大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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井田の名所めぐり その1(千歳村)

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 大野地方には心惹かれる石造文化財や自然地形が数多うございまして、学生の頃に盛んに訪れたことが懐かしく思い出されます。けれどもその当時に撮影した写真はこちらに掲載するには適当でないものが多く、思うように記事にできていないのが現状です。それで、ひとまずこの数年のうちに撮影したものを中心に少しずつ掲載していこうと思います。

 今回は、千歳村の名所旧跡です。千歳村は旧井田村と旧柴山村の2地区に分かれまして、著名な観光名所といたしましては大迫磨崖仏くらいしかありませんけれども、多様な石造文化財の数々は探訪者の心を惹きつけてやみません。まず手始めに、井田地区の名所のうち大字新殿(にいどの)の石造文化財と、大迫磨崖仏を紹介します

 

1 大乗寺跡の石造物

 犬飼町から県道57号を通って千歳村に向かいます。この道は、かつては竹田・大分間の往来で大型トラック等の通りが多かったものを、今は中九州自動車道の開通により交通量が減り、名所旧跡を訪ねながらのんびりと走ることができるようになりました。

 千歳支所への分岐を左に見送り、ほどなく右側に「ひょうたん祭りと石造文化のふるさと 千歳町」の看板が立っています。ここから右側の側道を下ります。ほどなく右側に新殿公民館があり、その坪にたくさんの石造文化財が並んでいます。車は公民館の駐車場に停めさせていただきましょう。豊後大野市のホームページによれば、この場所には大乗寺というお寺があったたのですが、江戸時代後期頃に廃寺となったそうです。

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 たくさんの文化財が横一列に、立派にお祀りされています。1枚の写真には収まりませんので、3枚に分けて紹介します。

 まず左端は、「井田郷新四国」の第三十九番札所です。立派な御室にお弘法様を納めて、石灯籠を伴い、しかも特別の区画をこしらえて立派にお祀りしてあります。昔はこのような新四国・寄せ四国の札所で、白装束のおばあさんなどが御詠歌を流しながら巡拝しているのをよう見かけたものですが、この30年ほどでとんと見かけなくなりました。けれどもこれほど鄭重にお祀りされているのですから、近隣の方の信仰は篤いと思われます。今でも、公民館でお接待を出しているのでしょうか?。その御室の笠の優美なること、入母屋の妻の取り方もよいし、四隅の反り方が派手で、しかもその尖端まで傷みもせでよう残っていることに感心いたしました。

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 2基並んでいる宝篋印塔は市の文化財に指定されています。至徳2年の銘があり、とても600年以上前のものとは思えないほどの状態を保っています。特に格狭間の状態が良好ですし、笠も相輪が後家合わせと思われる以外はほぼ完璧な状態でございます。詳細な説明板がなく、この塔の由来や、これにまつわる民話などが分からないのが惜しまれます。でも、これほど大昔の石塔を気軽に見学できるとは、なんとありがたいことでしょうか。

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 六地蔵様は、この上段の墓地に付随するものと思われます。その左端の手前には、お不動さんと思われる半肉彫りの破損した石像が安置されています。右奥の宝塔は後家合わせで、珍妙な造形になっているのがおもしろいではありませんか。

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庚申塔

 破損してしまっているのが惜しまれます。千歳村には庚申塔が数多く残っており、そのほとんどが文字塔です。ですからこちらの文字塔などはありふれたもののようにも見えますけれども、地域の方の信仰を今に伝える、大切な石造文化財であることには変わりはありません。こちらは、折れてしまっても粗末にすることなくきちんと安置されており、地域の方の信心が感じられました。

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 宝篋印塔などの並んでいるところのすぐ裏手、崖上にたくさんの庚申塔と、県指定の五輪塔が並んでいます。こちらは、左手の民家に上がりかけてすぐ右に折れ、急坂を少し上がれば簡単に到着できます。ところが庚申塔は崖ぎりぎりに立っていて、上からでは銘が見づらいと思います。ですから、下からまず銘を確認したうえで、坂道をまわって上段に上がるとよいでしょう。

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 拡大写真です。わたくしは驚きました。右の塔は「昭和四十四年」、左の塔はなんと「二〇〇〇年 平成一二年」です!まさか2000年の庚申塔があるとは思いもよりませんでした。庚申講が続いている地域が稀になっている中で、平成に入ってからも塔を立てた地域は数えるほどしかないと思います。

 古いものではありませんので、指定文化財にはなっていません。けれども、まさに「生きた民間信仰」として、民俗学的には貴重なものであると思います。目立ちませんが、よそに自慢できる地域の宝であると存じます。

