大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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上真玉の名所めぐり その3(真玉町)

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 前回に引き続き、上真玉地区の名所旧跡をめぐります。今回は3基の庚申塔が出てきますが、このうち2基はこのシリーズ第1回目で紹介しました立花の庚申塔と瓜二つです。見比べてみてください。

 

6 行立の庚申塔

 県道654号の、「ほうらいの里」の大きな看板のある辻(前回紹介した山ノ下の庚申塔の近く)から大岩屋方面に行きます。川向かいにほうらいの里の建物が見えたら右折して橋を渡り、道なりに右に行き県道方向に戻ります。ほどなく道路左側の斜面に庚申塔が立っています。道路端なのですぐ分かります。車は、そのすぐ先の路肩ぎりぎりに寄せればどうにか1台は駐車できます。ここは大字大岩屋のうちです。

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 道路から少し上がったところに、庚申塔とお地蔵さんが並んで立っています。そう急斜面ではありませんが、落ち葉が多い時季には転ばないように気を付けましょう。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼

 こちらは180cmほどもある大型の塔である上に、斜面の中程にて道路よりも高い位置に立っていますからなかなかの存在感でございます。写真が悪いのと、碑面がややざらついてきておりますので諸像の姿がやや見えにくいかもしれませんが、実物を見ればくっきりとしています。すらりとした体型の主尊は丸顔で、その輪郭が光輪の線とよう合うており優美な印象を受けました。長い三叉戟や宝珠など、持ち物も丁寧に表現されています。童子は振袖さんで、寸詰まりの身長にて主尊と見比べますとまるでお稚児行列のような可愛らしさでございます。主尊に踏まれた邪鬼はガニ股で四つん這いになり、もはやこれまでの怨みをかこつ表情にはどことなく愛嬌すら感じられます。

 見ざる言わざる聞かざるの3猿はめいめいに向きを違えて、中央は正面向き、左右は斜めを向いているなど、生き生きとしています。その下の鶏を見ますと、雄鶏の方が首を捻じ曲げて後ろの雌鶏を見守るような格好になっておりますのも愛らしいではありませんか。宝永7年、凡そ310年前の造立です。

 

7 重野の羅漢窟

 行立の庚申塔から県道に返り、市街地方面に進みます。左にスパランド真玉を見て少し行けば、右側の路側帯が広くなっているところがあります。ここに車を置き、「重野岩窟仏 動物のまもり本尊 馬頭観音」の看板から参道を少し上がれば岩屋の堂様の中に羅漢様が並んでいます。先に参道沿いの石造物を紹介します。

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 素朴な造形の五輪塔や板碑、岩屋の中には馬頭観音様がおわします。馬頭観音様は牛馬の守り本尊として、農家の絶大なる信仰を集めてきました。こちらの馬頭観音様は、その前に並んだ線香立てなどの様子から、今も信仰を集めていることがうかがわれます。

 説明板の内容を転記します。

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重野岩窟仏縁由

重野岩窟仏は元禄年間、仁聞菩薩の教えを継ぐ人々の手により開基されたと伝えられている。弥勒寺の坊の一部である。第三十三番の二観音さまは平家ゆかりのもので、前庭から刀剣が発掘されたことがある。羅漢窟は本尊が釈迦如来で、脇仏に普賢菩薩文殊菩薩が安置され、その周りに十六羅漢が祀られ、いつの世からか「ほっくり羅漢」と呼ばれている。馬頭観音は家畜の護り本尊として親しまれている。

合掌

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 岩屋の中にコの字の棚を設けて仏様がずらりと並び、壮観です。正面中央は釈迦如来普賢菩薩文殊菩薩の三尊で、こちらは一段高くお供えもあがり、特に鄭重にお祀りされています。彩色も鮮やかに、写実的な造形が素晴らしいではありませんか。左右に並ぶ十六羅漢様はお顔や所作が全部違いまして、なんとも愛嬌のあるお姿は一度見たら忘れられません。ぜひお参りをして、一体ずつ見比べてみてください。

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 特に好きなのがこちらの羅漢様です。衣紋の端を口に咥えて、狛をなでる様子のなんと面白いことでしょうか。

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 こちらも柔和なお顔立ちがすてきで、一目拝見して大好きになりました。広い心で穏やかに過ごすことの大切さを教えてくださっているような気がいたします。

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 こちらはアップクチキリキアッパッパと赤子をあやしているかのような、さても珍妙なる表情です。ほかにも魅力的な羅漢様がたくさん並んでおり、めいめいのお姿・お顔のおもしろさに心惹かれるものがあります。お参りをいたしますと自然と明るい心持ちになる、ほんにありがたい羅漢様でございます。

 

