大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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鶴岡の名所めぐり その2(佐伯市)

 久しぶりに鶴岡地区の記事を書きます。前回から凡そ1年ぶりです。今回は大字稲垣の名所旧跡・文化財を少し紹介します。実質、たった2か所ですから短い記事になります。なお、道順は「上堅田の名所めぐり その1」から一続きになっていますので、先に当該記事をご覧いただくとより分かりやすいでしょう。

 

6 長瀬の石祠と庚申塔

 「上堅田その1」の記事で紹介した上久部の庚申塔の辻を右折して、上久部公民館のところを左折します。ずっと道なりに行けば家並みが途切れて、大字稲垣は長瀬部落に入ります。そのかかり、家並みが始まる手前の左側の崖上に庚申塔がたくさん並んでいます(冒頭の写真)。こちらは友人に教えてもらい見学することができました。道路からも見えますがかなり高い位置なので、気を付けないと通り過ぎてしまいます。

 邪魔にならないように車を停めたら、庚申塔の崖下を通る道に入ってすぐ、左側の急斜面をへつって上る細道に気付くと思います。この道を用心して登ります。とんでもない大ホキ道で、しかも転げ落ちたら大怪我は免れない高さまで登りますから、下りには特に注意を要します。

 斜めに上ってくると、このように古い石祠が2基並んでいるところに出ます。左にはもう1基あったような痕跡がありますが、壊れたようです。或いは、数年前の地震の影響もあるのかもしれません。何の神様かは分かりませんでした。この立地にあっては、平素の参拝も稀でしょう。

 お参りをしたら、ここからもう1段登ります。よいよ斜度を増してまいりますので気を付けて通ります。上の棚には文字塔が15基程度と刻像塔が1基、実に20基近くの庚申塔がずらりと並んでおり、壮観です。麓から見えた以上にたくさんの塔があることが分かって、感激いたしました。しかも倒れている塔は僅かで、ほとんどがきちんと立っています。

 ほとんどが「奉待庚申塔」または「庚申塔」の類であって、「青面金剛」が1基です。この左側に少し間を空けて刻像塔が立っています。全部の塔を掲載すると繁雑になるので、文字塔は数基をピックアップして紹介します。

宝暦丑■■
庚申搭
十二月廿一日

 この塔は、この場所に並ぶ庚申塔の中でも特に小さいものです。位牌型の彫り込みをなして、素朴な字体で銘を彫っています。よう見ますと「塔」ではなく「搭」になっています。これは異体字ではなく、誤りでしょう。

宝暦三■■■■月九日
奉造立庚申塔
請■成■村■■■■

 この塔は銘の文字がすこぶる立派な書体であり、特に「奉造立庚申塔」の筆致は見事なものです。筆文字を丁寧に彫り込んで、墨を入れてあります。これほどのものが、地衣類の侵蝕により一部読み取りが困難になっているのが惜しまれます。碑面が荒れているわけではないので、苔や汚れを丁寧に取り除けたら昔の姿が蘇ることでしょう。

宝暦十三未天
奉待庚申塔
十一月七日

 この塔は銘を簡単に読み取れました。注目すべきは、3段重ねの基壇です。この並びの文字塔の基壇はみな1段で、これのみことさらに高級な造りになっています。しかも上段は蓮台です。

宝暦九卯天
青面金剛
十一月十四日

 この場所の文字塔の中では最も大きいのが、この塔です。青面金剛の銘をもつ塔はこれのみであり、特別に立派にこしらえた可能性があります。「寶」でなく「宝」の字体を用いていることが興味深うございます。その当時より、この字体が通用していたことが分かります。また「剛」の字はあまり見かけない異体字で、偏が「曲」の下に「正」をくっつけたような形になっています。碑面には僅かに朱の痕跡が残ります。

 なお、下部には20名以上のお名前が浅く彫ってあります。墨を入れていないので読み取りが難しいのですが、女性ではないかと思われる名前もありました。もしこれが本当に女性名であったならば、珍しい事例ではなかろうかと思います(私の見間違いの可能性もあるので断定はできません)。

長瀬村人数二十二人

 青面金剛の文字塔の側面です。これは長瀬の人口が22人という意味ではないのは言うまでもなく、庚申講に加たっているのが22人という意味に違いありません。

 この列の塔は安永年間あるいは明和年間の紀年銘があります。上段の並びは宝暦が多いので、こちらの庚申塔群は1751年から1781年の凡そ30年間に集中的に造立されたことが分かります。

