大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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判田の名所めぐり その1(大分市)

 このシリーズでは、大分市は判田(はんだ)地区の名所をめぐります。この地域は大字下判田・中判田・上判田からなります。国道10号沿いから高江方面にかけて宅地化がずいぶん進んでおりますけれども、少し山手に入れば昔の風景がよう残っています。神社や堂様、石造文化財がいろいろありますので、私の好きな地域です。名所旧跡としましては何はさておき本宮山が挙げられましょう。ほかにも米良(めら)の釈迦堂、片野の観音堂、志田原(したはる)の新四国霊場などたくさんあります。

 今回は片野の観音堂、百木(ももぎ)の庚申様、本宮神社と、地域の俚謡などを紹介します。

 

1 片野の観音堂

 片野の観音堂と志田原の新四国霊場は、大字下判田の名所の両巨頭と言えましょう。新四国は写真が多くなるので次回に回して、先に観音堂を紹介します。こちらは道路沿いで簡単にお参りできますし、興味深い石造文化財もいろいろありますので皆さんにお勧めしたい名所です。ファミリーマート白滝橋店から松岡方面に進んでいけば、道路左側に大きな宝篋印塔が立っていますのですぐ分かります。

 それでは、堂様の石造文化財から見てみましょう。

 お弘法様です。「南無大師遍照金剛」の名号が中央に彫られています。このお弘法様は御室がたいへん立派で、破風に菊の花が見えます。平坦な屋根の四隅を浅く撥ね上げて、大きめの宝珠との組み合わせもよく、洗練された印象を受けました。

大乗妙乗一石一字塔

 一字一石塔も、これまた格好のよい笠が見事なものです。特に趣向を凝らした破風がよいと思います。また下部の蓮台も、大きめの花弁を矩形に沿うて浅く彫り出したところがスマートな感じがして、洗練の美を感じました。

大乗妙典塔

 こちらも一字一石塔でしょう。側面にはびっしりと漢文が彫ってあり、発願の経緯が書いてあるようです。その中に「明和二」とありました。

青面金剛6臂、猿、鶏 ※猿と鶏を合わせて3体

 庚申塔も1基ありました。残念ながら地衣類の侵蝕が著しく、碑面が荒れているうえに主尊のお顔は削り取られてしまっています。全体のシルエットから推して、稙田や判田方面で盛んに見かけるタイプの像であろうと判断いたします。指の握りや腕の収まり等見ますと写実的で、レリーフ状の彫りと肉厚な彫りをうまく使い分けて、しかも両者の連続性にも留意されているように感じました。左下には右を向いて長坐位になっている猿が確認できます。中央は猿と思われますが斜めに彫ってあり、確証を得ません。あるいは、邪鬼かもしれません。同様に、右下は鶏のように見えましたがこれも詳細不明です。

 お供えがあがっていますし台座をきちんとやり替えていることから、決して粗末にされているわけではありません。これ以上の傷みが進まないことを願うばかりでございます。 

 道路からもよう見える背の高い宝篋印塔です。この塔は、塔身が2階建てになっているのが大きな特徴です。しかも下部には段々をこしらえ、その上に蓮台を挟んで下の塔身というふうに手の込んだ手法をとっています。また笠の隅飾りが発達して外に張り出しています。

 この種の特徴を有する宝篋印塔は年代が下がるのが相場でありまして、ほとんどが江戸時代以降の作例であるようです。全体的に見て装飾性に富み豪華な印象を覚える一方で、古いタイプの宝篋印塔のどっしりとした重厚感は薄れてきているように感じます。それぞれに良さがありますし、本来信仰を伴うものなのですから位の上下をつけるのはナンセンスというものです。

 でも、宝篋印塔はあちこちに立っていますから、何かのついでにでも見学していく中でいろいろ比較してみて、自分の好みの形を探してみるのも楽しいのではないでしょうか。このような些細なことが石造文化財に親しむきっかけになりますし、文化財愛護・保護や、ひいては地域の歴史を学び先人に思いを致すことにもつながります。それはきっと明日への道標にもなるでしょう。その意味で、このように「宝篋印塔」という標柱を立ててくださっているのは、石塔の種別をよくご存じない方もこの種の塔の名称を知ることができますので、とてもよいことであると感じました。

