大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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中野の庚申塔めぐり その3(本匠村)

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 中野の庚申塔シリーズの続きを書きます。今回から大字三股をめぐります。写真が多いのでひとまず宮ノ越白山神社庚申塔、安説の石造物を紹介しまして、大良の庚申塔は次回に回します。

 

10 白山神社

 本匠中学校辺りから県道608号に入り、橋を渡ります。2つ目の角を右へ、宮ノ越部落のかかりに白山神社の参道入口があります。車を停めるスペースは十分にあります。

 本編に入る前に宮ノ越という地名について申しますと、「ミヤ」とは今の白山神社のことを指すのでしょう。県道35号が開通する以前は、長野から長ノ分までの間の区間、左岸側には道はなかったそうです。昔は長野から宮ノ越に渡り、白山神社の山すそから裏に越して長ノ分に渡っていたようで、「越」はそれに由来すると思われます。または本来の意味は「腰」であり、神社の山のすぐ麓に位置するので「ミヤノコシ」の音であったところに、昔の道順から推して「宮ノ越」の用字を宛てたとも考えられます。とかく旧来の地名は音が主で漢字表記は後付でありますから、字面だけでは判断し難いのです。でもいろいろと推測してみるのも楽しいものです。

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 説明板の内容を起こします。

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白山神社の古灯籠と御神木

 三股宮ノ越白山神社は、最後の栂牟礼城主となった佐伯惟定が、加賀(石川県)の白山から妙理権現(キクリノヒメノミコト)を勧請して祀ったのが始まりといわれ、本地仏は十一面観音、明治の神仏分離までは本宮権現と呼ばれ、歴代藩主、近郷の人々の厚い尊宗を受けてきました。このため今でも由緒ある古社の面影が残されています。

<古灯籠>
 そのころの神社の格式を物語る大きな石灯籠で、高さは約3.6m、大きさも形もおぼ同じで対をなし、いずれも堂々として均整のとれた作品です。

 このうち右側のものは天保13年(1842)、戸田儀兵衛の寄進によるもので、三段に重ねられた基壇はそれぞれ厚薄二層の切石を重ねた入念な作りで、建立から150年を経過した現在でも、全く狂いを見せていません。

 一方左側のそれは明治31年11月、村の氏子中が奉納したもので、基壇は単層で、屋根は横にやや広く優美に見えますが、地盤に問題があるのか傾きが見えるのが残念です。

<ツガ>

 境内に残るツガノキは元禄年間、佐伯藩主高慶公の正室が、この神社に祈願したことで3年にわたる大病が平癒し、その御礼に参詣した記念に植樹したといわれ、樹高30m、胸高周り3.5m、樹齢約300年、たいへん貴重な古木です。

 このほか境内には、樹高30mを越えるイチイガシの老木が数多く残されています。

   本匠村教育委員会

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 冒頭の写真が、説明板で言及されている対の灯籠です。実物を見ますとかなりの大きさで、迫力がございます。基壇が重厚で、竿のくびれ、大きな笠など、優美な姿が印象に残りました。この大きさの灯籠では、お祭りのときなど火袋にお灯明を入れるのも大変だと思います。梯子段をかけなければ無理でしょう。

 また、説明板では言及されていませんが、こちらは狛犬が見事です。

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 いかがですか、頭や尾の渦巻模様の非常に細やかな表現や、台座の装飾など見事なものではありませんか。後ろ足をピンと伸ばした姿勢にはいかにも凛々しい雰囲気が感じられますし、その足の爪の部分の表現なども写実的でよいと思います。

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 参道の上がりはなに残っている五輪塔です。神仏分離以前のものでありましょう。鳥居の外にありますのでよそに移されずに済んだのだと思います。ここから一直線に長い石段が続き、踏面が狭いのでやや歩きにくうございます。幅の広い石段にはこの神社の格の高さが感じられました。もし歩いて上がるのが大変なときは、別のルートから自動車で上がることもできるようです。

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 境内の灯籠ほどではありませんが、鳥居の両脇に並んでいる灯籠もなかなかのものです。はじめ、てっきりこの灯籠のことだと思いました。あの長い石段を頑張って上がりましたところこれよりさらに立派な灯籠が立っていて、感嘆した次第でございます。

