大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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津房の名所めぐり その1(安心院町)

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 津房地区は安心院盆地にほど近い平地から、天間(あまま)高原に近い丘陵地まで細長い谷筋で、楢本磨崖仏、地獄極楽など数多くの名所旧跡があり、安心院町を観光する際には必ず訪れるべき地域です。今回はこのシリーズの初回ですので、この地区を代表する名所であります東椎屋の滝の紹介からスタートします。

 

○ 宇佐の三瀑の俚謡

 安心院町や院内町には姿のよい滝がいくつかございます。その中でも、東椎屋(ひがししや)、西椎屋(にししや)、福貴野(ふきの)を「宇佐の三瀑」と申しまして、古くからその景勝は広く知られております。安心院町や院内町の盆口説に、宇佐の三瀑を唄った文句がありますので紹介します。

〽宇佐の三瀑 西国一よ 古く賑わう 滝参り
〽裏に回って 眺める滝は 日光裏見と 龍泉寺 
〽さすが雄滝 西椎屋凄や しぶき巻き上げ 鳴りたぎる 
〽東椎屋は 九州華厳 絵でも見るよな 艶姿

 この文句は、レソーやマッカセ、エッサッサ、蹴出しなどの節で口説かれて、人口に膾炙しております。「龍泉寺」と申しますのは福貴野の滝のことです。

 

1 東椎屋の滝

 宇佐の三瀑の中で、個人的にいちばん好きなのが東椎屋の滝です。滝の美しさは言うまでもありませんが、駐車場から滝に至るまでの遊歩道沿いの渓流の素晴らしさは、唄の文句のとおり「絵でも見るような」風情がございます。また、この滝は近隣在郷の雨乞い行事に深い関係がございまして、この点にも興味を惹かれておるところです。

 

○ 椎屋の地名について

 ところで、東椎屋と西椎屋は隣合うておらず、かなり離れております。西椎屋は院内町のはずれ、玖珠町との境界にあたる集落です。大昔にはどちらも椎屋と称していたものを同じ宇佐郡内に同じ村名であっては都合が悪く、東椎屋、西椎屋と改めたそうです。つまりこの2つの集落は偶然同じ名前であっただけで全く関係のない、別の地域なのです。この椎屋とはどのような意味なのでしょうか。共通するのは、どちらも滝のある断崖絶壁の下の僅かな緩傾斜にある小規模な村であるということです。「しや」の音に、このような地形をさす意味があったのかもしれません。耶馬十景のうちとして椎屋耶馬溪の呼称もございますが、これは東椎屋・西椎屋に由来するものであり、この広い地域一帯を「椎屋」と呼んでいたわけではありません。なお、今は漢字から類推して「しいや」と読むことが多いようです。

 

 閑話休題、東椎屋の滝の説明に戻ります。著名な観光地ですので道案内は省略します。東椎屋部落の奥詰めに立派な有料駐車場が整備されています。そこから渓流沿いを歩いていきます。特に危ない箇所はありません。ただし写真撮影などで渓流に近づこうとして遊歩道を外れますと、滑りやすいところもあります。

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 こちらは四季折々の風情がございますので、季節を変えて二度、三度と探訪されることをお勧めいたします。特にお勧めしたいのが、春から初夏です。5月頃になって日中少しずつ暑くなってまいりますと、このような水辺の景観がたいへん気持ちよく感じます。透き通った水の流れは千変万化の風情にて、岩間の早瀬は光にあふれ、また淵には青葉若葉の葉裏のそよぎを映して、この天然の景観はただのひとときも同じ姿を見せません。

 また、晩秋から冬にかけての情趣もなかなかのものです。この時季には光の乏しい渓間に緑も薄く、枝の掻い間に滝をすかせばいよいよ大岩壁のものすごさに畏怖の念を抱くを常として、人里の近さを忘れるような風情がございます。

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○ 東椎屋の滝の雨乞いについて

 宇佐地方から国東半島、速見地方の広範囲に亙って、江戸時代より溜池が盛んに造成されてまいりました。山田を拓いたり、また干拓して新田を開発したり等で耕地は拡大の一途をたどり、水の確保は喫緊の課題でした。そのため、特に杵築をはじめとして国東半島一円では溜池を2段、3段と造成したり、またはやや離れた溜池をつないで、順々に水を落としていくことで旱害を予防するような工夫のなされているところがかなりございます。このような涙ぐましい努力をしても、日照り続きともなりますと水不足に悩まされることがございまして、昔は集落単位で雨乞いを行うことがよくありました。

 その方法としては、第一段階では村々の貴船様(貴布祢様)の坪で雨乞いの盆踊りを踊ることが多かったようです(別の地域ですが津久見以南では雨乞いの盆踊り専用の「白滝落とし」という特別の盆口説がございます)。それでも雨が降らない場合、村からそう遠く離れていない滝や湧水等に水を汲みに行き、その水を貴船様に持ち帰り、盆踊りをします。それでも降らない、いよいよ緊急事態の第三段階になりますと、村の若者の中から特に健脚の者を代表者として、遠方まで水を汲みに行きました。その目的地として、国東半島や速見地方では東椎屋の滝を目指す事例がとみに多かったそうです。

 東椎屋の滝は八大竜王様の霊験あらたかとのことで、遠い村から歩いて行きました。杵築や安岐から歩いて東椎屋の滝まで行くとはさぞや難儀なことであったでしょうが、まして難渋するのがその帰り道です。竹の筒などの水を汲みますと、そこから自分の村まで一歩も立ち止まらずに帰らなければなりませんでした。それは、立ち止まったところに雨が降ると信じられていたからです。でも、何十里も離れた村まで立ち止まらずに歩くことは困難です。それで必ず複数名でまいりまして、立ち止まらざるを得ない場合には水を入れた容器を別の人に渡してから止まったとのことです。

 このように、東椎屋の滝は、昔は観光・物見遊山というよりは、信仰の対象として近隣在郷に名を馳せていました。この雨乞い行事は昭和に入ってもなお行っていた地域があるそうですので、ご高齢の方の中には記憶にある方もおいでになるかと思います。

 

2 熊野神社のイチイガシ

 東椎屋の滝に行く途中、道路の左側に熊野神社がございます。こちらはイチイガシが見事です。

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 道路沿いですので必ず目に入ります。「鎮守の杜」という言葉がぴったりの風景です。昔、雨乞いに東椎屋の滝まで歩いた方も、きっとこの木を見たことでしょう。前にも書きましたがイチイガシのことをよくイッチカッチと申しまして、昔は子供達が遊びながら実を拾ったものです。

今回はこれでおしまいです。ほかの滝についても、追々紹介いたします。