大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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国東の名所めぐり その1(国東町)

 このシリーズでは国東町のうち国東地区の名所を紹介します。国東地区は大字田深・鶴川(つるがわ)・川原・安国寺・北江からなります。田深・鶴川の商店街は国東町はおろか東国東郡中心市街として栄えてきました。特に軽便(国東線)が現役であった時代はその終点である国東駅周辺が繁栄を極めたほか、鶴川には歓楽街もありました。今では旧市街は寂しくなっていますけれども国道213号新道沿いには新しい店舗も増加しており、昔ほどではないにしろまだまだ賑わいを保っています。また、地区全域に神社仏閣が数多く、石造文化財に事欠きません。

 初回は大字北江周辺の名所・文化財の一部を紹介します。

 

1 吉木の九重塔

 国東庁舎前から国道213号を富来方面に行き、一丸モータースの前で左折します。旧国道213号との交叉点「止まれ」を直進して上り坂にかかり、一つ目の角を左折、そのすぐそばの二股は右に上がります。道なりに行けば道路左側に立っています(冒頭の写真)。車を停めるスペースは十分にあります。

 それにしても、これほど立派な多層塔はなかなか見かけません。近隣在郷では最大のものと思われます。県内には多層塔の秀作が数々ありますが、こちらの九重塔は五本の指に入るものといえましょう。少なくとも国東半島内では最優秀作であると存じます。

 説明板の内容を転記します。

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県指定有形文化財
吉木九重塔
指定年月日 昭和34年3月20日
所在地 国東市国東町北江

 飯塚城主田原氏能が、父貞広の供養のために造立したものと伝えられています。
 総高6.12m、基礎は四重で最上重の四面はそれぞれ二区に分かれ、格狭間が刻まれています。第一層の軸部の四面には大きく金剛界四方仏(阿閦如来=東、無量寿如来=西、宝生如来=南、不空成就如来=北)の種子が薬研彫りされています。笠は照屋根、軒先は二重になっています。鎌倉時代後期の作と推定されますが、最上層の笠を相輪を欠いているのは惜しまれます。力量感のあふれた豪壮な秀作です。

国東市教育委員会

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 向かって左の記念碑によれば、昭和35年に解体修復が行われています。一見して何の変哲もないような道路端にこれほどまでの塔が立っているのは驚くべきことです。しかも簡単に見学することができるのですから、どこかに行くついでにでもぜひ立ち寄って見学されることをお勧めいたします。

 

○ 安が浜の根上がり松について

 吉木には九重塔以外にも庚申塔や堂様、五輪様などありますがまたの機会として、Uターンして元来た道を国道213号まで戻り左折します。そのすぐ先から右の旧道に入ります。この辺りの海岸を「安が浜」と申しまして、昔は「根上がり松」が有名でした。

 さて、こちらの根上がり松は、根の上がり方がちょっとやそっとではなく、大人が背をかがめずに上がった根の下を通り抜けることができたと聞き及びます。かつては名所として知られていましたので、地域の方はおろか、国東町外の方でもある年齢以上の方には懐かしく思い出されると思います。今に残っていれば奇勝中の奇勝として観光名所になっていたことでしょうし、必ずや天然記念物に指定されていたことでしょう。台風か松喰虫の被害によるのでしょうか、ただの1本も残らずに失われてしまったことが残念でなりません。

 

2 伊予野の宮地嶽神社

 安が浜を過ぎて、旧道を道なりに進みます。国東自動車学校入口を過ぎてすぐ、左側に宮地嶽神社の鳥居が立っています。車は、この角を左折して神社裏手の路肩ぎりぎりに寄せて停めるしかありません。

 今は石祠を残すのみで建造物はありませんが、境内には躑躅が植えてあり、手入れが行き届いています。鳥居のすぐ左横には庚申塔が立っています。

青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 武蔵町周辺でよう見かけるタイプの塔で、さして珍しい点はありません。けれども主尊の堂々たる立ち姿がなかなかのものです。やはり、全体的に見てデザインが整うていることから人気を呼び、方々で注文がかかったのでしょう。碑面の荒れにより主尊のお顔が不気味な風貌になっておりますが、それ以外のところはよう分かります。肥った体、ガニ股の立ち姿などお相撲さんのような力強さが感じられるではありませんか。