 この石祠には「神明宮」「妙見大菩薩」「稲荷大明神」と彫ってあります。神仏習合の名残が感じられます。

 最初に紹介したお弘法様とは別のものです。こちらは「大乗(妙典)」「四国八十八」の文字が見えました。きれをはぐって確認することは控えましたが、もしかしたらこの周辺に新四国が開かれていたのかもしれません。

 堂様の中にはお観音様がずらりと並んでいて壮観です。寄せ西国の様相を呈しており、西国参りが今よりもずっと難しかった時代に、近隣地域の方のために開かれた霊場でありましょう。どなたでも自由にお参りできますが、火災防止のためにお参りが済んだら必ず蝋燭の火を消してください。

 

○ 米良の堤搗き唄

 大字上判田は米良(めら)部落周辺で唄われた堤搗き唄を紹介します。昔の池普請は人海戦術で、たいへんな苦労を伴いました。堤が切れると洪水になってしまうので、定期的に傷んだ箇所をわざと崩して築き直したのです。堤搗きではめいめいに杵を持ち、オイサオイサと木遣音頭の調子に合わせて搗き固めていきました。米良の堤搗き唄は2種類の節があり、いずれも「伊勢音頭」の類です。

堤搗き唄 その1
〽イヤ一つ出しましょ(ヨイヨイ)
 薮から笹を(アリャトーコセー ハーリャセ)
 イヤつけておくれよ ソリャ短尺を
 (ソリャヤートコセーノ ヨーイヨナ
  ハリャリャ コリャリャ ヤーレトーコセー)
〽米良の堤じゃ しっかりしゃんとつけよ とけて流れて ぼらぬよに
 ※ぼらぬ=漏らぬ
〽嫁を取るなら 判田の米良へ 見どりよりどり 器量よし
〽わしとお前は 土方が好きで 堤搗きなら どこまでも
〽わしの思いは 本宮の山よ ほかに木はない 松ばかり
〽本宮の清水を 堤で温め 秋は黄金の 米良の原
〽腰の痛みに この土手長さ 四月五月の 日の長さ

堤搗き唄 その2
〽エーヘヘンヘンヘン 北かと思えば(ヨイヨイ)
 またマジの風(アリャ トーコセー ハーリャセ)
 オヤ風がナ コリャ恋路の ソーレ邪魔となる
 (ソラソラヤートコセーノ ヨーイヤナー
  アレワイサ コレワイサッサノ ヤーレトーコセー)
 ※マジ=南風
〽山は焼けても 山鳥ゃ立たぬ 子ほど かわよい ものはない
 ※かわよい=可愛い
〽親のゆけんと 茄子の花は 千に 一つの あだがない
 ※ゆけん=意見

 

2 百木の如意輪観音様と庚申塔

 上判田のうち百木(ももぎ)・実原(じつばる)・赤仁田(あかにた)、地吉(ぢよし・廃村)の4部落は山また山、奥の奥を極めます。交通不便のため、昭和の中頃までは百木に分教場があったそうです。この4部落から大字河原内は黒仁田・橿原(かしばる)・弓立(ゆだち)辺りにかけての地域はたいへん道が悪く、普通車の運転にも難渋するようなところが多いので訪れるにはややハードルが高うございます。でも自然が豊かで、昔懐かしい山村の面影を残すよいところです。今回はひとまず百木の如意輪観音様と庚申塔を紹介します。

 さて、百木に上がるにはいくつかのルートがありますが、少し遠回りになりますけれども比較的安全に通行できるルートを示します。ファミリーマート白滝橋店から国道10号を敷戸方面に進み、大南団地入口三叉路を右折します。その先をまた右折して高架で国道10号を跨いで判田台団地の中を道なりに行き、ローソン上判田店の手前を左折して左に川を見ながら田舎道を進みます。そのうち曲がりくねった山道になり、安田部落辺りは離合困難な箇所が多いので運転に注意を要しますが、上っていけば途中から2車線に拡幅されています。上り詰めたら百木公民館前バス停のところがロータリー状の広場になっています(バスの転回用と思われます)。その広場を利用してUターンして、いま来た道の左を平行気味に上っていく細道を上がるのですが、ここから先は道が狭いうえに庚申塔の近くに適当な駐車場所がないので、ロータリーの広場の隅に邪魔にならないように駐車して歩いた方がよいでしょう。狭い道をくねくねと上っていけば六叉路に出ます(端によけて駐車できるような余地は一切ありません)。この辻の角の小高いところに庚申塔が並んでいます。「庚申塔」の立札がありますから上り口はすぐ分かります。ここは百木部落の外れであり、しかも辻になっているということで庚申塔の所在地としては妥当な場所です。

