山が多々ございまして、今でも方々の山中に坑口が残っておるそうです。

 

2、西鶴の磨崖仏

 洞窟を正面に見て、右方向に進んでいきます。右側は竹藪になっています。少しさがると、右に僅かな踏み跡がありますので、そこを入ります。しばらく行くと道が二手に分かれています。ここを左に行くと、もう一つの洞窟があります(冒頭の写真)。その洞窟のところから崖の下に沿うて、竹をよけつつさらに右に行きますと、高いところに磨崖仏が1体のみ残っています。

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 写真が悪くわかりにくいと思います。中央やや上に、仏様が写っているのがお分かりでしょうか?こちらが西鶴の磨崖仏です。風化摩滅が著しいうえに苔の侵蝕もあり、像容が甚だ不鮮明です。高所にて接近がかなわず、何の仏様なのかわかりませんでした。今は一面の竹藪ですけれども、西鶴に集落があった頃にはこの下に堂様があったのかもしれません。荒れ放題の状態で、このままですとそのうち仏様の姿が全く分からなくなる可能性があります。

 磨崖仏というものは、単独の石仏ではありませんで、岩壁に仏様を彫出しているため、どうしても風化摩滅してしまいます。それで、臼杵の石仏をはじめとして、文化財指定を受けている磨崖仏は覆屋を設けたり修復をしたりと、あの手この手の工夫を重ねて状態の維持に努めているのです。西鶴の磨崖仏はそういった管理がなされていないので、このように傷んできているのは自然のなりゆきです。残念な気もしますし、何らかの願いをこめてこの仏様を彫り出した昔の方のことを思えば何とも言えない気持ちになりますけれども、これもまた磨崖仏の本来の姿といえるかもしれません。風化した磨崖仏を拝見すると、ちょうど岩壁から仏様が今まさに現れんとする様子が想像されて、熊野権現の磨崖仏を思い出しました。自然と一体となっているところに意味があるのだと思います。