大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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三重の名所・文化財 その3(香々地町)

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 今回は東夷のかかりにあります六所神社周辺の名所・文化財を3か所紹介します。この3か所とも磨崖仏または磨崖塔がございまして、夷谷の磨崖仏群の一端をなしております。これらの磨崖仏はあまり知られておりませんけれども、興味関心のおありの方には、西夷の梅の木磨崖像や谷ノ迫磨崖像(かたしろ様)などとあわせて探訪されることをお勧めいたします。

 

6 六所神社

  東西夷の追分(中山仙境の登山口)を左にとり東夷の谷に入ってすぐ、道路の左側に霊仙寺・実相院・六所神社が並んでいます。これらは元々一体のものであったのが、神仏分離により別になり今に至るそうです。霊仙寺・実相院は別の機会として、今回は六所神社からスタートします。

 かつては六所神社境内の六本杉がよく知られていました。巨木が並ぶ姿は壮観でありましたが落雷等により枯死し、残念ながら伐採され旧の六本杉は全く残っておりません。今は写真で見るばかりであります。自動車をとめて境内に入りすぐ右側、道路ぎわの崖下に磨崖仏が残っています。

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 岩質によるものでありましょう、細かい部分がわかりにくくなっておりますけれども、三体の仏様の姿ははっきりわかります。神仏分離の際、磨崖仏が壊されなかったのが幸いでございます。この周囲を縁取る石造りの枠は、昭和に入ってからのものです。上部が岩壁と一帯となり、よく馴染んでおります。なかなか手の込んだ造りであります。

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 石段を上がると、正面に立派な拝殿が建っています。お参りをいたしましょう。

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 拝殿前には立派な石燈籠が並んでいます。その向こうに新しく植えられた杉が育っています。今から何十年、何百年も枯れずに育ち、元の六本杉のように立派な木になればと思います。

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 こちらの常夜灯はひときわ大きく、特に火袋の下が段々になっているところなど、細かい部分の造形が見事です。手前の石段は、お灯明を立てるためのものでありましょう。今は火を入れることはないかもしれませんが、薄暗くなってきた時間帯などこの常夜灯に火が点れば、さぞ風光明媚なことであろうと思います。

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 こちらは、はじめ単制の石幢かなと思ったのですが、銘を見ますとどうも違うようです。「奉寄進石灯●」とあります(●の字は読みがわかりませんでした)。こちらは基部がおもしろくて、脚の間のところを猿ががに股で支えています!

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 側面には亀!遊び心に富んだ、おもしろい表現ではありませんか。次に、拝殿の左奥に回り込んでみます。

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 岩屋に自然石が4基祀られていました。庚申石か文字庚申塔の類かなと思ったのですが、香々地町庚申塔の本には載っていませんでしたので、庚申塔ではなさそうです。こちらの自然石の由来についてご存じの方は教えていただきたく存じます。

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 本殿を横から拝見し、見事なお細工に感嘆いたしました。釘を使わずに組み上げ、しかもものすごく細かい彫刻が一面に施されております。これはすごい。宮大工さんの腕前のすごさ、気の遠くなるような細かい装飾に、時間を忘れて見惚れてしまいました。
 今度は拝殿右側に参ります。

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 石段を上がると、岩壁にめり込むようにお社が建っています。こちらは夷神社です。

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 その下にはたくさんの石祠が並んでいます。おそらく近隣のあちこちにあった小さなお社からこちらに寄せられたもので、明治以降の合社の流れによるものでありましょう。この右側から爪先上りの急坂を上がると六所権現跡地です。よく滑りますので、雨降りの後はやめておきましょう。

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 急坂を上がっていきますと、途中に大岩を削ってこしらえた龕がございます。今は何もありません。この前を通って折り返すように左上に上がると、ほどなく六所権現跡に着きます。

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 奥の院に着きました。写真の右側をご覧ください、大きな木の根が岩を巻き込んでおり、歴史の長さを感じます。奥の院の建物が傷んだため、こちらに安置されていた仏様は別の場所に移した旨の説明板がありました。でも、動かせないので当たり前ですが、建物左側の磨崖仏はそのままです。

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  奥の院の磨崖像です。こちらは仁聞菩薩のお姿とのことです。雨ざらしなのに細かい部分がとてもよく残っていて、特に衣紋の袖口のたっぷりとしたところなどに、高貴なお方の雰囲気がよく表れています。仁聞菩薩は奈良時代に国東半島の28のお寺を開いたとされる伝説上の高僧で、国東半島内外の各地にその名をとどろかせ、仁聞菩薩に関連する史蹟・文化財が数多く残っております。

 この磨崖像を見学したらもと来た道を戻るしかありません。急坂で転ばないように気を付けましょう。余談ながら、境内にはゲートボール場もあります。日々の練習に汗を流される地域の方のご健康にも霊験のありそうな、さてもありがたいゲートボール場でございます。

 

7 旧霊仙寺旧墓地の文化財

  六所神社前に車を置いたまま、正面の橋を渡ります。道なりに行くと、ほどなく道路端に大きな割れ石が屹立しています。こちらが兄弟割れ石の片割れです。旧霊仙寺墓地は、こちらの割れ石よりも右側か少し登ったところでありまして、今は荒れるに任された状態です。中山仙境の岩峰の直下、ものすごい立地でございます。

