大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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豊崎の名所めぐり その2(国東町)

 前回に引き続き、大字横手の名所旧跡・石造文化財をめぐります。前回もそうでしたが、記事中で紹介する場所は、偶然辿り着くということはなさそうなところが多いように思います。「通常は通らない道路沿いにある」や「車道から見えない」という場合は、偶然行き当たることほとんどないでしょう。しかし「いつも通る道から見えているが気付かない」場合は、歩いて通れば気付くかもしれません。

 やはり、名所めぐり・文化財さがしは、徒歩が一番です。車やバイクは、ゆっくり運転していても速いし視野が限られますので、いろんなことを見落としてしまいます。徒歩ならではの気付きがたくさんあって、小さな石造物や野の花などたくさんの発見があると思いますし、駐車場所を気にせずに小さい枝道に入っていくこともできます。私は、以前は車で次から次に廻るばかりでしたが、最近は邪魔にならないところに車を置いて数か所を歩いて廻るのが好きになりました。ブログの記事の中ではどうしても道順が飛び飛びになるので、基本的に車での行き方を優先して説明しています。でも実際に訪れるときは、たとえば今回紹介する高皿の金毘羅様であれば尾ノ鼻の石造物、行入寺、馬爪の庚申様、日迫の庚申様などと組み合わせて、歩いて廻るとより楽しいと思います。

 

5 高皿の石造物(イ)

 大字横手は高皿部落には、少なくとも2か所に庚申塔が立っています。それで区別のために、今回紹介する方には便宜的に「イ」と付記しました。

 高皿バス停のところから簡易舗装の道を山手に進み、右側のお墓の下から右に入ります。車の場合は舗装路を上り詰めたところの広場に停めて、もと来た道をお墓まで後戻ります。ただし急坂で道幅も狭いので、よそに停めて歩いた方がよいでしょう。

 お墓のところから横に入り、山道を進みます。道なりに左に折れて尾根筋を進むのですが、その左に折れたすぐ先の左側、道を外れたところの竹藪の中に五輪塔(冒頭の写真)やお不動様、庚申塔などが立っています。竹の向こうに見えますから、左側に気を付けながら歩けばすぐ分かると思います。

 確証は持てませんが、おそらくお不動様であろうと推量いたしました。素朴な像容で、親しみ深うございます。今やお参りも稀であろうと存じますが、物言わでじっと佇むお姿に頭が下がります。

青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼、4夜叉、ショケラ

 オールスターの、たいへん豪勢な庚申塔です。こんなに立派な塔なのに、傷みが進んでいるのが惜しまれてなりません。風化摩滅はもとより、全体的に黒ずんでしまい細部の判別が困難になっています。しかも竹に押されて後ろに大きく傾いています。

 国東町内には、これとそっくりの庚申塔が数か所に残っています。これまでにもいくつか紹介してきました。それで、細部の説明は省略して、同種の庚申塔の記事のリンクを貼っておきます。当該項目をご覧いただければ、こちらの庚申塔の昔の姿が分かると思います。

○ 上小原(金毘羅様の参道近く) リンク先の2番
○ 上治郎丸(焼野) リンク先の1番
○ 岩屋(城平) リンク

 

6 高皿の金毘羅様

 庚申様から尾根筋の道に返って、急坂を登っていきます。

 急傾斜の山道は竹が倒れたりして、やや荒れ気味です。でもこの上にたくさんのお墓がありますから、地域の方が通るのでしょう。歩いて通る分には問題ない程度に整備されていました。

 登りつめたところには仁王さんが睨みをきかせています。この右手にはたくさんのお墓が並んでいます。お墓が写り込まないように写真を撮ったので、こんな構図になってしまいました。

 この山中にあって、これだけ大型の仁王像が少しの傷みもなく立っていることに驚かされます。それは、天衣を伴わず、衣紋の細やかなヒダなどもごく少ない表現であることと無関係ではないでしょう。また、下ろした方の手の先は体に接しています。だいたい丸彫りの像というものは、どうしても傷みやすいのです。ところがこちらは、先ほど申しました事柄のほかにも衣紋の裾まわり、挙げた手の腕など、細く離れる箇所をごく少なくする工夫により、非常に安定感があり、頑丈な造りになっているのです。しかもそれによりデザイン性が損なわれることもなく、堂々たる力強さ、武骨な感じや勇ましい雰囲気がよう出ていて、たいへん優れた作例であると感じました。お顔や髷などの丸っこいところの表現も素晴らしいと思います。また、台座の文字の字体も典雅を極めます。

