大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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重岡の庚申塔めぐり その4(宇目町)

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 重岡の庚申塔めぐりのシリーズも、ひとまず今回で最終回です。今回はすべて文字塔で、これまでの記事に比べますと若干地味な印象はぬぐえませんが、宇目町庚申塔の中で特に紹介したかったのが、この記事の最初に出てくる八幡河原の庚申塔群でございます。このシリーズの中の目玉といってよいでしょう。

 

 13 八幡河原の庚申塔

 説明の都合上、起点を宇目B&G海洋センターとします。海洋センターを右に見て道なりに行き、右側1つ目の角を右折して八匹原公園への道に入ればほどなく、道路右側に庚申塔が並んでいます(冒頭の写真)。こちらは、以前は八幡河原にあったものを道路拡幅に伴いこちらに移したものとのことです。八匹原公園は梅や桜で有名でたくさんの方が訪れますので、通りがかりにこちらの庚申塔群を見かけたかたも多いでしょう。一見するだけでもなかなかの景観ではありますが、車窓から見るのではなく、できれば近くに車を停めて説明版に目を通していただきたいと思います。

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 全部文字塔とはいえ、こうして1か所にたくさんの塔が並んでいて壮観です。その数なんと33基!通山の庚申塔群と同じです。この33基というのは宇目町庚申信仰では特別の意味があるそうです。こちらは一つひとつ形が違いまして、塔身の輪郭のみならで銘を刻んだ箇所の枠の取り方も多種多様でございます。幸いにも、このように広い用地に移設されたことで前後の間隔が広く、後列の塔も容易に観察することができます。倒伏のリスクも低くなっています。公園の上り口の道路端に移されたことで皆さんの目にとまりますし、文化財保護の観点から考えても、最良の方法だったのではないでしょうか。

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 たいへん詳しい説明板がありました。内容を起こします。

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町指定有形民俗文化財
八幡河原庚申塔
  平成十三年十月十〇日
  宇目町大字千束字○○
  宇目町所有
 この庚申塔群は宮野区から田野区へ通ずる道路から八幡河原への降り口にあったものを道路改良のためこの地に移設したものである。
 十干十二支によって六十年又は六十日にまわってくる庚申(かのえさる)の夜に眠ると、人間の体内にいる三尸という虫が抜け出し、天の神にその人の罪過を報告する。天の神はその罪の軽重によりさまざまな禍を与え、人の寿命を書き、前もって死ぬ時期を定めると言われている。
 したがってこの夜は謹み深く諸善を行わなくてはならぬと言って、徹夜することが道士の修行とされていた。したがって庚申塔は寝ないて庚申待をする民間信仰の供養塔として造立された。仏教側は「青面金剛」、神道側は「猿田彦命」をそれぞれ礼拝の対象として取り入れた。庚申塔は本来三年又は六十年に一基ずつ造立するものである。
 庚申の神は、作の神、病魔厄除けの神、家内繁栄の神、幸運の神などと、意義付けられ、道路の分岐点、集落の境界、田の端、峠道などに造立された。
 本町には文字庚申塔が圧倒的に多いが、その形式のほとんどがここに凝縮されている。大きいもので高さ二メートルもあり重量感にあふれ圧巻である。特に一か所に三十三基も大量にある所は極めて珍しく、大分県下にはその例を見ない。年代の古いものでは「寛文十三癸丑稔」(一六七三)が最も古い。
 また、向かって右後方に「◆(偏にハ・臼、旁に烏)」という字を刻んだ庚申塔があるが、これは「烏」「八」「臼」(ウ・ハ・キュウ)庚申塔と云われ、隠れキリシタンがよく使った文字だといわれている。年号も「元和」を「◆(元の脚が左右逆)和」と異体字を使っている。さらに前列正面には、「申」を「◆(○にキを重ねた字)」にして「十字」を隠したような庚申塔もあり、キリシタンとの関連性もうかがえる。特に板碑や墓碑ではなく、庚申塔に「◆(ウハキュウ)」で表しているものは、県内では未だ発見されていない逸品で貴重な文化財である。
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※ ○印…判読不能 ◆…変換不可にて()内にその文字の形を示した