8 尾南の霊場

 車を路側帯に置いたまま歩いてスパランド真玉の正面まで行き、左折します。左手の建物の外壁に「貴船神社 元禄庚申塔 弥勒寺遺跡 尾南の地蔵 火伏地蔵 愛宕大権現」などと記された看板がついています。こちらは小山の斜面を利用した霊場になっていて、様々な仏様・神様を順々にお参りして参道を登っていけば終点が愛宕大権現・火伏地蔵様です。項目名は、地名からとって尾南の霊場をしました。

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 この看板を目印に建物の前の細道を左に行きますと、山裾にいろいろな石造物が寄せられています。車は入りませんので、先ほど申しました路側帯に停めて歩いて来るとよいでしょう。

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 五輪塔群の中に、「奉納大乗妙典…」で始まる銘の塔が2基立っています。後半は戒名のようですが、墓標なのでしょうか? ここから参道の坂道を上っていきます。

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 参道の半ば、左手に貴船様がございます。貴船様は水の神様で、昔から農家の信仰を集めてきました。溜池などの灌漑設備が発達したことと、水稲減反により今は水不足の困りがほとんどなくなっておりますが、あちこちの部落に貴船様の小社ないし石祠が残っています。

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 こちらの貴船様は灯籠がたいへん凝っています。霊亀か蓬莱様と思われる動物に柄杓を持った神様?が坐り、その頭の上に大きな笠を伴う六角形の火袋が乗っているではありませんか。これほど凝った造りの灯籠はなかなか見かけません。

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 貴船様の反対側(参道右手)の岩棚上には庚申塔が立っています。段差が高くて直接上がることはできないので、もし近づきたい場合には右の方から上がって害獣予防柵を越し、左に回り込むしかありません。どうしても近くで見たくて、やっとの思いで上がりました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220318021014j:plain 青面金剛6臂、2童子、2猿、2鶏、髑髏

 こちらの塔は「その1」で紹介した立花の庚申塔にそっくりで、同じ作者であることは明白です。細部が少しずつ違うので、気付いたことを簡単に記します。まず瑞雲の細かい渦巻き模様が華やかです。主尊の髪型は螺髪で、目を細めたお慈悲の表情でございます。合掌した腕の真下には、中央に髑髏のついた腰紐をからげています。庚申塔に髑髏を刻出しているのを稀に見かけますが、どんな意図があるのでしょうか?裳裾をお引き摺りの一歩手前まで優美に広げているのがよいと思います。

 猿は、御幣をとって向き合うているのが可愛らしいものの、その表情や体つきが何となく不気味に見えました。鶏は鶏に比べるとずいぶん小さく、ささやかな表現です。

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 斜めから見ますと、いかに厚肉彫りで表現されているかがよう分かります。特に童子は背が低いので、お相撲さんのように丸々と肥っています。この後ろには庚申石がいくつか並んでいました。

 庚申塔から参道に返って先に進みますと、古いお墓がたくさん並んでいます。参道上り口の六地蔵様は、この墓地に付随するものと思われます。さらに進めば、ほどなく愛宕大権現に到着します。

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 愛宕大権現につきました。看板にあった「火伏地蔵」と申しますのは、愛宕大権現の本地仏です。つまり両社は一体のものであって、この堂様の中にございますお地蔵様が愛宕大権現であり、火伏地蔵様であるのです。昭和末期までは今よりもずっと大きい建物で畳敷きであったそうですが、老朽化が進み今の建物に建て替えられたとのことです。ありがたくお参りをして火災予防をお願いたしました。

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 堂様の横にはたくさんの五輪塔が寄せられています。近隣に散在していたものをこちらに集めたのでしょう。

 こちらの霊場は寄四国霊場や影平霊場に比べますとずっと簡単に、短時間で一巡できます。近隣の名所めぐりの際に立ち寄ってお参りをされてはいかがでしょうか。

 

9 部屋ノ前の庚申塔

 尾南の霊場から県道に返って、内陸方面に少し歩きます。県道654号の標識が立っているところから左に折れて、県道と並行する滑り止め舗装の坂道を上れば、ほどなく右側に庚申塔が立っています。道路端なのですぐ分かります。

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青面金剛6臂、2童子、2猿、2鶏

 こちらは尾南の霊場庚申塔と瓜二つなので、詳細は省きます。ただし髑髏は伴わず、その部分が複雑な地模様になっています。また、主尊の区画と童子・猿・鶏の区画を隔てる帯状の箇所の文様も異なります。

 半ばで折れた痕が痛々しいものの、像の破損がほとんどなかったのが幸いです。近隣の方のお参りがあるようで、お花のお供えがあがっていました。

 

10 下黒土の金毘羅大権現

 道順が飛び飛びになりますが、次は下黒土の金毘羅大権現です。車に乗って、県道を内陸方面に進みます。

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 道路左側の鳥居が参道入口です。切通しの右側には庚申塔などの石造物がございますが、それはまたの機会といたします。この切通しの部分に、以前は狭いトンネルがほげていました。そのトンネルを壊して道路を拡げた際に旧の参道が失われたのです。道路右側の路側帯に邪魔にならないように車を停めたら、法面に沿うた急勾配の階段を頑張って登ります。