 阿形も素晴らしい。金剛杵の持ち方、腕の力こぶ、裳裾のドレープ感など、よう整うていると思います。胸や指の曲がりはやや角ばった彫りも見受けられますが、これもまた力強い感じが出ていて全体の雰囲気に合うており、違和感がありません。

 仁王さんに挨拶をしたら道なりに左に行きますと、石組の上に金毘羅様などの石祠が並んでいます。

 なんと、こちらにも小型の仁王さんが立っています!しかも石組の上の石祠が立派な造りであるばかりか、狛犬も並んでいるではありませんか。拝殿こそありませんけれども、よほどの信仰を集めてきたのでしょう。

 なお、今まで説明してきた道順を辿れば、この右側から近づいてくることになります。正面参道も残っていて、竹でこしらえた段々を整備してくださっています。この道を下れば、先ほど申しました駐車場所の広場に至ります。ただ、逆ルートだと上り口が分かりにくいと思います。庚申様経由の方が簡単です。

 お参りをしようと近づいて驚きました。もはや、石祠というよりは石造りのお宮の様相を呈しています。特に中央の祠は細やかなお細工が施されていて、まるで木彫り細工のような見事な造りです。屋根の造りが特によいと思います。狛犬は小型ながらもよう整うたデザインで、細やかな毛並まで丁寧に表現されています。まことほんとに、この一帯には見るべき石造物だらけといったところです。

 天衣の、左手で持ったところから下が折れている以外は全く傷んでいません。小型なれども、表現の細やかさは先ほどの大きい方の仁王様よりもなお優れているように感じました。額のしわ、眼や鼻の表現など、極めて写実的です。

 吽形は、残念ながら天衣や髷を大きく破損しています。やはり、体から離れて細く伸びるところは壊れやすいのです。この立地にあっては、何かのはずみで倒れたことがあるのでしょう。

 国東半島のあちこちに残る石造仁王像は、その大きさも造形も多種多様です。庚申塔と同様に、各地のランドマーク的な存在として興味関心を持つ方が増えているようです。これからもたくさん紹介していきます。

 

7 古柄の庚申塔

 少し道順が飛びます。行入ダムの堰堤から県道29号を少し上り、古柄(ふるから)バス停の角を左折します。古柄部落を過ぎて道なりに急坂を上っていけば、左カーブの外側(右側)に庚申塔が立っています。一旦通り過ぎてどこかで転回して戻ってくるとよいでしょう。路肩ぎりぎりに駐車するしかありません。なお、この道を進めば丸小野や両子に抜けることができますが、利用頻度は低くほとんど車が通りません。

 新道に背を向けるように立っていますので、気を付けないと見落とすかもしれません。塔の前に、麓の古柄部落から上ってくる昔からの道がありますが、やや荒れ気味です。

青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏、ショケラ

 正面が茂みになっていて、この角度でしか撮影できませんでした。そのため諸像の姿が分かりにくいかもしれません。実際はすこぶる良好な状態を保っており、正面から見ますと細部までよう分かります。しかも大きく破風をとった笠も立派です。シンプルな造りで派手さはありませんけれども、よう整うた秀作であると感じました。

 日輪・月輪・瑞雲はごく浅い浮き彫りになっています。その下部から優美な曲線により枠を取りまして、全ての像が収まります。主尊は優しそうな表情で、腕の様子などもあまり勇ましい雰囲気はありません。それで、ショケラもまるで楽しそうにあやされているように見えてまいります。童子もまた優しそうなお顔です。猿は、童子の下の複雑な文様の帯状のところに、見ざる言わざる聞かざるで正面向きに3体しゃがみ込んでいます。正面から見ればすぐ分かります。その下の鶏もほんに微笑ましく、全体的にのんびりとした印象の、朗らかかつ円満な雰囲気の庚申様でございます。

 

8 落合の石造物

 古柄から県道まで後戻って左折します。次が落合部落で、そのかかりの対岸山裾にたくさんの碑銘や仏様、庚申様などがずらりと並んでいます。碑銘はすぐ分かりますが、その他は茂みに隠れがちです。落合バス停のところを左折して橋を渡ってすぐ、右側に川べりの細道が分かれています(舗装なし)。その入口に1台は駐車できます。駐車場所から次々に石造物が並んでいます。庚申塔だけは少し引っ込んだところのやや高い位置に立っていますから、見落とさないように気を付けてください。

 奥まで行くと大日様がお祀りされており、小さな堂様の様相を呈しています。建物は新しく建て替えられたようです。この一帯の霊場の核となるものでしょう。

 銘がなく、何の像か分かりませんでした。仏様かどうかも定かではありません。よう見ますと、亀に乗っています!とても珍しい像です。或いは、大日様と何か関係があるのかもしれません。