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 こちらが説明板にて言及されていた、「申」を変わった字体で書いて「十字」を隠しているのではないかと思われる塔です。すぐわかりました。この塔を見て思いましたのは、キの部分が十字架を模しているというより、○にキで「キリスト」を表したのでは?ということです。渡辺はま子の歌った「長崎のお蝶さん」に、「丸にヤの字のマリヤ船」という文句があります。それと同じ発想なのではないかと思いました。

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 そしてこちらが「ウハキュウ」の庚申塔です。上端に、その文字があります。そして確かに「元」の字が鏡体になっています。こちらは一見して分かりにくく、一つひとつ順番に確認しまして無事見つけることができました。

 思えば、国東方面におきましても所謂「異相庚申塔」と呼ばれている刻像塔がございます。確証はございませんが、その像容から隠れキリシタンの仮託信仰の対象であったのではないかと云われているものです。こちらの「ウハキュウ」の塔や「○にキ」の塔もそうですが、もしキリシタン関係であるのなら、どうして庚申塔を隠れ蓑にしたのでしょうか。それは、庚申信仰道教が端緒であると申しますが、ある種の流行的な信仰であったこともあってかその霊験や祭祀の方法、また塔の銘・像等見ましても各地各様でありますので、どうとでも説明ができたということがあるのかもしれません。

 こちらには三十三基もございますので上記の2基以外につきましては一つひとつの詳細は掲載しませんが、どれも立派で、説明板にありますように同じ文字塔でもいろいろ形式が異なりますから、ぜひ実物をゆっくり見学して頂き、見比べますと何かしらの気付きが得られましょう。

 

14 上仲江の石造物(イ)

 八幡河原の庚申塔群から海洋センター方面に戻りまして、そのまま海洋センターの前を通り過ぎます。道路の両脇にカーブミラーが立っているところに青看板があります。それに従って上仲江方面へ左折します。一山越して下の道路に突き当たったら右折しますと、ほどなく道路右側に石造物が寄せられています。ちょうど路肩が広くなっていますので、車を停められます。

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 庚申塔(文字)が5基と、仏様が2体、祠が1基ございまして、仏様と祠は一部破損しておりますものの一段高いところに安置されています。きちんと草が刈られており、地域の方の信仰が続いているように見受けられました。こちらの文字塔の中に、八幡河原で見ました「○にキ」の庚申塔が1基ありました。

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 どう見ても普通の「申」ではありません。また、庚も異体字で、下が離れて「ハ」の体をなしています。塔の土偏もアンバランスな感じがします。もしかしたら「庚申塔」の「庚」と「塔」を当たり前に書きますと「申」のおかしさが目立ちますから、木の葉を隠すなら云々の要領で全体を少しずつ違えたのかもしれません。推測に過ぎませんけれども、このように文字一つとってもあれこれと説を考えながら見学するのは楽しいものです。八幡河原の庚申塔の説明板のおかげで、より一層の興味関心が湧いてまいりました。

 

15 上仲江の石造物(ロ)

 14番「上仲江の石造物(イ)」を過ぎて僅かの距離で、また道路右側に石造物が寄せられています。こちらにも庚申塔が数基ございます。写真はありませんが、この少し先、長昌寺の参道上り口横にも別の庚申塔が立っています。まことほんとに、右に行っても左に行っても庚申塔に行き当たるというような密度で、庚申信仰の流行のほどがうかがわれます。

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 道路工事で寄せられたのでしょうか、狭い区域に祭壇をこしらえまして庚申様や三界万霊塔などが並べられています。お供えが新しく、地域の方の信仰が続いていることがわかりました。

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 文字が掠れてきていますが、「仲江笠塔婆」の説明板がありました。内容を起こします。