 上がり端がやや急ですが、特に問題なく通行できます。この下の辻は、本宮神社にお参りに行く方などがときどき通ります。ですからこのように説明板を立ててあるのは意義深いことで、たくさんの方が興味関心を持つきっかけとなります。

 上下二段になっていて、上の段の4基は文字庚申か庚申石の類でしょう。前者であったとしても銘はすっかり消えてしまっています。下段は中央に如意輪観音様、その左右は青面金剛の刻像塔です。

 当日、霧雨が降っていました。それで如意輪観音様がしっとりと濡れて、その優美なるお姿がいよいよ引き立っており、うっとりと見惚れてしまいました。ややどっしりとした雰囲気ながらも、お慈悲のお顔などさても優しそうな雰囲気でございます。また、下部には請花・反花を挿み、さらに基礎も二重になっており、たいへん豪勢な印象を覚えました。昔から地域の方の信仰を集めてきたばかりか、今なお通りがかりの方などが手を合わせています。

青面金剛6臂、1猿、1鶏、邪鬼、ショケラ

 向かって左の庚申様です。舟形の塔身の上端と主尊のお顔が破損しているほかは、比較的良好な状態を保っています。しかし苔がはびこり、猿・鶏・邪鬼がシルエットでしか分からなくなっているのが惜しまれました。邪鬼は、その輪郭から推しておそらく、直川村などで何回か見かけたことのある顔だけが大きく表現されてあるタイプと思われます。この塔でおもしろいところは異常なる大きさのショケラです。それがまるでてるてる坊主のように見えてまいりました。 

青面金剛6臂、1猿、1鶏、ショケラ

 キリリと目を吊り上げてさても怖い風貌の主尊は、裳裾をお引き摺りの優美さにて足先をちょこんと覗かせた立ち方が、お顔の雰囲気とは全然違っていておもしろうございます。体の外に出ている腕や持ち物をレリーフ状のごく浅い彫りで表現してあるので写真では見えづらいものの、その状態は良好です。猿と鶏は図案化を極め、いきいきとした写実性は乏しいものの、デザインとしての美意識が感じられます。

 さて、こちらは一見して別府市は堀田で見かけた庚申塔にそっくりであることに気付きました。これとよう似た塔は大分市内でも見かけたことがあります。別府から大分にかけて流行したデザインなのかもしれません。また猿と鶏の図案化を極めた表現方法は、稙田地区などでも見かけたことがあります。同じ大分県内といえども、地域ごとに庚申塔の個性があります。いろいろと見比べると新しい気付きがありますし、こうして記事にする過程で気付くこともあり、庚申塔への興味関心は高まるばかりです。

 

3 本宮神社

 さて、いよいよ今回の本丸、本宮神社です。前項の庚申塔の辻から標識に従って、簡易舗装の林道を奥へ奥へと行けば鳥居が立っています。鳥居手前の広場まで車で乗り付けることができますが、この林道はそれなりに長いのに離合できる場所がありません。まあ大丈夫じゃろうと思いまして普通の軽自動車で行ったのですが、道幅がたいへん狭く胆を冷やす場面が数回ありました。タイヤが空転しそうになった急坂もあり、舗装も悪いので、車で行くことはお勧めできません。先ほど申しましたように百木公民館のあたりに車を置いて庚申塔の辻経由で車道を歩くか、または安田登山口などの駐車場に車を置いて山道を歩いて登ることをお勧めします。時間に余裕をもって、ハイキングがてら参拝するとよいでしょう。

 この日は霧が立ち込めてさても幽玄なる雰囲気が漂うておりました。晴天の日がいちばんですけれども、霧の中の神社もまたなかなかようございます。

 本宮神社の周囲には手つかずの自然林が残っています。ですから四季折々の自然を楽しみに、何回も山登りをされる方も多いようです。説明板の内容を転記します。

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本宮神社の森
樹齢:200~300年
集団面積:3,900㎡

本宮神社の創祀は、応神天皇9年(西暦413年)4月に武内宿祢が勅命を奉じて本宮山上に宮殿を建立、延喜式内の大社として尊崇を集め、今日に至る。本宮山標高607mの高地に照葉樹を主体とした樹林を形成している。市内に残された数少ない自然林である。

