大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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三重の名所めぐり その11(香々地町)

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 ずっとお参りしたかった市丸の伊勢堂にやっと行き着くことができました。行き方が難しいので、できるだけ詳しく説明します。

 

35 市丸の伊勢堂

 伊勢堂は珍妙なる仁王像が素晴らしく、みなさんにお参り・見学をお勧めしたい名所でございます。こちらは、興味関心のある方は冊子などで写真を見てぜひ行ってみたやと思いながら、その道順がややこしいのでなかなか辿り着けないこともあるようです。最も分かり易いと思われる道順を紹介します。

 香々地市街地から県道653号を夷方面に参ります。西国東広域農道との交叉点を過ぎて、1つ目の小さな橋を道なりに渡ったらすぐ左折します(標識なし)。田んぼの中の農道を行き道なりに右に折れて、山裾に沿うて進みます。正面右手に市営住宅が近づいてきたら、左方向にコンクリ舗装の林道が分かれています。その道を上がれば害獣除けの柵があるので開いて通り抜け、必ず元通りに閉めます。しばらく行くと、左に大きくカーブするところから右方向に簡易舗装の細道が分かれています。右折してこの道に入りますが、ここからは軽自動車がやっとの幅しかなく舗装が荒れていますし、奥まで行くと転回に往生します。ちょうどカーブの辺りが広くなっているので邪魔にならないように車を停めて、歩いて行く方がよいでしょう。しばらく歩くと、右手に古い墓地があります。その少し先、左側の細道の先に仁王像が見えてきますのでここまでくればすぐ分かります。

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 雑木林の中の、気持ちの良い参道です。鳥居か何かが壊れてしまい、その残欠がやっと立っていました。その奥の仁王像が近づいてきますと、いよいよ心が浮き立ってまいりました。

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 両者とも岩の上に立って、正面に睨みを効かせているはず…ですが、特に阿形にいたってはその朗らかなお顔に思わず笑うてしまいました。堂様はコンクリートブロック造りで建て替えられ、正面の戸もサッシのドアです。この新しい建物の裏手には、旧の伊勢堂の基礎部分が残っていました。老朽化により傷みが進んでいたものと思われます。元の堂様はどんな様子だったのでしょうか。

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 立派な眉毛をきりりと吊り上げて、どんぐり眼も眦を上げ、団子鼻を吹き広げて口はヘの字です。それなのに何となく微笑ましく、愛嬌がございます。左手を腰に当てて右手を肩のあたりにやっている所作は、まるで堅田踊りのようです。

 また、この像は下半身の造りが特徴的です。2本脚で立たせることは潔く諦めて、脚をレリーフ状に仕上げることでしっかりと面で支えているのです。両子寺など方々に残る「優秀作」と言われる部類の仁王像とはまた違い、地方作とでも申しましょうか、庶民の日々の暮らしの中にある素朴な祈りが込められているように感じられます。オリジナリティに富んだ生き生きとした表現であり、こちらもまた秀作といえましょう。

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 阿形がまた、見れば見るほど素晴らしい。この朗らかなお顔といったらどうでしょうか。もちろん作者はそんなつもりではなくて、きっと怖い顔に仕上げたかったのでしょう。私は作者の意図にそぐわない感想を持ったというわけですが、見学した人が楽しい気持ち・明るい気持ちになるのであれば、それはそれでよいことなのではないかと思います。地域の方・外の方によらず、いろいろな方が興味関心を持つことは、文化財の保護への第一歩です。石造文化財は単に造形への興味関心のみならで、今の地域社会の礎を作ってくださった昔の方に思いを致すきっかけにもなります。

 

36 市丸の庚申塔

 伊勢堂から右方向に行くと、庚申塔らしき石造物が目に入りました。

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 銘がすっかり消えてしまっていますので確証はありませんが、上部の日月からおそらく庚申塔であろうと判断しました。この先、下手に古い墓地が広がっています。その方向に少し下ってみますと、お墓の上に庚申塔がたくさん立っているのを見つけました。

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 この区画には、それらしい石塔が都合9基を数えます。刻像塔はなく、すべて文字塔です。

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 左の塔は上部が割れてしまい、その部分を手前に置いてあります。右は「青面金剛奉…(以下不明)」です。墨書にて、造立年等も消えてしまっています。

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 この2基も銘が消えてしまっていました。こうなってくると、待ち上げのときに立てる「庚申石」と「文字庚申塔」との区別が曖昧になってしまい、見当がつきません。

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 こちらはほんに風変りな形状にて、この区画の庚申塔群において特に心に残りました。この形にはどのような意図があるのでしょうか。日月には、僅かに赤い彩色の痕跡が認められます。銘は、上部に梵字、その下はほとんど消えていますが「庚申」の文字のみよう残っています。

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 こちらも風変りな形状です。文字の痕跡がかすかにございますものの、全く読み取れません。『香々地町庚申塔』にも記載がありませんでした。

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 無残にも折れてしまっています。かすかに「庚申石塔」の文字が読み取れましたが、その上下は全く分かりません。下部の小さな区画にも墨で何か書かれてあります。

 この庚申塔から墓地を少し下って右に行けば、元の道に出ます。おそらくこの辺りから山道を下って行けば市丸部落に出るのでしょう。なお市丸は、一丸の用字もあるようです。

 

今回は以上です。三重地区は名所旧跡・文化財の密度がものすごくて、訪れるたびに新しい気付きがあります。終わりが見えない状況ですが、気長に続けていこうと思います。