大日如来

 大の字の上に三角形を彫ってあります。これはどのような意味があるのでしょうか。また、左右には紀年銘・日付の銘もあります。大きな唐破風をとった笠が、重厚感に富んでいます。庚申塔の「青面金剛」は別として、このように像を伴わずに文字だけで仏様を表した石造物はそう多くはありませんが、何度か見かけたことがあります。

 お弘法様とお観音様は、よう見ますと傷みがなく良好な状態です。でも、どうしてもこの立地ですから周囲が荒れ気味になっているのが惜しまれます。線香立てに「天保四巳 二月廿一日 越智会中」の銘がありました。「越智会」は「おちあい」、つまり「落合」です。字義からすると「落合」の方が適切である気がしますが、昔はほかの用字も通用していたことが分かります。

享保十一年
(弥陀三尊梵字青面金剛
十二月三日

 日輪と月輪がずいぶん近接しています。外べりは傷んできているように見えましたが、銘は容易に読み取れました。ただ、最下部に5名程度のお名前が彫ってあった痕跡が認められましたが、その部分の読み取りは困難です。

 

9 稲川旧道の石造物

 落合から県道をさらに上れば、次の部落が稲川(いながわ)です。稲川は行入の本谷の奥詰めで、今は立派なトンネルが開通し陸橋がかかり、両子寺や走水峠への交通がずいぶん便利になりました。この道が開通する以前に両子に抜けるのに利用されていた旧道の上がりはなに、お不動様や庚申塔などが並んでいます。

 県道沿いのいちばん上の民家の近く、道なりに橋を渡ってすぐ鋭角に左折して旧道に入ります。普通車でも通れますが落石や枯れ枝が目立ちます。気を付けて上っていくとほどなく、切通しの外側に旧々道が分かれています。

 ここが入口です。右が切通しで、その外側(左側)に昔の道が残っています。この分かれ道のところに邪魔にならないように車を停めたら、写真に写っている石段を上ります。

 石段を上ればすぐ、右側の高いところに庚申塔、お不動様、お弘法様、牛乗り大日様、灯籠などがずらりと並んでいます。切通し経由だと全く見えませんが、古い道に入ればすぐ分かります。左から回り込んで上がれば、すぐ近くまで寄ってお参りすることができます。

青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏

 この庚申様は、東国東地方で盛んに見かけるタイプです。これまでにもこれと同種のものを何度も紹介しています。その全てが同一の作者とは思えませんが、よほど評判を呼び流行したデザインなのでしょう。弓や鉾が逆ハの字に大きく配してあるのがよいし、主尊の表情も厳めしさを極めます。しかも体の表現が立体的で、特にこちらは衣紋の細やかなひだまでくっきりと残っています。主尊とはうってかわって、おしとやかな立ち姿の童子もよいし、狭いお部屋に押し込まれた猿やその下の鶏もまた、小さくてかわいらしくてよいと思います。夫々の像の個性が十二分に表現され、全体としての調和がとれていると感じました。

 この塔は元禄14年の造立です。今から320年以上も前から、じっと立ち続ける庚申様。今や通りも稀となった昔の道で、樹木が茂っていています。昔はこの場所から、麓の稲川部落や田畑を見晴らしていたのでしょう。立派な道ができ、人口が減り、村の様子はずいぶん変わりました。でも今も変わらず、地域の安寧を見守ってくださっています。

文化十一戌 七月吉日
施主落合 田川 勘右ヱ門

 お不動様の施主は、稲川ではなく落合の方でした。田川と申しますのは小字か屋号の類ではなかろうかと推量しました。像の状態はすこぶる良好、細部まで丁寧に表現されてあることがよう分かります。お顔つきは、目がつり上がっていますけれどもお不動様のあの厳めしい雰囲気というよりは、どことなく優しそうな感じがします。額の横じわもまた、親しみやすさを醸し出しています。

 銘は読み取れませんが、この細長い石塔も蓋し庚申塔でありましょう。牛乗り大日様はコロンと丸っこい表現で、山香方面のものとはまた像容が違います。昔の道を牛馬を引いて歩く人もいたでしょうし、田畑の耕作に牛を使役した時代には、牛や馬は家族と同じように大事にされていました。それで、牛乗り大日様の信仰たるや絶大なものであったと聞きます。

 

今回は以上です。次回は久しぶりに稙田の名所シリーズの続きを書きます。最近、とても珍しい石幢や立派な宝篋印塔を見学しましたので、それを紹介する予定です。

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