大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

カテゴリから「索引」ページを開いてください。地域別にまとめています。

両戒山の薬師堂跡(宇佐市)

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003045j:plain

 宇佐市は北馬城地区、両戒山(りょうかいさん)中腹の薬師堂跡を紹介します。こちらは六郷満山に関連する史蹟で、磨崖仏(薬師様)のほか石仏、板碑、宝篋印塔など数々の文化財がございます。しかし1時間ほど山道を歩いて登らなければならないので、登山のお好きな方以外はあまり訪れないようです。天気がよければ、そう大変な道ではありません。自然探勝と史跡探訪を同時に楽しめるので、みなさんにお勧めしたい名所でございます。

 さて、両戒山の主なルートは2つあります。すなわち、吉水神社から登る道と、魚ヶ鼻池の奥から登る道です。前者は、薬師堂跡を訪れる場合は山頂までの道の半ばで左折する必要があり、初めての方は道を間違うかもしれません。ですから、どちらかといえば今回紹介する後者の道の方がお勧めです。

 国道10号の岩崎交叉点(ジョイフルそば)から国道213号に入り、高田方面に行きます。豊後高田市界(さかい)にて、ローソン界店の交叉点を右折します。2車線の農免道路を道なりに行き、長い登り坂の半ばにて右折レーンのある三叉路を右折します。長い下り坂の先、道の終点よりも僅かに手前で斜め方向に林道が横切っています。ここを左に折れて、離合困難の林道を奥へ奥へとまいりますと右手に魚ヶ鼻池があります。その辺りからいよいよ舗装が悪くなりますが、ゆっくり行けば普通車でも問題なく通れます。少し行けば右側に参道入口を示す看板がいくつか立っています。一旦通り過ぎて、この先の広くなっているところに車を置きます。 

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003057j:plain

 看板がめちゃくちゃにひしゃげてしまっていました。「六郷満山金剛寺跡 薬師堂登山口」と書かれてあります。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003101j:plain

 ところどころに木製の標識が立っていますが、支柱が折れたりして地面に倒れているものもありました。あまり道標としての用をなしていないようなところもあります。赤テープを確認しつつ、道から外れないように気を付けて登ります。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003106j:plain

 植林帯に入るとテープの間隔が遠く、道を外れやすくなります。切株の上に賽の河原の石積みのようなものが点々と置かれています。これが道標になっていますので、気をつけて辿ってください。この先でいよいよ傾斜が急になり、ロープを頼りに進むところもあります。あまり上等の服を着て来ない方がよいかもしれません。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003109j:plain

 自然石に窪みを設けただけのお手水が見えたら、そこが薬師堂跡です。建物は残っていません。それなりの平場がありますので、昔は堂様があったと思われます。ここまでかなりゆっくり進んでも1時間程度で到着できます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003112j:plain

 正面の岩屋には磨崖仏と石仏、右の方には2基の宝篋印塔がございます。この山中に取り残されたような仏様ですけれども、登山の方などのお参りがあります。車の上がらない山の中の文化財が藪に埋もれたりしている事例の多い中で、こちらの仏様は香華の絶え間を知りません。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003120j:plain

 説明板の内容を転記します。

~~~

薬師堂

 後山金剛寺跡の本尊を祀る岩屋で、寺跡の最奥部に位置する。薬師如来坐像は磨崖仏で、戦国期から近世初頭の制作とされる。補修のためか頭部を塑土で形成する。傍らには脇侍の日光・月光菩薩十二神将立像(1体欠失)の石仏、室町期以降の宝篋印塔2基が存在する。

~~~

 板には真言が書かれています。お薬師様の真言は「おんころころせんだりまとうぎそわか」のはずですが、この板には違う文言が書かれてあるようです。

 なお、金剛寺跡は吉水神社からの道の半ばにその遺構と思われる石積等がございます。こちらの岩屋は後山岩屋と呼ぶとのことで、おそらく金剛寺奥の院であったと思われます。廃寺以降、堂様として残っていたのでしょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003114j:plain

 薬師様の首に違和感があるのは、説明板にあるとおりこの部分を粘土で補修しているためです。このように磨崖仏を粘土で補修している事例は、大迫磨崖仏(千歳村)や岩薬師(大分市)など、県内でまま見られます。一見して単体の石仏と見紛うほどの厚肉彫りにて、近隣在郷の磨崖仏とは一線を画す表現手法をとっています。

 薬師様の脇侍が日光菩薩月光菩薩です。どちらもお顔が傷んでしまっており、おいたわしいことでございますけれども凛とした立ち姿にて、じっと薬師様を守っている様子に頭が下がります。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003116j:plain

 十二神将は昼夜12の時、12の方角などを守護し、薬師様自体や薬師様を信仰する人々のことをいつも守ってくださっているそうです。みんなポーズを違えて、丁寧な彫りで表現してありました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003118j:plain

 転倒を懼れて、いくつかの仏様の下には割れた瓦(おそらく旧の堂様の屋根に乗っていたもの)を噛ませてあります。地震などによる転倒が懸念されます。左の、お面のようなものはいったい何でしょうか。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003124j:plain

 ありがたいお薬師様にお参りをしたら、宝篋印塔も見学いたしましょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003128j:plain

 向かって左の宝篋印塔は相輪以上を欠損しているほか、全体的に軸がぶれて今にもばらばらに壊れてしまいそうになっていました。粗末にならないように、何らかの手立てが望まれます。右も笠の傷みが目立ちます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003130j:plain

 宝篋印塔から右の方に行けば、岩屋状になっているところがあります。中は空で何も残っていません。この辺りには別に、横長の岩屋もあります。そちらにはたくさんの板碑が並んでいました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003134j:plain

 道は荒れ気味ですが特に問題なく通行できました。この板碑群を見逃さないように気を付けてください。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003138j:plain

 いずれも銘が消えてしまっています。12基ほどの板碑がずらりと並び、一つひとつは小型なれども立地も相俟って深く印象に残りました。

 この辺りから尾根筋を登れば山頂に至ります。ロープ場が続く急坂にて、当日は時間の関係もあり登頂は省きました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20220312003141j:plain

 尾根筋に上がったところの岩場から良好な展望が得られます。山頂は省いても、ここまでは登ってみることをお勧めします。一休みしてお弁当を食べるのもよいでしょう。

 

今回は以上です。北馬城地区には気になっている場所がたくさんありますので、いつかある程度探訪ができましたら、シリーズとしてまとめてみたいと思います。それがいつになるか分かりませんので、取り急ぎ両戒山の薬師堂のみ先に掲載しました。