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 階段を登り詰めたところから、黒土耶馬の岩峰がよう見えます。ここから先は昔からの参道が残っています。左に折れて急な坂道を登ることになるのですが、一部足下が悪いところがありますので通行に注意を要します。

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 急な坂道を登り詰めた広場に、金毘羅大権現の石祠がございます。今はお参りも少ないようです。ある程度の広さがありますから、昔は拝殿が建っていたのではないかと推量いたしました。

 

11 福真磨崖仏

 金毘羅大権現から県道まで下って、福真磨崖仏の名所標識のところから田んぼの中の舗装路を進みます。害獣除けの柵がありますから、開けたら必ず元通りに閉めておきましょう。

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 道なりに橋を渡ったとろにも柵がありますが、開け閉めできますので問題なく通行できます。

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 参道入口には「大権現」の鳥居が立っています。この鳥居はたいへん小さくて、背をかがめないとと通れません。ここからなだらかなカーブを描く石段を登れば、ほどなく磨崖仏に到着します。写真の上の方に、磨崖仏の覆い屋が小さく写っています。

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 説明板の内容を転記します。

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県史跡「福真磨崖仏」昭和35年3月22日指定

南北朝期と推定
・唐破風付石造覆屋 安政4年(1857)
 法橋安藤国恒・鴛海重光作

(右から)
胎蔵界曼荼羅
不動明王
六観音坐像
金剛界五仏坐像
六地蔵坐像
毘沙門天

およそ80の石段を登ると
・四王大権現福真堂(豊後八十八所第四十五番霊場
不動明王 文化5年(1810)
薬師如来坐像

平成12年10月吉日 豊後高田市教育委員会

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 こちらは磨崖仏はもとより、石造の覆屋がたいへん立派です。数年前にこの覆屋の解体修理工事が行われました。石を組み合わせてこれほどの建造物をこしらえるとは、よほど技量のある石工さんによるものでしょう。今のように立派な機械などがない時代のことです。この覆屋の屋根の上、岩壁に斜め方向の溝を切っています。これは岩肌を流れ落ちる雨水をこの溝で受けて左右に流すことで、屋根と岩壁の接合部から水が漏れて磨崖仏にかかるのを防ぐための工夫と思われます。

 では、中の仏様を左から見ていきましょう。

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 写真がぶれてしまいました。左端が毘沙門天です。

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 見切れてしまっていますが、左側に六地蔵坐像が上下2段、縦3列に整然と並んでいます。優しそうなお顔、優美な蓮華座など素晴らしいと思います。中央は金剛界五仏坐像で、さいころの5の目のような配置になっています。

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 右端が毘沙門天、その左は六観音坐像で、やはり上下2段、縦3列に整然と並びます。お観音様はめいめいに所作が異なります。どの仏様も磨崖仏とは思えないほど細やかな表現で、薄肉彫りでありますのに細部までよう残っておりますのは、早い時期から覆屋で保護されていたことによるのでしょう。

 ところで、実に19体を数える仏様の配列は儀軌を逸脱しているそうです。儀軌によらで、作者の美意識を優先した配列なのでしょう。熊野権現の磨崖仏に代表される、1体のみで見る者を圧倒するような迫力のある仏様とは異なり、こちらは一つひとつは小さく、目立ちません。けれどもたくさんの仏様がずらりと並んでおりますので、全体を見渡したときの調和の美がございますし、お参りをいたしますと自然と心が安らかになります。ありがたい仏様でございます。

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 胎蔵界曼荼羅も、彫りが浅いながらもよう残っています。その隣には花立てまで磨崖でこしらえてあります。これほどの磨崖仏群を手作業でこしらえるのは、途方もない労力であろうと思われます。どれほどの時間がかかったのか想像もつきません。ぜひみなさんにお参りをしていただきたいと思います。実物を拝見すれば、きっとしばらくその場に留まってじっと見入ってしまうことでしょう。そのときに何か感じるものがあれば、きっと仏様のお蔭があると存じます。

12 福真堂

 磨崖仏のところから急傾斜の石段を登りつめたところに堂様がございます。こちらは谷の奥詰めです。金毘羅大権現にお参りした後であれば参道を登るのに骨がおれますが、せっかく福真磨崖仏にお参りをされるのであれば、ぜひ上の堂様まで頑張って登ることをお勧めいたします。

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 堂様の中ではかわいい狛犬が背筋をぴんと伸ばして、仏様を守ってくれています。お不動様と薬師様にお参りをいたしましょう。

 

今回は以上です。適当な写真がなくて、身濯神社や中ノ坊磨崖仏などの名所旧跡を飛ばしました。またの機会に補いたいと思います。上真玉のシリーズが続いたので、次回は犬飼町の名所旧跡を紹介します。