大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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上南津留の名所めぐり その2(臼杵市)

 今回は上南津留地区のうち、大字掻懐(かきだき)をめぐります。めぐると申しましても、キリシタン墓の見学に訪れた際にその近くを少し見ただけなので、ごく短い記事になります。

 

4 掻懐の一字一石塔

 臼杵インターから国道502号を野津方面に行き、篭の瀬バス停を左折して掻懐の台地に上っていきます。坂道の半ば、左カーブしてすぐ右に分かれ道があり、その分岐の崖上に一字一石塔が立っています。道路から見えますのですぐ分かります。

南無妙法蓮華経諸経中王一石一字

 道路よりもかなり高い崖上に立っており、近付くことは難しそうでしたので正面の銘しか確認できませんでした。銘には朱がよう残っており良好な状態を保っています。おそらく道路拡幅の際に、粗末にならないように崖上に移設されたのでしょう。

 

5 掻懐のキリシタン

 一字一石塔を見て道なりに行き、左に分かれる1つ目の分岐を左折して奥に行ったところから右に上がれば、キリシタン墓があります。車は、最初の分岐を左折せずに直進したら左側に公民館がありますので、その坪に停めさせていただく方がよさそうです。

 説明板の内容を転記します。

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掻懐キリシタン
県指定史跡 昭和28年4月20日指定
所在地 臼杵市大字掻懐字西ノ平2-871

 蒲鉾型のものと直方体型をしたもの、2基があります。2基とも正面(東面)に十字架が彫り込まれています。前者は総長131cm、幅64cm、高さ48cm、後者は総長117cm、幅30cm、高さ33cmをはかります。
 製作年代ははっきりしませんが、16世紀中頃から17世紀初期にかけて造られたものと推定されます。

臼杵市教育委員会

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 この説明板の所在地「掻懐」に「かきざき」というルビがふられていました。わたしは「掻懐」は「かきだき」と読むと認識しておりましたし、実際にそのようなルビを書籍等でも見かけます。それに「懐」という字は「だき」とは普通読みませんけれども「ふところ」の意から考えるに「ざき」よりは「だき」の方が確からしいような気がいたします。思うに、大分の言葉では「だ行」と「ざ行」がしばしば入れ替わって発音されましたので(今はお年寄りでも稀になっていますが)、「かきだき」が「かきざき」と発音されることもあったということでしょう。

 この周辺には、ほかにもキリシタン墓と思しき平石を見かけました(掲載は控えます)。その中で、説明板にて言及されている2基は特に立派なもので、特別の覆い屋で保護されています。

 想像以上に立派なお墓で、しかも十字架の状態が良好であり驚きました。殊に左のお墓は十字架の下の台座状のところ(呼称を存じておりません)もくっきりと残っています。臼杵から野津にかけての地域は、大友宗麟の時代にはキリスト教が隆盛を極めまして、ほかにも磨崖クルスなど数多くの史蹟が残っています。こちらのお墓は禁教以前のものと思われます。わたしは禁教時代のいろいろな出来事については書籍等で知った簡単な知識しか持っておりませんが、このような史蹟・文化財を拝見する度にその時代にさぞや難儀をされたことであろうと胸が痛みます。

一蓮無圓法界

 銘にある「圓(円)」は「縁」の誤記でしょうか、またはこのような用字もあったのでしょうか。一般に「無縁法界塔」と呼ぶ塔で、行き倒れの方などのお供養のために建てられたものでしょう。また「一蓮」を「有縁」と読み替えれば有無両縁、つまり三界万霊塔と同じような意味合いのものであると考えられます。キリシタン墓と同じ区画に立っているのは、何か意味深長な気がいたします。

 お墓の並びに小さな堂様が建っており、そのすぐ傍には「御川神」という小さな碑が立っていました。ここは台地上で臼杵川の影響は少なそうなところなのに、川の神様とはいったいどのような意図があるのでしょうか。考えても分かりませんでした。

 

6 掻懐の天満社

 キリシタン墓とは道路を挟んで反対側にある神社です。キリシタン墓見学のついでに参拝しました。境内がこざっぱりとして、たいへん気持ちのよいところでした。

 この神社は、石造物にはさして特筆すべき事項はありませんが、大きくて枝ぶりのよい御神木と、二重に巡らした立派な玉垣が心に残りました。

 玉垣には寄附をされた方のお名前がずらりと並んでいます。そのほとんどが女性の名前でした。玉垣に刻まれた名前は、その時代背景から一般に男性名が多いように思います。ですから、このように女性の名前ばかりが並んでいるのは珍しく感じました。

 

7 掻懐の切通

 天満社とキリシタン墓の間の道を少し歩いて進んでみました。

 このように切通しになっていて、いかにも古い道の風情がありました。この先はだらだらと下っていくばかりです(冒頭の写真)。きっと車道が整備される以前の旧道ではないかなと考えたのですが、詳細は分かりません。

 

今回は以上です。短い記事だったのであっという間、なんと簡単なことでしょう。これくらいの記事の方が書きよいので、適宜加減しながら続けていこうと思います。