大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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上真玉の名所めぐり その1(真玉町)

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 国東半島のあちこちの名所旧跡を紹介してきましたが、真玉町の記事はまた一度も書いていませんでした。それと申しますのも、何度も訪れたことがあっても適当な写真がない場所が多く、一連のシリーズとしてまとめるのに道順が飛び飛びになりそうで掲載を控えていたのです。けれどもこのままではいつになるやら見当もつきませんので気が変わりまして、道順によらず気の向くままに掲載していくことにしました。ひとまず上真玉地区のシリーズから始めようと思います。

 上真玉地区は大字黒土・大岩屋・城前(じょうのまえ※)からなります。この地域には名所旧跡・文化財のすこぶる多く、最も著名なのは黒土のお弘法様と無動寺でしょう。その他にも福真磨崖仏、中ノ坊磨崖仏、応暦寺などのほか、各種石塔群などといった文化財も数えもやらぬほどにて、ただの一度や二度では到底まわりこなせない奥深さがあるのです。その点ではお隣の上香々地地区(香々地町)と双璧と言えましょう。今回は手始めに、立花の石造物と、小岩屋霊場を紹介します。いずれも下黒土にございまして、中ノ坊磨崖仏や身濯神社(旧無動寺跡)と同時に探訪すべき名所中の名所です。

※城前は地図サイトその他にて「じょうぜん」の読みが掲載されていることが多く、実際にその呼称も通用していますが、元々は「じょうのまえ」です。

 

1 立花の庚申塔

 真玉市街地から県道654号を内陸方面にまいります。下黒土の身濯神社を左に見送ってほどなく、道路左側に多種多様な石造物が寄せられています。道路工事の際に、近隣にあった石造物をこちらに移したとのことです。冒頭の写真はその一部で、これ以外にもたくさんあります。夏場など草木に隠れがちにて、見落としてしまうかもしれません。もし福真磨崖仏の標識が見えてきたら行き過ぎですので、後戻ってください。反対方向に辿ればすぐ分かります。

 さて、何はともあれ庚申塔でございます。この場所には3基の文字塔と1基の刻像塔が立っています。これらは、真玉史談会『真玉町庚申塔』によれば、元は日平部落の字岡にあったものを現在地(立花)に移したもので、日平部落・中ノ坊部落で講を組織しており平成13年現在も祭祀が続いているとのことです。文字塔は冒頭の写真にも一部写っていますが個々の写真がないので、ここでは刻像塔を紹介します。

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青面金剛6臂、2童子、2猿、2鶏

 人の背丈ほどもある大型の塔で、存在感があります。彫りが深く、細やかな表現が見事です。これとよう似た刻像塔が、真玉町香々地町に何基か残っており、同一の作者によるものと推察されます。これほどの完成度でありますから、近隣在郷から次々に注文がかかったのではないでしょうか。以前夷谷のシリーズで紹介した、藤ヶ谷の庚申塔もこの仲間です。

 まず笠を見ますと、軒口に水引のような文様が施されています。これが瑞雲の細やかなお花模様と相俟って、非常に優美な雰囲気を醸し出しています。主尊はお顔の表情こそ分かりづらくなってきておりますけれども、頭身比や腕の配置など写実的であり、今にも碑面から浮き出て動きだしそうなほどでございます。ささやかな表現の火焔輪がまた、瑞雲とよう合うています。諸肌を脱いで前に垂らした衣文の細かなしわも素晴らしい。また、碑面を上下の2区画に分ける境界には、何かの枝のような文様が刻まれています。この部分をただの縁取りにせで美しい装飾をこらしているのは、珍しい事例といえましょう。

 下の区画には、童子がめいめいの台(蓮台でしょうか)に乗って宙に浮いています。この童子は主尊に比べるとことさらに小さく、愛らしい姿で表現されています。この大きさであれば主尊の両脇に配置することもできそうなものを、この位置に下ろしたことで主尊がより引き立っています。その下段では中央で仲よう向かい合う鶏、その外側から囃し立てるように猿が中腰にて見守っているのもまた可愛らしくて、特に右の猿が御幣を捧げ持っている姿など何とも言えない愛嬌がございます。

 何から何まで行き届いた表現、丁寧な彫り口がこれほどまでに良好な状態を保っていますが、この塔は元禄11年、今から300年以上も前の造立です。道路端にあって簡単に見学できますから、上真玉の名所旧跡を探訪される際には必ず立ち止まって実物を確認してみてください。なお、この場所にあって今回紹介できなかった石造物については、機会を改めて補遺という形で掲載したいと思います。

