大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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大野の名所めぐり その1(大野町)

 大野地区の写真がある程度たまったので、記事にしてみます。素晴らしい景勝、石造文化財など見所が盛りだくさんです。初回は沈堕(ちんだ)の滝と発電所跡を紹介します。この一帯を代表する名所中の名所でありますから、滝にまつわる伝承なども絡めて詳しく書いてみようと思います。

 さて、大野地区は大野町の南部にあたり、大字中原(なかばる)・片島・田代・矢田・小倉木(こぐらき)・郡山(こおりやま)・両家(りょうけ)・夏足(なたせ)からなります。大字夏足のうち大渡(おわたり)は交通不便のため昭和30年に緒方町編入されました。このシリーズでは大渡の名所も含めて掲載しますので、当該記事では大野町と緒方町に跨ることになります。

 

1 滝見公園

 国道502号を三重町から清川村方面に進みます。岩戸の大岩壁を右に見てほどなく、沈堕の滝の標識に従って右折し県道26号に入ります。道なりに大野橋を渡るのですが、次に紹介する女滝を正面から見たい場合はこの橋の手前から左の小道を歩いて行くとよいでしょう。今回は飛ばして先に行きます。橋を渡ったところを右折し、すぐに左折して中角部落への道を上ります。坂道の半ばで、標識に従って左折すれば公園の駐車場に着きます。

 車を停めて坂道を歩いて下りていけば、冒頭の写真の風景を楽しむことができます。四季折々の良さがありますが、特にお勧めしたいのは桜の時季です。上の広場の端からは、桜の枝越しに滝を楽しむことができます。まったく、一幅の絵画を見るような景勝でありまして、写真撮影のお好きな方にはもってこいの場所です。ゴザを延べてお弁当を広げるのもよいでしょう。

 

2 沈堕の滝(女滝)

 沈堕の滝には男滝と女滝があります。滝見公園から見たのは男滝の方で、一般に沈堕の滝と申しますと男滝を思い浮かべる方が多いでしょう。女滝は、男滝に比べますと規模の点では劣りますけれども、こちらも水量が多くなかなかのものです。

 女滝の展望スポットは2か所あります。正面から見るには、先ほど申しましたように大野橋の手前から脇道を歩いて下っていきます。でもこの道を歩くのが億劫な場合、もっと簡単に見られる場所があります。滝見公園から県道26号まで戻って、先に進みます。ほどなく左側が広くなっていて展望所が設けられています。写真のように斜めからではありますけれども、女滝を見ることができます。

 

3 沈堕の杵築神社

 県道を先に進み、標識に従って左折します。ほどなく第2駐車場があります。車高の低い車や大型車の場合は、こちらに停めて歩いた方が無難です。少し進んで沈堕部落の中ほど、標識に従って左折して車幅ぎりぎりの坂道を下りたところが「ふれあい公園」で、ここに駐車することもできます。公園の隅には、安心院町は須崎発電所で使われていた設備が展示されており、水力発電の仕組みについて学ぶことができます。沈堕発電所跡の理解の助けになりますから、目を通しておくことをお勧めします。この展示物については「津房の名所」シリーズを書くときに紹介しようと思います。

 公園の端には杵築神社の鳥居が立っています。ここから少し下れば境内です。発電所跡の見学や男滝の見物に気が逸りますけれども、お参りをいたしましょう。

 小規模な神社ですけれども整備が行き届いています。こちらの杵築神社は杵築市にあります杵築神社とは無関係で、出雲大社のことを指しています。出雲大社を勧請して、この沈堕部落にて信仰しているのです。

 社殿の裏手より、女滝の落て口が見えます。けれども残念ながら女滝の姿はさっぱり見えません。女滝は、先ほど申しました展望スポットから見物しましょう。

 お弘法様と思われます。参道沿いにお祀りされていました。おちょうちょをかけ、お花もあがっています。大野地方でもお接待をしているのかどうかは存じませんが、やはりお弘法様の信仰は絶大なのでしょう。

 

4 沈堕発電所

 杵築神社から道なりに行けば左奥に男滝が見えます。発電所跡を通っていくことになりますので、滝見と発電所跡の見学はセットになります。まず発電所跡から紹介します。こちらは近代化に関する重要な史蹟であり、安全に見学できるように整備が行き届いています。発電所跡という字面から、滝という自然景勝地にそぐわないように感じられるかもしれません。けれども現地を訪れてみますとその重厚なる造形美が自然景観とマッチして、両者が融合して景勝の価値をより高めているようにも感じられます。

 説明板の内容を転記します。

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沈堕発電所

○近代化に活用された滝
 この沈堕の滝では、滝の落差を利用して発電が行われています。明治42年(1909年)、滝の上に堰を作り、下流の施設で発電をはじめました。電機は大分・別府間の路面電車に送られ、日本の近代化に役立てられました。その後、堰の高さはさらに上げられ、安定した発電に利用されましたが、一方で水流により滝が崩落することを防ぐため落水を止め、滝の景観が損なわれてしまいました。

○修景工事
 地域の方々はこの滝の復活を切に願っていました。ただの岩壁と化していた滝は、平成8年(1996年)ついに復活。崖がこれ以上崩落しないよう大がかりな工事をし、さらに雪舟の描いた鎮田瀑図を参考に「垂直別れて十三条をなす」となるよう修景工事を行ったのです。

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 説明板には発電所の現役時代の写真と、落水を止めていた頃の写真が掲載されています。今の風景と見比べてみてください。

 この左側には水路が設けられており、めいめいの柱には溝が切られています。水を堰いていたのでしょうか。

 銘板には「明治四十一年一月二日起工 明治四十二年四月十六日竣工 豊後電気鉄道株式会社…」とありました。当時の技術で、これほどの設備がたった1年3か月で完成したとは驚きです。