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 こちらが県指定文化財五輪塔です。説明板がなく、詳しいことが分かりませんでした。どっしりとした、格好のよいいぐりんさんでございます。左が貞和3年、右が延文6年、いずれも650年前の造立とは思えない状態のよさです。

 

2 楢木野の馬頭観音

 新殿公民館から県道57号の高架に沿うて少し進み、側道に入らずに右にとります。すぐ左折して急坂を上れば、道路端に馬頭観音様と庚申塔が並んでいます。この道は軽自動車ならどうにか抜けられますが、先が不安になるような車幅ぎりぎりの急坂ですし、駐車場所がありません。公民館に車を置いたまま、歩いて行きましょう。

 探訪時は、千歳インターから新殿公民館を目指そうとしてこの道を逆向きに、自動車で辿りました。無事通り抜けられてよかったものの、思い出しても胆が冷えます。

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 不安定な立地で、馬頭観音の御室や庚申塔の転倒が懸念されます。昔は盛んに通行された道と思われます。地域の方はおろか、よその人も前を通るたびに頭を垂れたのではないでしょうか。

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 馬頭観音様は頭上の馬の顔をはじめとして、細かい部分までよう残っています。素朴な切妻の御室にあって、その優美な造形が引き立っています。庚申塔は右上を打ち欠いており、転倒したことがあるのかもしれません。銘が傷まで幸いでございました。

 

3 大迫磨崖仏・その1

 新殿公民館から県道57号を犬飼町方面に行きます。大字長峰は大迫部落まで来ますと、道路左側に「大迫磨崖仏」の標識が立っているのですぐ分かります。駐車場から石段を上がれば、正面の覆い屋の奥に磨崖仏がございます。ほかにも、境内には五輪塔庚申塔などの石造文化財が寄せられています。適当な写真が磨崖仏のただ1枚しかありませんので、ひとまず簡単に紹介しまして、境内の石造物については再訪でき次第別項いて紹介したいと思います。

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 諸々の書籍やインターネットなどでそのお姿は分かっていたものの、お参りに訪れて実物を拝見いたしますと、そのインパクトのものすごさに失礼ながら笑うてしまいました。なんという珍妙なお姿でざいましょうか。この大日様はすべてが磨崖ではありませんで、粘土を継ぎ足してこしらえてあります。このような作り方で著名なものとしては、大分市の元町石仏(岩薬師)がございます。大迫の大日様は岩質が軟弱で崩落が激しく、その傷んだところをまた粘土で補うては崩れ…を繰り返して、今のお姿になっているのです。崩れたなりにせで修復を繰り返した地域の方の心をおもえば、笑うなどとんでもないことであったと反省しています。

 説明板が2つあり、詳しいことがようわかりますので内容を夫々転記します。

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大迫磨崖仏

仏様のお姿は岩の質によって異なる

 大迫磨崖大日如来坐像は牛馬の神として信仰されてきましたが、暗い岩窟と傷みのはげしいお姿から人々から怖れられることの多い仏様でした。

 このような容貌になった理由の一つには、彫り込まれた岩がとてももろい性質だということがあります。そのため、麻などの繊維をまぜた粘土を塗り、文様などを仕上げ、石芯塑像ともいえる技法で作られています。

 この崖に現れている岩は大きく二つの種類にわけることができます。上に見える固い石が9万年前に阿蘇山からきた火砕流が冷えて固まったもの。下に見える黄白色の部分が、約60万年前に今の由布岳あたりの火山からやってきた火砕流が冷えて固まったものです。下に見える黄白色の部分は、とても軟らかく磨崖仏を彫るのには良かったとは思われますが、軟らかすぎて傷みがはげしくなってしまいました。

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大日如来の由来

 この大日如来は高さ3.3mの磨崖仏で稀有の巨像であります。室町時代(戦国時代)天文2年(1532年)頃、日羅の作と伝えられ、古来牛神として地域の尊信あつく、今では諸祈願の霊験あらたかであると県外からの参詣も多くなりました。

 祭日は1月28日、8月27日、年2回行われます。昭和51年大分県重要文化財に指定され、昭和57年12月、修復記念にあたり記します。

昭和57年12月 大迫区

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 霊験あらたかなる大迫の大日様。今度また千歳村を探訪する際には、必ず立ち寄ってお参りをいたしまして、あの日笑うてしもうたことをお詫びいたしたいと思います。

 

今回は以上です。井田地区にはほかにもたくさんの文化財がございます。あれも紹介したや、これも紹介したやと思いながら、適当な写真がありません。それで、井田シリーズはお休みにして千歳村の次回は柴山地区の名所旧跡を紹介します。