 墓地内にはたくさんの五輪様が残っています。傾斜地に平石や瓦を積んで段々をこしらえ、その段に沿うて上から下まで石塔だらけです。その塔のほとんどが壊れてしまい、通路も何も分からないほどに石材が散乱しております。失礼があってはならないと思い、間違えて踏まないように気を付けて歩くのに難渋いたしました。

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 状態のよい五輪様です。上段の方にはこのようにきちんと立っている塔もありますが、中段以下の塔はほとんど壊れていました。

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 よそで見たことのない石造物で、詳細不明です。

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 駒形の石に駒形の龕をこしらえ、無縫塔らしきものが安置されています。こちらもどのような意図のものか分かりませんでした。

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 こちらは双体道祖神でしょうか、または夫婦墓でしょうか。写実的な像で、細部までよく残っていました。

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 最上段は岩峰の直下です。落石に注意を要します。岩壁がすすけております。こちらで火を燃した跡です。ここから岩壁に沿うて右方向に行きますと磨崖五輪塔がございます。

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 磨崖碑と磨崖五輪塔(3基)です。五輪塔は平板な彫りですが、その形はよくわかります。こちらも煤けております。実は磨崖碑の左側にも磨崖五輪塔が数基見られるのですが傷みがひどく、うまく写真を撮ることができませんでした。 たくさんの五輪塔がございますのに、どうしてわざわざ磨崖の五輪塔を彫ったのでしょうか?説明版等がございませんで詳細はわかりませんが、五輪塔群が墓標の類であれば、磨崖の五輪塔は磨崖碑と一連のものとして、この墓地にあってよほど高貴な方のお供養のためのものなのかもしれません。

 旧墓地には興味深い石造物や磨崖塔などの文化財が多々ございますが、たいへん荒れています。特に上がり口が分かりにくうございます。足元が悪いので、もし見学される場合には十分気を付けてください。

 

8 藤ヶ谷の文化財

  旧霊仙寺墓地から橋を渡って、六所神社の駐車場に返ります。右に折れて焼尾方面に僅かに進みますと、道路左側に「後野越」の標柱があります。ここを左折し、山道に入ります(自動車は入れません)。後野越は、夷谷と西方寺とを結ぶ峠道で、かつては近隣の方が盛んに通った近道です。その峠から左に折れて尾根伝いに行けば、高岩経由で祇舎谷不動に抜けられるそうです。かつては近隣の方にとって重要な道であった後野越も、今はハイカーの方が利用されるのみになっております。藤ヶ谷は後野越のかかりで、昔は数軒の民家があり小集落をなしていたとのことですがとうに廃村になっており、家屋は全く残っておりません。ただ、屋敷跡の石垣と、谷川道の左右に棚田跡が広がるのみです。今は現地に「藤ヶ谷」の地名の分かる標識のないのが残念に思います。夷谷八景(楽庭桜花・藤谷藤花・夷川蛍火・高城秋月・大平峯雪・車橋夜雨・霊仙晩鐘・六所宮灯)にも名を残す、古い地名でございます。

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 この道を登っていきます。左右に棚田跡が広がり、明らかに屋敷跡と思われる平地もございます。途中やや道がわかりにくいところもありますが、国東半島ロングトレイルの標柱がありますので、それに従って進めば迷いません。

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 棚田跡の見事な石垣です。一部崩れているところもありますが、ほとんどが今なおしっかりと形をとどめております。乱積みでいかにも不安定な感じがいたしますのに崩れずに残っているということは、上手に重さを分散し合い、互い違いに支え合うような構造になっているのでしょう。適当に石を重ねるだけでは簡単に崩れると思います。

 道なりに進んでいきますと、左上に庚申塔が立っています。道からよく見えますし、ロングトレイルの「庚申塔」という標識が立っていますので、まず見落とすことはないでしょう。段差が高いので、一旦通り過ぎてから適当なところで折り返すように左上に上がって戻るとよいでしょう。

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青面金剛4臂、2童子、2猿、2鶏

 笠がずいぶん手前に偏っており、やや傷んでいますが、絶妙なバランスで乗っています。破風の文様など、なかなか凝ったデザインです。主尊は太い腕、肩幅の広さなど、まるでスイマーのような体型で、さても力強そうな立ち姿には、ほんに頼もしい雰囲気がございます。衣紋の裾がたいへん長くお引き摺り一歩手前にて、足をきちんと揃えて立っているところには、上半身の勇ましさとは全く違う印象を受けます。童子は主尊の横ではなく一段下に、めいめいに蓮台の上に立っています。寸詰まりの立ち姿がほほえましいではありませんか。その下では猿が向かい合うていて、片方は御幣を持っています。この猿と鶏の様子が、日出町下川久保の庚申塔の猿・鶏にそっくりであることに気付きました。楽しそうな様子が感じられて、好きなデザインです。

 庚申塔の少し先には昔の墓地がございます。その上り口には磨崖の六地蔵様が並んでいました。

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  さても珍しい磨崖六地蔵です。国東半島のほとんどの墓地で、六地蔵様が見られます。たいてい六体のお地蔵さんが横並びに立っています。または、横長の石板に六体のお地蔵さんを半肉掘りにしたものもときどき見かけます。でも磨崖のものはここ藤ヶ谷意外では見た記憶がありません。今は住む人もない藤ヶ谷にひっそりと残る磨崖六地蔵。まことほんとに、夷谷の奥深さを実感いたした次第でございます。

 この先どうなっているのか確認したかったのですが、日が傾いてきたのでここで引き返しました。

 

今回は以上です。いつか一望岩まで行ってみたいものです。