 童子は腕を組んで、手先を袖に隠しているように見えます。昔の写真などで、このよなポーズで立っている人をよう見かけます。猿と鶏は一列に並び、家内和合を象徴するような微笑ましさが感じられます。

 

3 伊予野の庚申塔

 宮地嶽神社の境内に沿うて車道を歩いて行くと、道路端に庚申塔が立っています。

青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 鳥居横の庚申塔とそっくりで、やはり武蔵町周辺で盛んに見かけるタイプの塔です。でも、細部を見ますと細かな違いがあります。具体的に申しますと先ほどのものは主尊と童子の隙間がほとんどないほど密接しており、めいめいの像が大きめで余白が少ないのに対して、こちらは童子がやや小さめで主尊の肥り方もさほどではなく、ややすっきりとした印象を覚えました。

 

○ 北江のマテ突き唄

 大分県では盆踊り唄をはじめとする数多くの俚謡が唄われましたが、全国的に有名になった唄は少ししかありません。その中で国東町北江で唄われたマテ突き唄は、民謡歌手による実演やレコード吹込み等により、「民謡」として比較的知られているものです。

 国東半島では、あさり、はまぐり、マテ等は言うに及ばず、「タバコニシ」「シッタカ」などの所謂「にいな」類や「陣笠」「松葉笠」など磯浜の貝類をよう食べます。このうちタバコニシ等は商業ベースには乗らないので、専ら磯遊びの傍らに拾い集めて家庭内で消費するものです。マテ貝も、菱形の穴に塩を振り入れてにょきにょきと出てきたところを抜き取る採集方法は、家庭内消費の域を出ません。

 ところが北江では漁業としてマテ貝を採集してきました。その方法は、塩を振り入れて1本ずつ取るやり方とはまるで異なります。舟の上から、かぎ爪のたくさんついた重たい漁具を何度も海中に下ろしては上げるのを繰り返して、一度にたくさんのマテをとっていました。この作業はたいへんな重労働でしたが、半農半漁の北江においては農閑期の副業としてそれなりの収入にはなったので、昭和30年代までは行われていたそうです。

マテ突き唄
〽アリャ嫌じゃかかさんヨーイ マテ突きゃ嫌じゃヨーイ
 (アリャドコイショードコイショ)
 アリャ色も黒うなりゃ 腰ゃかがむヨーイ
 (アリャヨイコラヨーイヨーイヨーイ)
〽豊後北江の マテ突き音頭 あとが続けば 皆勇む
〽寒い北風 冷たいあなじ 吹いて温いのが まじの風

 この唄は3拍子(8分の6拍子)に近い独特のリズムで唄われます。この拍子は旧来の俚謡には珍しいのですが、豊後高田市田染・大田村・安岐町・武蔵町・国東町では盆踊りの「六調子」「二つ拍子」「豊前踊り」もこのリズムで唄っています。この地域特有のリズム感であるといえましょう。陸で唄うときに間合いが詰まって2拍子になった節もありまして、レコード等ではこちらの方が紹介されていることが多いようです。

 

4 北江の厳島神社

 宮地嶽神社の前から旧道を道なりに行きます。簡易郵便局を過ぎて橋を渡ってすぐ右折、川べりの道を進みます。

 道路に立派な鳥居が立っています。この鳥居をくぐって道なりに行き、写真に写っている橋の上り坂の手前を左折します。道が狭くなりますが普通車までなら通れます。

 厳島神社に着きました。神社の右手に北江公民館があります。その前が広場になっていますので、車を停めることができます。

 整備の行き届いた立派な神社です。お参りをしたら、境内の石造物を見学してみてください。狛犬のほか、灯籠も立派なものが目立ちます。

 特にこのお手水と灯籠が一体化したものは、見事な造りであると感じました。お手水は、水の溜まるところがちょうど洞門状になっており、落て水の流れが屈曲して最後は滝をなしています。作者の美意識が感じられます。灯籠の台座の下部をうまく削って、お手水の上部と噛み合うようにしてこしらえてあるのも見事なものです。台座には天保年間の銘がありました。その上に載る灯籠は神社のそれというよりは、庭園で見かけるような造りになっています。花弁の表現など、細部にわたって工夫がこらされた秀作といえましょう。