青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 この塔は日輪と童子が少し傷んでいるほかは少しのほころびもなく、極めて良好な状態を保っています。これほどまでの保存状態の刻像塔は稀であると存じますし、ましてこの立地にあっては奇跡的と言うてよいでしょう。

 主尊の御髪や火焔輪、宝珠、三叉戟は殊に鮮やかな朱色、日輪・月輪とその下部(背景)、主尊や童子の衣紋はややくすんだ朱色であり、2段階に塗り分けるというたいへん手の込んだ彩色を施してあります。しかも塔の上4分の3程度を大胆に彫りくぼめて、主尊を極めて厚肉彫りに表現してあるのも見事なものであり、諸像の表現や丁寧な彫り口など、何から何まで行き届いた秀作です。

 上から詳しく見てみましょう。日輪と月輪(片方の破損が残念です)と瑞雲は図案化を極めます。主尊の御髪の表現は、以前直川村は川原木地区のシリーズで紹介した大字赤木は堂師部落の対岸の庚申様にそっくりで、奇抜な発想に驚かされます。つり上がった眼、固く結んだ口許など、威圧感のあるお顔の表現がなかなかのものです。腕の長さは若干ちぐはぐですが付け根が違和感なく収まり、弓と三叉戟の大きさを自由奔放に違えてありますのもある種の表現技法と申しますか、主尊の縦のラインを強調してスラリとした格好のよさが映えています。

 また、神官さんのような風情のショケラはほんにかわいらしく、童子はめいめいに高貴なお方のようなスタイルにて、その表情や立ち姿までいきいきと表現されている点など、主尊以外にも表現の工夫が行き届いています。四つん這いの邪鬼もノホホンとした風情で、なんとなくかわいらしいではありませんか。これらに対して猿や鶏は浅い彫りで実に漫画的な表現にて、鶏のささやかな感じもよいし、動きのある猿もまた実に楽しく、見ていて飽きません。特に中央の猿がお相撲さんの土俵入りのような所作をとっているのがおもしろうございます。左右の猿は横向きで、尻尾をピンと撥ねて珍妙なポーズをとっています。

 全体的な特徴から、直川村に多数分布する刻像塔と同じ文脈のものであると判断いたしました。

 電線が目障りですが、庚申塔のところからはのどかな川景色を楽しむことができます。

 

7 大内の庚申塔

 長瀬の庚申塔をあとに道なりに進み、小さい橋の手前を左折します。突き当りをまた左折すればほどなく、右側に黒坪大明神が鎮座しています。その鳥居の並びに庚申塔が2基立っています。この辺りは大字稲垣のうち大内部落です。神社の境内というよりは道路端に立っている塔なので、一応別項扱いとしました。近くに駐車スペースがあります。

青面金剛6臂、ショケラ(ほかの眷属は不詳)

 この塔は碑面の荒れが著しく、像容の確認が困難を極めます。主尊が6臂であるということと、ショケラをさげていることはすぐ分かりました。でもお顔の表情など細部は全く分かりません。火焔輪を伴うような気がしましたが、これも定かではありません。ショケラはずいぶん大きく、まるでテルテル坊主のような雰囲気です。

猿田彦大神

 文字塔の方は角柱に近く、墓碑のような形状です。猿田彦大神の銘は容易に読み取れましたが、やはり碑面の荒れが気になります。

 

8 黒坪大明神

 庚申塔を見学したら、黒坪大明神に参拝することをお勧めします。こちらは村の神社で、いつも掃除が行き届いておりたいへん気持ちの良い場所です。黒坪という呼称の由来は分かりませんでした。

 狛犬庚申塔と同じく地衣類の侵蝕が気がかりです。でも傷みは少なく、小さいながらも勇ましい立ち姿がよう分かります。勇ましさ、凛々しさの中に感じられる愛らしさが心に残りました。

 細かいところまでよう残っておりますので、足の爪や毛並などの丁寧な表現が分かりました。ところで、狛犬にもいくつかの類型があるそうです。勉強不足で詳しく説明することができません。まだまだ知らないことだらけです。少しずつ、学びを深めていきたいと思います。

 

今回は以上です。鶴岡地区のシリーズは、写真のストックがなくなったので当分の間お休みとします。次回は、弥生町は切畑地区の庚申塔を少し紹介します。素晴らしいお塔が目白押しですので、記事をこしらえるのがとても楽しみです。