大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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日向の庚申塔(武蔵町)

 日向の庚申塔を紹介します。

 

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手野日向

所在地:武蔵町大字手野字日向

 

 

 武蔵市街地「よつかどくん」交叉点より、県道55号を中武蔵方面に進みます。道なりに行き1つ目の橋(武蔵川)の直前を右折し、川に沿って進みます。しばらく行くと左に橋がかかっており舗装もそちらに曲がるようになっていますが、ここも直進してください(植林の中の上り坂になります)。右にお墓があるところで二股になっています。ここは右の道に進み、さらに上ります。道なりに行きますと、右側に階段があります(下の写真)。

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手野日向庚申塔上り口

 

 この階段が、庚申塔へと続く道の入口です。ちょうどこの前が、車1台分くらい路肩が広くなっています。駐車できますが、雨降りのあとはぬかることがありますので要注意です。

 道は荒れていますが、歩いて行くには問題のないレベルです。少し行くと、道が直進と左に分かれています。左に行くと昔の墓地に出ます(すぐ近くです)。ここは直進して一つ上の段に上がりますと、下の写真の場所に出ます。

 

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庚申塚

 付近には、庚申石(庚申様の家来)と思われる石がいくつもあります。ここは庚申塚なのかもしれません。ここまで来ますと、すぐ先に冒頭の写真の光景が見えます。

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燈籠と庚申塔

 あたりは雑木が方々に生えてきており、落ち葉が堆積し、あまり人が入ってきていない様子でした。信仰が途絶えてしまったのかもしれません。木が生えたりする前はおそらくここから墓地の辺りまでが開けていたと思われ、おそらく墓地に付随する庚申塔であったのでしょう。或いは、この近辺にも小さな集落か耕地があったのかもしれませんが、それらしい面影は感じられませんでした。

 

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庚申塔

一面四臂、二童子、三猿、二鶏

 非常にどっしりとした、頼もしそうな庚申様です。まず、唐破風のついた笠の重厚なことといったらどうでしょう。それから、金剛さんの彫りの深さ。しかも、ただ厚肉に彫るのではなく、斜めから見ますときちんと前後の差をつけて掘っていることがよくわかります。均整のとれたフォルムだと思います。衣紋の模様など細かなところはわからなくなってはいますが、なかなかの保存状態ではありませんか。また金剛さんのギョロリと眼をむいた表情や、鼻の通った顔つきは強そうではありますけれども、微妙にふくれっ面なのがおもしろいところです。猿は牢屋に閉じ込められたように、狭い部屋の中に身を寄せ合っています。

 右側には「宝暦八年」の文字が見えました。260年以上も前の塔です。この場所に、このような庶民的な塔が260年も前からあったのです。その頃は、どのような景色だったのでしょう。明治維新の混乱の時期にも、戦争中にも、バブルの頃にも、いつの時代にもこの塔はかわらずにここにあったのです。今や信仰も絶え果てんとする中、どこ吹く風のすまし顔にて金剛さんは、いつも悪霊や疫病の退散、交通安全、豊年満作などを願う私達を守ってくれています。私は、塔を見学する際にはまず、お参りをするようにしております。それは庚申様にお願いごとをするだけではなく、庚申様が今まで残っていることのありがたさ、地域の方が残してくださったことへのありがたさを想ってのことです。神様仏様はもとより、たとえば昔の道ですとか史蹟などなんでもそうですが、地域の人の生活に根差した文化財を見学するときは、このような心もちを忘れないようにしたいものです。