 狛犬も素晴らしいではありませんか。非の打ちどころのない、お手本のような作例です。

 細かい線彫りで丁寧に仕上げた文様は対称性を崩さず、かっちりとまとまっています。様式美が感じられますし、表情などいきいきとした感じもあり素晴らしいと思います。

 摂社の石祠もなかなかのものです。上部が一部破損しているのが惜しまれますが、木造のお宮とさして変わらない精巧な造りに感心いたしました。

 このかわいい狛犬も見逃さないでください。風化摩滅が惜しまれますけれども、それが却って何とも言えない愛らしさを醸し出しています。

 

5 北江の庚申塔

 公民館のところに車を置いたまま、神社と公民館の間の細道を浜に向かって歩いて行きます。サイクリングロードを横切ってなおも進めば、道路端の大きな木のねきに石灯籠と庚申塔が立っています。神社からすぐのところなので、入口さえ分かればするに見つかると思います。

青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 宮地嶽神社庚申塔とそっくりで、やはり近隣在郷で盛んに見かけるパターンの刻像塔です。しかしその立地も相俟ってか、今回紹介した3基の庚申塔の中では特に印象に残りました。下部には「講中十五人」とくっきり刻まれています。

 

○ 新民謡「国東小唄」

 国東小唄という新民謡は、私の知る限りでは2曲あります。町内の盆踊りでは専ら旧来の「六調子」「祭文」を口説で踊っており、国東小唄を聴く機会はめったにありません。よい唄なのでここに紹介します。
※この記事に関係のある箇所を太字にしています

新民謡「国東小唄」
〽佐田の岬の灯台冴えて 夢の姫島ほのぼのと
 庭のあじさい色添う頃か 沖は勇みの鯛しばり
 君と来て見る八畳岩に 南風の日和の日が白い
 ホンニソレソレ 日が白い
安が浜辺は根上がり松よ 冴える月夜の潮の音
 粉雪ちらつく港の昼を 周防通いの船が出る
 酒はのどごし国東恋し ふぐに更けゆく宿恋し
 ホンニソレソレ 宿恋し
〽椎の木の間に鳴る拍手か 桜八幡参らんせ
 田深川沿い菜の花灯り 両子・文珠は紫に
 裏の木小屋で織る青莚 ちらり人影気にかかる
 ホンニソレソレ 気にかかる
〽昔偲べば稲穂もなびく 前田遺跡の落とし水
 もみじ燃え立つ鏡の池に もずが高鳴く安国寺
 吉木乙女の黒髪かなし 塔の高さを雲が飛ぶ
 ホンニソレソレ 雲が飛ぶ

新民謡「国東小唄」
〽住めばエ 住めば国東 波荒くとも
 人はやさしい情けは深しヨ
 両子おろしも 両子おろしもそよそよと
 そうかえ そうじゃないかえ そよそよと
〽沖のエ 沖の漁り火 誰ゆえ曇る
 濡らすしぶきの王子ヶ浜に
 待つは誰やら 待つは誰やら松の影
 そうかえ そうじゃないかえ 松の影
安がエ 安が浜辺の根上り松は
 浮いたようでも根〆は堅い
 こぼれ松葉も こぼれ松葉も二人づれ
 そうかえ そうじゃないかえ 二人づれ
〽誰がエ 誰がつけたかその名も床し
 桜八幡 鎮守の社
 かけた願いの かけた願いの首尾のよさ
 そうかえ そうじゃないかえ 首尾のよさ
〽灘はエ 灘はコバルト白帆は招く
 君と来てみる八丈が石に
 濡れてみたさの 濡れてみたさの深情け
 そうかえ そうじゃないかえ 深情け
〽行こかエ 行こか戻ろか城山あたり
 思案半ばに胸さえ騒ぐ
 鐘は明け六つ 鐘は明け六つ安国寺
 そうかえ そうじゃないかえ 安国寺

 

今回は以上です。唄を紹介したりしたので写真の枚数のわりに長い記事になりました。次回はどこを紹介しようか考え中です。