大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

カテゴリから「索引」ページを開いてください。地域別にまとめています。

重岡の庚申塔めぐり その3(宇目町)

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210804011308j:plain

 前回、大字河内の石造物を紹介しました。今回からその隣、大字千束にまいります。この地域の庚申塔は、通山、酒利、柿木、八幡川原の4か所を探訪することができました。このうち八幡川原については説明の都合上、次回に回します。ですから今回は3か所のみですので、短い記事になります。

 

10 通山の庚申塔

 通山の庚申塔群は宇目町を代表する石造文化財の一つです。こちらはすぐ見つかりそうだと浮かれ調子にて山道を登ったはよいものの、なかなか行き当たらず右往左往してしまいました。前回の最後に紹介しました「9 河内の庚申塔」のところから重岡地区中心部に向かってほんの少し進み、右側1軒目のお宅の下の二又を右に入ります。その先を右折してすぐの二又を左にとり、1つ目の角を左折します(この分岐を見落とさないようにします)。田んぼの中を直進して山の方に向かう道を進みます。ちょっと不安になる道幅ですが、探訪時には落石等はなく安全に通行できました。緩やかに登っていき峠に着きますと、左側に作業道が2本分岐しています。車はこの辺りに、邪魔にならないように停めます。2本ある作業道のうち登り坂になっている方に入ってほんの少し行けば、右下の一区画に庚申塔がたくさん寄せられています(冒頭の写真)。通山の庚申塔に着きました。段差がありますので、適当に下り易そうなところを見つけてください。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210804011312j:plain

 緩斜面の一角をならして矩形の狭い坪をなし、その数実に33基もの庚申塔が整然と並んでいました。全部文字塔で、大小さまざまですが比較的大きな塔、どっしりとした塔が目立ちます。刻像塔のような派手さはないものの、こうしてたくさんの塔が狭い坪に何列にもひしめき合っており、なかなか壮観でございます。草が伸びてきておりあまり人が訪ねた形跡が感じられませんでしたが、ぜひ現地で見学していただきたい文化財です。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210804011336j:plain

 彫りは浅いものの、間近で見ますと一つひとつの銘がよく残っていました。もとからこのように並んでいたのか、または道路工事などでこの狭い用地に移されたものなのかはわかりませんが、保存状態は概ね良好です。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210804011339j:plain

 説明板の内容を起こします。

~~~

町指定有形民俗文化財
通山庚申塔

  平成二年五月二十五日指定
  宇目町大字千束字酒利
   正覚山崇圓寺所有

 この庚申塔は慶安二年(一六四九)に造立されたものである。材質は凝灰岩で、高さ一五〇センチ、幅七〇センチと堂々たるものである。ここには外に凝灰岩のもの二六基、自然石のもの六基がある。造立された年代も、慶安・明歴・寛文・元禄など、時代が下るにつれ多くなっている。

(以下略)

~~~

 それにしても、峠のほぼ頂上に庚申塔が立っているのは珍しい気がいたします。部落内の辻や部落の端外れの道路端に立っているのがセオリーで、今は地形の改変や維持管理上の理由で堂様やお寺、神社、公民館などに移されていることもあります。こちらの庚申塔群が人里離れた峠の頂上付近に立っている理由を、2つ考えました。

①通山の山道沿いの、もう少し麓の部落に近いところに並んでいたものが、車道化する際に峠の頂上付近に移されたのではないか

②今は人里離れた感があるが昔は、麓から峠の頂上付近まで耕地が広がっていたのではないか

 説明板には特に言及がございませんでしたので、いずれも推測にすぎません。

 

11 酒利の庚申塔

 通山の庚申塔から酒利方面に下り、下の道路に出ましたら鋭角に左折して、崇圓寺、宇目郷代官跡の前を通って道なりにまいります。道路左側に民家が続き、最後のお宅の手前を左に入ります。農道を少し行けば、右側の山すそに石造物が並んでいます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210804011352j:plain

 中央に刻像塔、向かって右の2基が文字塔で、合計3基の庚申塔です。左の仏様と中央の刻像塔にお水があがっていました。これは、石造物の種別(庚申塔か仏像か)によらで、刻像塔を「仏様」とみなしてお供えをしていることが推察されます。重岡の庚申塔の第1回目の記事で、宇目町においては文字塔が主流であるためか刻像塔をことさらに鄭重にお祀りしている感があるの旨を申しましたけれども、この記事を書くにあたってつくづく考えますに、これは刻像塔と文字塔の多寡というよりは、刻像塔を仏像と同等に見做しているためであろうと思い至りました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210804011357j:plain

青面金剛6臂、3猿、2鶏

 主尊のお顔を見ますと、鼻筋が通って目がきりりとつり上がり、歌舞伎芝居の雰囲気がございます。目つきは怖いものの、威厳とか厳めしさというよりは伊達男のような風情が感じられませんか。上半身が発達して太い腕や厚い胸板、全体的にどっしりとして強そうな感じではありますものの、畏怖よりも親しみが感じられます。稚児の落書きのような鶏や、下の小さい部屋に押し込められた猿もかわいらしくてよいと思います。全体的に国東半島でも見かけそうな造形であるのも、親しみを覚えた要因かもしれません。保存状態は頗る良好です。

 こちらは車道からも小さく見えるものの、見落としやすいと思います。近くに適当な駐車場がありませんので、宇目代官跡のところの駐車場から歩いて訪れるとよいでしょう。

 

12 柿木の庚申塔

 酒利の庚申塔の入口を過ぎて柿木方面にまいりますと、ほどなく道路左側に庚申塔が寄せられています。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210804011402j:plain

  このように文字塔が無造作に立てかけられているように見えます。こちらは、道路工事で崖際に寄せた際に用地が狭く、このように密着して立てかけるように並べるしかなかったのでしょう。または、宇目町では庚申塔(文字塔)を33基立てたらそれを積み重ねて塚となしている例もありますから、こちらもその類かもしれません。実は、この左側の崖上(岩棚の上)に刻像塔もございます。見上げないとわからない位置で、現地では全く気付きませんでした。それと申しますのも自動車を停める場所がございませんで、急いで見学をしたために上の方まで確認する余裕がなかったのです。まさか人の背丈よりも高い岩棚の上にも塔が立っているとは思いもよりませんでした。先ほどグーグルマップを見直して刻像塔が立っていることに気付いたのです。悔やんでも後の祭り、車を置いて歩いて戻るのを億劫がって手短に済ませたのが間違いでした。

 

今回は以上です。酒利の庚申塔は現地で偶然見つけてヤレ嬉しやと喜んだものの、柿木の庚申塔では刻像塔を見逃すという失態を犯してしまいました。ほかにも、見落とした塔がたくさんあると思います。暑い日だったせいでしょう、地域の方が屋外にほとんど見当たりませんで、お尋ねすることができなかったのが残念です。

 

(2022.11.11追記)

柿木の庚申塔群のうち、崖上の刻像塔を確認してきました。ずいぶん高い位置で細部の確認はできませんでしたが、写真を掲載しておきます。