武蔵という地名は武蔵町と安岐町に跨っています。すなわち沿岸部から武蔵地区、中武蔵地区、西武蔵地区(安岐町)で、この一帯は旧武蔵郷にあたります。著名な名所としましては小城の観音様(武蔵)や両子寺(西武蔵)等ありますが、それ以外にもたくさんの神社仏閣・史蹟・文化財がございます。このブログでも、少しずつ紹介していきたいと思っています。今回は手始めに、中武蔵地区の名所・文化財を巡ります。初回は大字吉広の名所旧跡です。
1 松ヶ迫の大山祇神社
武蔵市街地から県道55号を内陸方面にまいりまして、吉広公民館・西光寺が並んでいるところの手前を右折します。道なりに進んで、道路左側にコミュニティバスの「松ヶ迫中」停留所があります。車はその辺りに邪魔にならないように置いて、歩いて少し進めば右側に冒頭の写真の鳥居が立っております。松ヶ迫部落の大山祇神社に着きました。
大山祇は「おおやまづみ」と読みます。県内に方々ございます山祇社とか三島神社もこの仲間で、その大元は今治にございます。大分県で盛んにこの神社を見かけますのも、愛媛県との交流が多かったことと無関係ではないと思います。
さて、石段を上がってお参りをしておりますと、右奥からの視線に気付きました。
窓越しにこちらを見つめる庚申様でございます。ちょうど庚申様の前が戸になっています。庚申様をこちらに移した時期と拝殿を建て替えた時期と、さてどちらが早いのでしょう。どちらにしましても、庚申様の目の前が壁になっているよりもずっとよいと思います。
お参りをしたら、右から回り込めば簡単に庚申様の側に行くことができます。
こちらは本状態が非常によく、一目拝見して感激いたしました。立体感に富んだ厚肉彫りで、細かい部分まで丁寧に表現した秀作といえましょう。瑞雲の細かい線彫りもよいし、主尊の御髪や指、衣紋の裾まわりなどの櫛の目状の文様も繊細でなかなかなのものではありませんか。足先が180度外開きになっているのはご愛敬でございまして、どっしりとした立ち姿でありますから異常なるガニ股もそこまで違和感はありません。ほっそりとした童子との対比も面白うござます。
下の部分を見ますと、前面に施された雷模様のような荒っぽい文様が目を引きます。これはただの装飾なのか何か意味があってのことなのか分かりませんが、いずれにせよ近隣に類をみないものです。猿は矩形の部屋に仲良く3匹並んで、鶏はめいめいの丸い部屋に収まっていて、なんだか窮屈そうに見えます。特に猿は、周りを雷模様に囲まれておるものですからいよいよ牢屋に閉じ込められたような風情がございます。
松ヶ迫を過ぎて、山を越えれば丸小野に抜けることができます。今回は説明の都合上、今来た道を引き返します。
2 迫の観音堂
松ヶ迫から県道55号に出たら左折します。道路左側の民家を数えて3軒目のところを右折して道なりに行けば、迫部落の観音堂が道路右側に立っています。車を停めにくいので、吉広公民館に駐車させていただき歩いて行くとよいでしょう。
小規模ながらも歴史を感じる堂様です。境内はきれいに清掃されていて、近隣の方の信仰が続いていることがわかります。
軒下の彫刻が見事でした。うっすらと彩色も残っています。梅に鶯で、たいへん風流な感じがしますし、お花で埋め尽くすのではなく枝の部分も残して、その部分が前後差をつけた透かしになっていますので枝が交差して生き生きとした雰囲気がございます。
坪には立派な庚申塔が立っています。
上端が僅かに湾曲した舟形の塔身が美しいではありませんか。松ヶ迫の庚申塔に比べますと彫りは浅いものの、全体的に繊細で、それが舟形によう合うております。主尊を見ますと、下の腕が体の横から出ているように見えます。でも、その境のところが体前に下ろした腕の下になっていますので、腕の付け根が上下に離れているような違和感はございません。よく工夫されたデザインです。怖いお顔に似合わず、裾まわりのドレープ感が優美で素晴らしい。足元はただの台座か邪鬼か、傷みが進んでいて判別できませんでした。
童子は主尊の両脇でなく、一段下になっています。その間で戯れる鶏や猿を見守っているような、優しい立ち姿でございます。猿も鶏も仲良う向き合うて、家内融和の願いもかなえてくれそうです。猿はコサックダンスを踊っているようも見えてまいりまして、ヨイトサッサと浮かれ調子の剽軽者の雰囲気が出ています。
3 鶴の阿弥陀堂
迫の観音堂から引き返して、一つ目の角を右折すれば鶴部落です。道なりに行けば、右上に堂様が見えてきます。車で坪に上がることはできません。下の道路も狭くて近隣の方の迷惑になりそうなので、こちらも吉広公民館から歩いて来るのがよいでしょう。
車道から見た阿弥陀堂です。道路から細道が伸びていますので、行き方はすぐわかると思います。
坪にはいくつかの石造物が安置されています。特に目を引くのが庚申塔です。こちらの庚申塔は武蔵町および安岐町の全域で見ましても5本の指に入る秀作ですので、興味関心のある方にはぜひ見学をお勧めいたします。
小型ながらもこの厚肉彫りです!これはすごい!まるで木彫り細工のような細やかな表現で、カクカクとしたところがまるでなくて全体的に優位な曲線を描き、見事なものです。3つ目の主尊は眉間にキリリと皺を寄せて、目を吊り上げて口をヘの字に結び、ものすごく恐ろしげな風貌でございます。火焔光背の両端に日月を置き、まるで雷様のような雰囲気が感じられます。胸元には髑髏の首飾り、その横からたっぷりとヒダを寄せた衣紋を袈裟懸けにして、錣のような部分の彫りも細やかに、脚はややガニ股気味にどっしりと踏みしめています。達磨さんのような体型の童子も険しい顔つきにて、まったく情け容赦のない印象を覚えました。
足元にはただ1匹、しゃがみこんだ猿が大きく刻まれています。耳を押さえておりますのは「聞かざる」のポーズでありますが、なにせ上には恐ろしい青面金剛と情け容赦のない童子でありますから、いたずら者の猿も詮方なさに頭を抱えて思い詰めているようにも見えてまいりました。両脇の鶏からつっつかれているようにも見えまして、なんともお気の毒な猿でございます。
こちらの庚申塔は『くにさき史談第九集』を読んで以来、特に見学を楽しみにしていました。実物を拝見いたしまして、同著の写真を見て想像していたよりもずっと立派なものでありましたので、天にも昇るほどの嬉しさに思わず手を叩いて喜んだ次第でございます。
今回は以上です。紹介した庚申塔はたった3基ですが、いずれも立派なものでした。次回も大字吉広の名所旧跡を紹介します。