大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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仁田原の庚申塔めぐり その2(直川村)

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 前回に引き続いて仁田原地区の石造文化財を紹介します。時間の関係で飛ばしたり所在の分からなかった庚申塔もいくつかございましたので、今回紹介できるのは2か所だけになります。

 

4 当ノ木の庚申塔

 前回紹介しました細川内の庚申塔のところから下っていき、国道10号に突き当たったら右折します。少し行くと、左前方に旧道が分かれています(Y字分岐)。その旧道入口のかかり、1軒目のお宅の手前に、道路よりも高い位置に庚申塔が立っています。

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青面金剛6臂、3猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 主尊のお顔つきや体型、所作などが普遍的と申しましょうか、よく見かける造形でありまして、たいへん親しみを覚えます。立体的な彫りが見事で、ちょっと大きめのショケラが風に吹かれているのか、外向きになびいているのが可笑しうございます。猿の部分は碑面が荒れ気味にて細かい部分がわかりませんでした。それと申しますのも道路からの段差が高くて、この塔の正面に上がれませんで少し離れたところから確認するよりほかなかったのです。よく見ますと、両脇の猿はそれぞれ内側を向いて、中央の猿は正面を向いているようです。

 きれいな水が並々はいったガラスのコップが置かれているのを見まして、今までこんなにお供えやお水の新しい庚申様はあまり見たことがなかったものですから、さてもご立派なお方がいらっしゃることよと感激しておりましたところ、すぐ近くにお住いの方に声をかけられました。お話を伺うと、今は庚申講は絶えているものの、その方が毎日お水をかえてお参りをされているそうです。まさかご本人から声をかけて頂くとは思いもよりませんでした。こんなに鄭重にお祀りされているのですから、その方をはじめとする地域の方々の無病息災や付近の田畑の豊作などの霊験もいよいよ増しましょう。しかもこの庚申様は国道沿いに立っていますので、交通安全にもお蔭がありそうです。

 昔、南海部郡大分県の中でも特に道路事情が悪く、浦辺の村々は山越しの兎道を歩くか舟で回るを常として、まして山村ともなれば往還・間道の険なることすさまじく、往来に甚だ難渋したそうです。その中で佐伯から直見・仁田原・重岡経由で宗太郎峠を越すルートは比較的穏やかな道でありましたので佐伯・延岡間の往来も盛んであったところに、国道10号(当初は36号)の開鑿により大分・宮崎間の大動脈として、自動車の通行が急増しました。昭和30年代以降は自動車事故も多発し魔の国道10号などと囁かれたものです。今は三重から小野市廻りの国道326号の改良や高速道路の開通により、大分・延岡間の往来に国道10号を辿ることは少なくなりました。佐伯・重岡間の往来も、横川道の改良により見明峠を経由する方が増加しましたので、仁田原地区内の交通量は昔に比べるとずいぶん少なくなっております。それでも自動車がよく通りますので、わたくしはこちらの庚申様に交通安全をお願いいたしました。

 さらに、お水を上げている方がこのすぐ近くの石塔群に案内してくださいました。それが冒頭の写真で、五輪さんや板碑などがところ狭しと寄せられています。こちらは「当の木さん」と称される大木のねきでございまして、ちょうど庚申様の斜め上の位置関係になっております。いずれも保存状態が良好で感激いたしました。『直川の庚申塔』によれば板碑の後ろに庚申石が6基並んでいるはずですが、藪に隠れていて分かりませんでした。とまれ、見ず知らずのわたくしをわざわざ石塔群のところまで案内してくださった方のなんとありがたいことでしょうか。地域の方の信仰対象となってきた文化財をお参り・見学をする際には謙虚な気持ちで、単にその造形や保存状態のみで価値の上下を決めつけたりせずに、地域の方の暮らしや歴史に思いを巡らすことが大切だと思います。そのような心持ちを忘れないようにしたいと思っています。

 

5 大鶴の石造物

  当ノ木の庚申塔をあとに、国道10号を直見方面に向かいます。青看板に従い、三叉路を左折して県道609号(横川道)に入ります。大鶴部落のかかりにて、右に背戸道を行けば大師庵に着きます。この道は車が入れません。すぐ近くの路側帯が広くなっているのですが、そこは防火水槽やバス停、消防団の倉庫があるので駐車してはいけません。ですから、別のルートからまいります。郵便ポストの先を右折して、軽自動車が通る程度の小路を入ります。奥に行くと川に出て、車の通れない沈み橋になっています。その沈み橋の手前を右折すると墓地に出ます。このあたりに車をとめて、墓地から右に歩けば大師庵に到着です。余談ながら佐伯や直川では、このような堂様を一般に〇〇庵と呼んでいるようです。国東半島では〇〇堂と呼びます。堂様の呼称ひとつとっても地域性がございまして、おもしろく感じました。

 さて、大鶴の大師庵の境内には多様な石造物がところ狭しと並んでいます。庚申塔目当てで訪れたものを、他の種類の石造物も思いの外たくさんあって驚きました。正面の参道側から順に紹介します。

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 庚申塔です。文字塔が数基並んでいて、端の方は繁みに隠れていて確認が困難でした。「正面金剛」という珍しい銘のある塔があったはずなのに、見落としてしまって残念です。

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 文字塔の左には一段上に刻像塔、文字塔などがたくさん寄せられています。その下の段にもいろいろありまして、どれも立派な造りになっています。

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青面金剛6臂、3猿、邪鬼、ショケラ

 主尊の目鼻立ちはさても恐ろしい風貌でありますのに、ハの字眉に何とも言えない愛嬌がございます。悪霊や病魔などに立ち向かう勇ましさの中に、情の通う心根が感じられるような気がいたします。両脇には明らかに何かが刻まれているのですが、童子ではなさそうです。この部分が傷んでいて分かりにくうございます。よく見ますと猿が主尊の方を向いているようです。もう1匹の猿は向かって右下に正面を向いて刻まれています。ただ『直川の庚申塔』に掲載されている図によれば、邪鬼の下に3猿が刻まれていて、主尊の両脇には何もないことになっています。確かに、向かって左下の方にも猿が刻まれているような気もしたのですが、苔の侵蝕で分かりにくく、確証が持てませんでした。もし下に3猿が刻まれているのであれば、主尊の両脇はどうしたことでしょう。どう見ても猿にしか見えないのですけれど、5匹も猿が刻まれるものでしょうか。または、猿のように見える童子なのでしょうか? 確からしい答えに行き当たらないのをもどかしく思いつつ、いろいろと想像をめぐらすのもまた楽しいものです。

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大乗妙典一字一石塔

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 立派なお弘法様です。今もお接待をしているのでしょうか?

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 六地蔵様です。この先は墓地です。

 最後に大鶴の地名について申しますと、おそらく「鶴」は美称的な用字で、津留と同義と思われます。「ツル」は、川べりの低地などで大水の出やすい土地ににつけられていることが多い地名です。ちょうど大鶴部落も、久留須川が大曲りして半島状になった地形の尖端に位置しております。今は護岸工事などで浸水することはないと思いますが、川が今のように整備される前は、増水時にはさぞ難渋されたことでしょう。

 

以上、仁田原地区の庚申塔を中心とする石造文化財を紹介しました。次回より直見の庚申塔にかかります。下直見・上直見それぞれ数が多うございますので数回のシリーズになります。