昭和60年5月 大分市

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 境内は整備が行き届いています。山の上の神社に霧が立ち込め、人っ子一人いなかったので空恐ろしさを感じました。またいつか天気のよい日にお参りに行きたいものです。

 狛犬は細やかな表現が素晴らしく、特に口の開け方などさても強そうな様子が見てとれます。それに対して脚を見ますとお行儀がよさそうな感じがして、その対比が何ともおもしろいではありませんか。

 立派な眉毛、自信満々に吹き広げた鼻の孔など、何から何まですばらしい。愛嬌があって、いっぺんで大好きになりました。

 説明板の内容を転記します。

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豊後一ノ宮西寒多神社奥宮略記
御祭神 天照皇大御神
    伊弉諾尊
    伊弉冊尊

 当社は豊後一ノ宮西寒多神社の奥宮本宮社と称し、御鎮座の年代は遠く人皇第十五代応神天皇9年(西暦413年)4月、武内宿祢勅命を奉じ西寒多山上(現本宮山)に宮殿を建立、奉斎したのが西寒多神社であり、その後大友第十代の藩主親世公が応永15年(西暦1408年)3月に神社を山麓寒田に遷したので旧社地の宮殿を奥宮として祀り今日に至る。
 社格延喜式内大社、豊後一ノ宮、国幣中社の奥宮として往古より皇室の御崇敬をはじめ国守、国守武将などの信仰あつく御本社と並び家内安全、縁結び、学業、厄除、交通安全の守り神として御利昌高く多くの登拝者を見るに至る。
 境内約7,700㎡あり春の新緑、わらび狩り、山菜摘み、5月の三ツ葉つつじ、秋の紅葉など大自然と融合し、豊後湾並びに国東半島を一眸に、また別府大分の市街を眼下に展望まことに雄大である。

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 説明板にあるとおり、こちらは西寒多(ささむた)神社の奥宮です。西寒多神社からの参道(登山道)もあります。距離はそれなりに長いものの、山歩きがお好きな方などが盛んに通行されているようです。西寒多神社は、またいつか稙田地区のシリーズの中で紹介します。

 この山中にあっても、境内の清掃が行き届いています。大きな枝などが通路に落ちていることもなく、こざっぱりとしていました。氏子の方々をはじめ、参拝される方がめいめいに配慮されているのでしょう。

 

4 本宮山の磐座

 本宮社にお参りをして、後戻る際に鳥居の近くから左方向に分かれる細道を歩けば立派な磐座があります(冒頭の写真)。案内の標柱が立っているのですぐ分かります。ぜひこちらも見学してください。

 このような道を歩いていきます。地面が濡れているときは滑り易いところがあったので、天気のよい日がよいでしょう。

 圧倒される大きさに感嘆いたしました。古代の巨石崇拝の名残です。

 

○ 唱歌中判田駅開通祝賀歌」

 大正3年、現在の豊肥本線の前身である犬飼軽便線の中判田駅が開業しました。その記念に作られた唱歌を紹介します。この唱歌は100歳以上の方でないと覚えていないかもしれませんが、加藤正人先生の著書でも譜面付きで紹介されています。判田地区の昔を今に伝える唱歌として、公民館教室などで歌うのにぴったりの歌ではないでしょうか。

中判田駅開通祝賀歌
〽一日ひとひに開けゆく 時は大正御代の春
 頃は弥生の花盛り 鳥もさえずる好時節
〽犬飼線の鉄道は 今日いまここに工成りて
 大分を去ること七マイル 判田駅にて止まりけり
〽今日の鉄道開通に 黒煙立てて勇ましく
 レールの上を滑り来る 汽車の姿の雄々しさよ
〽一度汽車にうち乗れば 大分、別府、日出、杵築
 遠き他国の往来も ただ束の間にできぬべし
〽いざ夢醒ませ里人よ 昔の夢を醒ませかし
 世の文明は片時も 休むことなく進むなり
〽勤めや励めや学問を 殖産興業とりどりに
 振い興してもろともに 村の栄えを図るべし
〽見よや西べの本宮山 高きが上にいや高く
 東の方の大野川 清き流れもよどみなく
〽今日の鉄道開通を 心合わせて祝うなり
 判田万歳万々歳 鉄道万歳万々

 

今回は以上です。判田地区の名所旧跡はまだまだたくさんありますので、新しく写真を撮り次第続きを書きます。次回は久しぶりに、朝来地区のシリーズの続きを書いてみようと思います。