大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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初八坂社(国東町)

 この神社は国東町豊崎地区は大字原(はる)、山吹に鎮座しています。

 さて、こちらは国東半島に数ある八坂神社(牛頭様・祇園様)の中で最初にお祀りされたと申します。初八坂(そめやさか)の名も、それに由来するのでしょう。初宮(そめみや)とか牛頭(ごず)様とも呼ばれています。こちらは、そう広い神社ではないもののたいへん長い歴史がありますし、立派な鳥居、仁王像、お手水、五輪塔などたくさんの石造文化財が残っています。特に仁王様は必見です。皆さんに参拝をお勧めいたします。

 道順を申します。国道213号から「弥生のムラ」の標識に従い、田んぼの中の2車線の道を行きます。弥生のムラ(安国寺遺跡)を過ぎてなおも道なりに行けば、道路右側、給食センターのところに鎮座しています。大きな鳥居と仁王様が道路端に立っていますので、すぐ分かります。車を停めるスペースもあります。

初宮牛頭天王
妖蛇一割廟食千祀
呵禁祥是神之威 氏子中

 鳥居には神仏分離以前の「牛頭天皇」の称号が彫ってありました。大きく、立派な鳥居です。すぐ後ろにはこれまた大きな仁王像が並んでいます。右側には碑銘が並び、その前の空き地に駐車できます。写真はありませんが、碑銘の後ろ(右側)には五輪塔が並んでいます。おそらく近隣の耕地整理の際に移されたものでしょう。あわせて見学されてはと思います。

 仁王像の説明板が立っています。内容を転記します。

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仁王像の由緒

 この仁王像は県内で一番大きく、石工は国東町浜崎、佐藤茂助政近の作で、文政7年(1824)この地に建立され、神仏習合の時代多くの崇敬者から親しまれていました。
 しかし明治元年(1868)の神仏分離によって廃仏毀釈運動が起こり、仁王像の一部が破壊され、明治4年頃に台石を残したまま仁王像のみが、西隣の元国東小学校山吹分教場入口に移転されていたと考えられます。
 この度、国東町給食センター建設に思内、地元区民の強い願いと関係者のご理解で、元の台石に130年ぶり(平成14年4月27日)に無事遷座復元されました。
 堂々とした風格が漂う一対の仁王像が、神社の神門前に立つ姿は珍しいと注目されています。
 下の刻字は、淫禍、善福とあり、淫らな行為や禍いを戒め、善くして福となし、外敵を押し退け心を清らかにして参拝する意味であります。

右側は阿形像 高さ240cm
左側は吽形像 高さ255cm

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 仁王像はいずれも天衣を破損しています。もし天衣が残っていれば、総高はもっと大きくなります。

 お顔の傷みと、左腕や髷・天衣を失うておることが惜しまれます。しかしながら残部を拝見しますと、筋骨隆々とした腕や脚が素晴らしいではありませんか。立ち姿と申しますか、全体のバランスもよいし、何より衣紋のたっぷりとしたドレープ感が見事なものです。大きいだけでなく、デザインや彫りの丁寧さなど、どこをとっても非の打ちどころのない秀作といえましょう。

 それにしても台座の「善福」の「善」の字がずいぶん変わった字体です。説明板がなければ、読みが分かりませんでした。対の仁王像は文化財に指定されており、国東市のウェブサイトに夫々の銘文が記されておりますので、ここに転記します。

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善福
桜木治郎大夫
浜崎 石工 佐藤茂助政近
文政七年二月
原村山吹庄屋 森茂助恒宅
川原村庄屋  増田顧助高義
山吹山之口  平野桂助
當村施主   桜木市蔵

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 山之口と申しますのは役職の名称です。

 こちらは天衣の破損以外は完璧な状態です。非常に凛々しいお顔は目鼻立ちがよう整い、役者ごかしの美男といったところでしょうか。腹を突き出し、腰まえのよい立ち姿には、いかなる悪も一息に跳ね返しそうな力強さが感じられます。

 同様に、市のウェブサイトから銘文を転記します。

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淫禍
夫力氏子中
赤松村庄屋 西田仁平惟治
岩屋村庄屋 小山田太郎右衛門安之
施主 赤松村 阿部十右衛門
同 たつ
同 さだ

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 注目すべきは、施主に赤松村(今の大字赤松)の阿部十右衛門さんに並んでたつさん、さださんの名前も記されている点です。古い石造物の施主として女性の名前が記されているのは稀なことではないでしょうか。たとえば新四国の札所などで、小さなお弘法様の坐像の施主として女性のお名前が彫ってあるのはときどき見かけますけれども、このように複数の地域の方々が連名になっているような大きなものでは、通常まず見かけないと思います。また、夫々の銘文から、仁王像の建立には原村、川原村、赤松村、岩屋村(すべて現行の大字)の方々が関っていることが分かります。当時の氏子圏が推察されます。

 境内はいつも整備が行き届いています。参道右側のお手水が非常に立派な作でありますので、参拝時にはぜひ細部まで確認してみてください。

 平べったい岩に窓をこしらえて、その中がお手水になっています。そして窓の奥、向こう側の内面には龍が彫ってあります。一石づくりでこんなに手の込んだお手水は稀であると存じます。

 

 写真では分かりにくいかもしれませんが、実物をご覧になりますと龍の姿がすぐ分かります。しかもその下には波模様を、上には渦巻模様を丁寧に彫り込んで余白を一切残さで一面に文様で埋め尽くしてあるではありませんか。これは素晴らしい。ちょうど窓の中が龍神様の岩屋のように見えてまいります。境内社貴船様がお祀りされてあることから、あるいはそれと関連があるのかもしれません。八大龍王様、龍神様は雨乞いの霊験あらたかとてかつては農家の絶大なる信仰を集めていました。

奉寄進燈爐 壹●

 宝珠を欠損する以外は良好な状態の灯籠です。この灯籠は非常に個性的な造りです。特に中台と基壇の請花や反花は仏教的な造形であり、神仏分離以前の地方色豊かな作といえましょう。

天神宮

 本殿の並びには境内社がお祀りされています。数基並ぶ石祠のうち左から2番目には、何かの坐像を半肉彫りにした石板が収まっています。詳細は分かりませんけれども、「天神宮」の鳥居の正面にあたりますから、或いは菅原道真の像かもしれません。

木舩宮 ※舩は船の異体字

 先ほど申しました貴船様です。貴船とか貴舩、貴布祢などいろいろな用字が通用している中で「木舩」は珍しいと思います。

 

今回は以上です。次は豊崎地区のシリーズの続きを書きます。その記事の中に初八坂社も掲載する予定であったのですが、最近は長い記事が続いており書くのに時間がかかって、更新の間隔が空きすぎるのが悩みの種でした。それで新しい試みとして、たとえばシリーズものの記事1本に4か所程度掲載するとして、その中でも分量のある項目を先に1本の記事にしておき、そのリンクを貼ることで1回あたりに新規で書く項目数を実質3か所にするというような方法をときどきとってみようかなと思います。単に小出しにするといえばそれまでですけれども、よろしくお付き合いくださいませ。