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町指定有形文化財
仲江笠塔婆
  平成二年五月二十五日指定
  宇目町大字重岡字重岡
   重岡区所有
 笠塔婆は石造塔婆の一種で、細長い方身形の上部に笠石をのせたものである。塔身の上部に仏像、種子をあらわすほか、長い銘文を刻むことができるのが、これらの特徴である。
 浄土宗系では六字名号を刻んだり、日蓮宗系では題目を刻んだりする。平安時代後期からあらわれ、流布伝播していった。内容的には板碑と同じである。
 この笠塔婆は凝灰岩でできており、惜しいかな笠石が欠損している。しかし、塔身には密教の四方仏金剛界の種子である「アク」が鮮やかに薬研彫りされ異彩を放っている。また制作年代もその形状から室町時代後期の作と推定される。
 この種の笠塔婆は本町に一基しかないため、それだけに貴重である。
  宇目町教育委員会

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 一点、「大字重岡字重岡」の地名表記については、前回の記事で申した通り、あまり妥当な手法とは思えません。「重岡区所有」とあることから、仲江部落は行政区「重岡区」の一部であるようです。つまり「字重岡」は、ここでは字名というよりは行政区をさしているのでしょう。

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  後列左から2番目の塔が、説明板にて言及されております笠塔婆のようです。笠が欠損しているのがつくづく惜しまれます。説明板がなければ、まさかこの塔が笠塔婆であるとは思いもよりませんでした。それにしても、笠塔婆は国東方面ではときどき見かけますけれども宇目町にはこの1基しかないとのこと、石造物の種類の多寡にも地域性があるということをあらためて実感した次第でございます。

 

重岡の庚申塔めぐりも、ひとまずこれで最終回です。まだまだ訪ね損ねた塔がたくさんあるはずですので、いつか続きを書きたいと思います。最後に、宇目町の新民謡であります「宇目小唄」を紹介します。この小唄には庚申様などの石造物は言及されておりませんが、この地域の歴史を偲ぶよい文句でございまして、山また山の宇目の里の景物のみならでここに生きる方々の生活の様子がよく唄い込まれています。ですから、よし文句に出てこずとも、これまで紹介してまいりました数々の石造物に寄せられた素朴な信仰心もまた、行間に見えてくるような気がいたします。節もよく、私の好きな唄のひとつです。

新民謡「宇目小唄」
〽桜吹雪につい誘われて 越える三国の峠路
 あわれ あわれ草生す隼人の塚に
 むせぶ思いの むせぶ思いの花が散る

〽粋な馬子唄 駅路の鈴も 今は遥かな史の跡
 並ぶ 並ぶ甍よ名も小野市の
 床し風情を 床し風情をさながらに

〽香る石楠花 傾晴れて 阿蘇の煙もほのぼのと
 聖い 聖いお山よ四王子山は
 雲の上まで 雲の上まで木が茂る

〽宇目の渓間の夕焼け頃は 子守乙女の唄げんか
 あやす あやす背の子 指さす空に
 明日も日和の 明日も日和の一つ星

〽萌える青葉の中岳川に 登る若鮎 奔る水
 仰ぐ 仰ぐきりぎし轟く瀑に
 スイと糸引く スイと糸引く岩つばめ

〽宇目は七谷 峠は七つ 七つ不思議な七名所
 国は 国は豊後よ河流は日向
 ほんに不思議な ほんに不思議な夢の郷

〽稔る稲穂に秋の陽映えて 交わす笑顔の椿原
 笛も 笛も太鼓も鷹鳥屋様の
 森に白熊の 森に白熊の毛が揺れる

〽昔岡様 七万石の 富を支えた錫の山
 木浦 木浦よいとこいや増す栄え
 進むキリハが 進むキリハが国の糧

〽拓く傾 尽きせぬ原生林 延びる軌道に湧く希望
 走る 走るトロリー命の瀬戸よ
 下は岩咬む 下は岩咬む矢の激流

〽恵み豊かな肥沃の里に 匂う茶の茶よ椎茸よ
 楽土 楽土宇目町のびゆく明日の
 梅も花咲け 梅も花咲け理想郷

 

次回から本匠村のシリーズに入ります。まず因尾地区からスタートします。