 これは手持ちの絵葉書の中でもいちばん好きな、とっておきのものです。別府桟橋、今の夢タウン辺りの風景で、別大電車が写っています。沈堕の滝で発電した電気でこの電車が動いていたとは知りませんでした。こんなに遠くから電気を送っていたのですね。

 左を見下ろせば、たいへん大きな建屋の外壁が残っています。先ほどの説明板に載っている写真と見比べますと屋根はなくなり、蔦に覆われつつあり寂しい光景ではありますけれども、重厚なる建築の造形美が感じられるではありませんか。窓の造りなどたいへんモダンであると感じます。

 折り返して通路を下って行けば、簡単に建屋の方に行くことができます。以前は通路の末端と建屋入口との間の溝の段差が高くて、通行に往生していました。今はありがたいことに簡易的な橋を架けてくれているので、安全に渡ることができます。

 沈堕の滝を見物に行かれる際には、ちょっと寄り道してぜひこの中に入ってみてください。規模の大きさに圧倒されると思います。

 

5 沈堕の滝(男滝)

 さて、いよいよ沈堕の滝の核心部、男滝でございます。この滝は雪舟も描いた名瀑で、修景がなされて以降、年々観光客が増加しています。沈堕の滝と原尻の滝、いずれ劣らぬ名勝です。近隣には原尻の滝のほかにも、蝙蝠の滝、魚住の滝、黄牛の滝などたくさんの滝があります。滝めぐりをするのも楽しいでしょう。

 説明板の内容を転記します。

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沈堕の滝

十三条の流れをもつ名瀑
 沈堕の滝は、大野川本流にある「雄滝」と大野川の支流である「雌滝」の2つの滝によって構成されています。雄滝は幅97m、高さ17m、雌滝は幅4m、高さ18mあり、この本流と支流のぶつかりが滝を生んだと言われています。この滝は、今から600年ほど前に活躍した「雪舟」により水墨画として描かれ、江戸時代の地誌「豊後国志」にも記載されています。「垂直分かれて十三条をなす」と表された滝の流れは、人の手が入ることで実に数奇な運命をたどり現在に至っています。
 沈堕の滝を形成している岩石は、阿蘇山の9万年前の大噴火による火砕流によってもたらされたものです。阿蘇溶結凝灰岩と呼ばれる火砕流が冷えて固まった岩であることから、垂直方向に無数のひび割れが入っており、このような景観を生みだすことになりました。縦方向に岩が崩れることで垂直の崖を形成したのです。これは、豊後大野ジオパークにおける特徴的な景観の一つとなっています。

○大野川通船と魚道跡
江戸時代の終わりから明治時代にかけて、大野川には通船がありました。しかし、この滝だけは船は越えることができず、人や荷はここで積み変えていました。同じように鮎などの回遊魚もこの滝を越えることができませんでしたが、大正2年に滝の上下をトンネル魚道、魚架でつなぎ、鮎をさかのぼらせることに成功しました。

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 補足しますと、この場所まで船が上がるようになったのは明治9年のことです。大野川通船については「犬飼の名所めぐり その1」で詳しく説明していますので、参照してください。

 滝はもちろんのこと、その左側の大岩壁もものすごい迫力で、まったく見事というよりほかない景観でございます。左岸の崖上に遊歩道が通じており、滝のそばまで行くことができます。

 以前、発電所の建屋に下る遊歩道のところに「岡藩船着き場跡」の立札がありました。先日訪れたときには、この立札はなくなってしまっていました。船着き場跡の痕跡は一見してそれと分からない状況です。

 遊歩道末端からの風景です。上部に設けられた堰もそう違和感はなく、見事に修景がなされています。説明板にあった魚道は、この左の岩壁を通じていたようです。

 

○ 盆踊り唄「伊勢音頭」について

 大野・直入地方一帯の盆踊りの演目の一つに「伊勢音頭」があります。この伊勢音頭は、一般に親しまれている端唄風の節回しではなくて、所謂「道中伊勢音頭」に近い間延びした節で唄われます。踊り方は扇子踊り、銭太鼓踊りなど種々あり、その優美なる所作はところの名物といえましょう。数ある文句の中に、字余りをイレコにした沈堕の滝の文句がありますのでここに紹介します。

盆踊り唄「伊勢音頭」
〽さてもナー 見事な沈堕の滝は(アーソーコセー ソーコセ)
 「ヤレ落て口ばかりが十二口(ドッコイ)
  十二の落て口や布引きで(ドッコイ)
  上には大悲の観世音(ドッコイ)
  下には大蛇が八つ頭
 落つりゃナー 大蛇の ヤンレーサー餌となる
 (アーソレソレ ヤートコ セーノー ヨーイヨナ)
 (アーレワイサ) ソレ(コーレワイサーノーササ ナンデーモセー)

 この文句は、蓋し「沈堕落とし」の刑罰にも関係があるのでしょう。旧藩時代、この地域の刑罰の一つに「沈堕落とし」がありました。すなわち罪人を滝口から落としまして生き延びれば釈放とするものですが、ほとんどが命を落とした由。また、「落て口ばかりが十二口」とありますが、豊後国志には「垂直分かれて十三条をなす」とあるようです。私には唄の文句のとおりに十二口、十二条であるように見えました。

 なお、この字余り文句は広く人口に膾炙しており、大野町周辺はおろか直入地方の盆踊りでも耳にすることがあります。

 

今回は以上です。次回は大野地区で見かけた庚申塔などの石造文化財を中心に紹介します。