 

2 立花の磨崖仏

 庚申塔のすぐそばの岩壁に、数体の磨崖仏がございます。こちらには特に名前はついていないようで、県内の磨崖仏を紹介した数々の書籍にも掲載されていた例がありません。全くもって等閑視されている状態でありますが、道端にありますのでその存在に気付いている方も多いのではないでしょうか。一応、立花の磨崖仏と仮称することにします。

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 五輪塔の裏、岩壁に矩形の龕をなして磨崖仏が彫られています。写真中央付近にくっきり写っている1体のほか、その右にもございます。

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 別の龕にも磨崖像らしき痕跡が確認できました。できれば「磨崖仏」などの標柱があればと思います。近くの中ノ坊磨崖仏や福真磨崖仏にくらべると地味な存在ではありますが、その造形や保存状態によらで、昔の方の信仰の対象として等しく価値のあるものです。

 

3 小岩屋霊場

 こちらは観光の方が訪れることは稀ですが、手軽なお山巡りができます。神様仏様なんでもござれの、庶民の祈りの場で、国東半島を象徴する名所のひとつといえましょう。

 立花の庚申塔から僅かに市街地方面に後戻って、一つ目の角を左折します。標識も何もなく、一見して農道に見えるような入口ですからこの先が不安になりますが、駐車場所もありますから車で入っても問題ありません。道なりに橋を渡ると影平部落に入ります。坂道を上っていき家並みが途切れたところの二又から、正面が小岩屋林道、右が三杉谷林道です。この二又のところが広くなっているので、邪魔にならないように車を停めます。小岩屋霊場の案内板が立っていますので、全体の位置関係をよく把握しておきましょう。できれば携帯カメラで写真を撮っておくとよいでしょう。

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 このように、お参りをする対象が10を数えます。お賽銭を準備していきましょう。地図に「階段道」と「くさり道」があり、「階段道」のところに参拝口と書かれています。この図に従って階段道経由で巡拝することをお勧めします(理由は後で申します)。

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 こちらが参拝口です。この霊場は一時期荒れ果てて道もなくなり、各種石造文化財も傾くやら倒れるやらで粗末になっていたものを、平成半ば頃、近隣にお住まいの佐藤さんがそれを惜しんで道の整備や鎖の設置、各種石造物の水平化などご夫妻で、また親族の方などの助けを借りながら手弁当で再整備されたものです。つつじやつわぶきの植栽など、公園化にも努められました。残念ながらこの数年でやや荒れてきているようです。皆さんがお参りをされますと、道の荒廃を少しでも防ぐことができると思います。今のところ「階段道」については問題なく通れましたが、ニットなどは避けて植物がひっかかりにくい服装の方がよいでしょう。

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 入口から坂道を上って直角に左に折れると、びっくりするほど急勾配の階段になります。ありがたいことに鎖が設置されていますが、ほとんど全部が錆びていました。今のところ強度には問題ないようですが、ざらざらしているので軍手をしていくとよいでしょう。

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 横から見るとものすごい傾斜が分かります。踊り場がほとんどありませんから、ここを下りで通ると転んだりしたら大怪我ではすみません。必ず上りで通って、下りは「鎖道」経由をお勧めします。

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 階段の半ばから右にそれると、役行者像が安置されています。細やかな彫り、写実的なデザインが見事です。その並びには五輪塔と、対になった板碑もございます。この形状の板碑は夫婦墓の場合もあるようですが、こちらはどうでしょうか。お参りをしたら元の道に返って、さらに登ります。

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 鳥居の先でまた右にそれたらお稲荷様の石祠がございます。「稲荷大明神」の銘がありました。みっきーさんのブログの写真を拝見しますと、以前は赤い鳥居がこの正面に立っていたようです。今は壊れてしまい、その残骸が残っていました。

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 長い長い石段の登り詰めた正面には簡単な覆い屋を設けて、天満宮の石祠と大日様の坐像、可愛らしい狛犬が並んでいます。標柱には「天満宮」とあります。何事もないように神様と仏様が同居している、じつに国東半島らしい光景であります。

 さて、この場所で道が左右に分かれています。右方向は下山路につながっていますので、まず左に行きます。

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 崖の半ばに膳所(ぜぜ)大権現がございます。膳所様は、国東半島ではわりと珍しいような気がします。今はこのように荒れ気味の状態ですが、鎖が整備されているので正面まで上がることができます。案内図によればこの近隣に金毘羅大権現があるはずですが、ここから先は道が崩れていて諦めました。後で調べたところ、天満社のところから尾根伝いに上がって行けばよかったようです。

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 天満宮のところまで後戻って、さきほど登って来た石段を見下ろした写真です。ぞっとする急勾配に足がすくみました。こちらには行かずに「鎖道」方面に進みます。なだらかな斜面に道がついていて、一応鎖が張られていますがはじめは利用しなくても問題なく通行できる程度の坂道です。

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 標柱には「弘法大師」とあります。台座には「三界万霊有縁無縁塔」とありまして、つまり宇目町など県南方面で盛んに見かける、上に仏様の乗ったタイプの三界万霊塔でございます。こちらは、お弘法様が乗っているのです。素朴ながらも、蓮華座の表現などよう工夫されています。

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 お弘法様から先はやや傾斜が急になりますが、鎖を持てば問題なく通行できます。後ろ向きにならなくてもスタスタと下れるレベルですので、特に不安は感じませんでした。

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 岩肌に龕をこしらえて、石造りの御室をなして中に3体の仏様が安置されています。中央が案内図に記載のあった毘沙門天です。すらりとした格好のよい立ち姿、非常に写実的なデザインで、秀作といえましょう。しかも足下には唐獅子を踏まえています。両側の仏様も丁寧な造形でありますが、そのうち片方は破損が著しく残念に思いました。龕の右側にも1体の仏様がございます。写真では磨崖に見えるかもしれませんが、単体の石仏でした。

 この場所から三杉谷林道への下りは、鎖渡しの様相を呈しています。鎖をしっかり持って後ろ向きになり、三点支持に留意すれば特に問題ない程度でしたが、笹薮には往生しました。下る勢いで半ば薙ぎ倒しながら通るような始末です。急傾斜を下り切ったところからは、「階段道」の上り口と同じように林道と平行した坂道を下ることになります。この短い坂道がまた、植物がはびこって非常に通りにくくなっていました。半ば強引に下りましたが、こちらから上るのは往生しそうです。

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 下る途中で見つけた三界万霊塔です。上に梵字、その下には「三界万霊有無両縁」とありました。この言い回しは珍しいと思います。

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 無事林道に下り着きました。林道沿いのお観音様はお参りが容易であることからか、近隣の方のお世話が続いているようです。赤いおちょうちょをして、お供えもあがっています。この少し先、崖上の藪の中に庚申塔がかすかに見えました。あまりの荒れ方に諦めかけたのですが、崖上に鎖が張られているのが見えて、迂回して塔に近づく通路があると気付きました。車を置いた二又方向に林道を少し進んだら、右に上がる踏み分け道があります。それを上がってすぐ右に折れ、崖と平行気味に進みます(鎖の張られた道は藪で通れませんので適当に山側から迂回します)。笹を掻き分けてどうにか庚申塔の前に着きました。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 塔が蔓草に覆われていましたので、粗末にならないようにできる範囲で除去しました。碑面が荒れ気味で細かい部分がぼんやりとしてきているうえに、藪に阻まれてこの角度でしか撮影できませんでしたので写真ではとても見えづらいと思います。実物を見れば、もう少し分かります。日月・瑞雲はほとんど消えかかっています。主尊は非常にボリューム感のある炎髪で目つきも厳めしく、上向きに曲げた腕も勇ましい感じがしてほんに強そうな立ち姿でございます。よう見ますと、ごく小さなショケラを下げているのが確認できました。邪鬼は憎たらしい表情です。下部では猿が3匹横並びに、その下には鶏が向き合い、ほのぼのとした情景にて上部の不穏な雰囲気とは対照的です。

 裏面には「明和七捻」の銘がありました。捻の用字はどうしたことでしょう。もしかして、ゲンをかついで「稔」の字をあてようとして間違えたのかなと想像しました。または「稔」の字が「捻」に見えただけかもしれません。

 庚申様をあとに、車に戻りました。ゆっくりお参りしてまわっても、1時間もかかりません。一部道が荒れていますのでどなたにもお勧めできるわけではありませんが、上真玉の名所シリーズではもっとも紹介したかったところのひとつです。

 

今回は以上です。上真玉シリーズの次回は、寄せ四国霊場などといった城前の名所旧跡の紹介を考えています。