 

11 宮ノ越庚申塔

 白山神社の鳥居のすぐ近くに、庚申塔が1基立っています。本匠村では10基以上の庚申塔がまとまって立っていることも多く、このように1基だけが立っているのは珍しいようです。

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青面金剛6臂、3猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 こちらは傷みが進み、像容が不鮮明になっているばかりか上部が折損しているのが残念です。主尊の光背や日月の一部が欠けてしまっています。炎髪の、細やかな櫛の目状の彫りを見るにつけ、元々は全体的に細かい彫りであったことが推察されます。猿や鶏に至ってはその輪郭もおぼろげで、邪鬼の表情も全く分からなくなっています。もしかしたら童子も刻まれていたのかもしれませんが、現状ではよくわかりませんでした。

 このように傷んでしまっていても、宮ノ越部落の入口にじっと立ち続けて、地域を守って下さっている庚申様でございます。神社にお参りした際には、庚申様にも手を合わせてはいかがでしょうか。

 

12 安説の石造物

 白山神社をあとに、直見方面へと少しまいります。安説(あぜち)部落のかかり、道路右側に堂様がございまして、その境内にたくさんの石造物が寄せられています。今から詳しく見ていきますが、別の時季に撮影した写真が混在していますのでやや違和感があるかもしれません。

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 説明板の内容を起こします。本匠村には方々の史蹟・文化財・景勝にこのような説明板が設置されていて、しかもその内容が詳しいので、名所めぐりの際たいへん助かっています。

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安説の石塔群

 安説(庵)の地名が物語るとおり、江戸時代には此の裏山に地蔵庵があり、古い五輪塔や多数の供養塔が残されていましたが、明治の中頃、現在地に移されて再建され、無住となった現在も、大切に保存されています。

 ここの石造物の特徴は、供養塔の種類とその数の多いこと、年代が古く、また造形に優れた庚申塔の多いこと、全体として保存状態のよいこと…にあります。

<供養塔>

・三界万霊供養塔
 すべての世界(欲界・色界・無色界)、すべての御霊を供養するとして建てられたものです。

・三部妙典一石一字塔
 もっとも尊重する経典三部を選び、一石に経一字を記し基壇の下に埋めた供養塔で、ここでは浄土三部経無量寿経観無量寿経阿弥陀経)が納められていると思われます。

・大乗妙典一石一字塔
 大乗のもっとも優れた経、法華経の一石一字塔です。

血盆経一石一字塔
 血盆経の一石一字塔です。主として女性の健康を願って建てられたもので、県南では本匠村に3基だけ見られる、きわめて珍しい供養塔です。

・供養地蔵塔
 これも経の王様、つまり法華経の一石一字が収められています。

庚申塔

 この地区内にあった庚申塔を集めたもので、文字塔、青面金剛塔を合わせ30体あります。此のうち、前面に並ぶ御影石の3体はとくに貴重で、貞享2年から元禄3年までの間(1630~1685)に造られ、造形もきわめて優れています。

 かっての疫病神であった青面金剛が、帝釈天の使いとしていつの間にか、庚申の日に祀られる夜叉になっているのも興味深いことです。

五輪塔

 長い年月の間に不揃いとなっているが、中には鎌倉時代と思われる作りのものもあり、寺の歴史の古さを物語っています。

   本匠村教育委員会

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 説明板を読んだだけで期待が高まりました。道路からもたくさんの石造物が見えていましたが、まさか庚申塔が30基もあるとは思いませんでしたし、たいへん珍しい血盆経一石一字塔もあるというのですから、あまりの嬉しさに小唄混じりの足運びでございました。まず全体をざっと見てみましょう。

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 とにかくすごい数の塔が密集しています。これだけの数のものを境内に運び安置するのは大変であったと思いますが、そのお陰で後の世までも粗末にならずに済んでいますし、こうして簡単に見学・お参りすることができます。

 それでは、この中からこれはと思ったものを一つずつ順に説明していきます。

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血盆経一石一字塔

 血盆経は、説明板では言葉を濁していますが、実際には女性の死後の救済を願うたもので、その根底にあるのは所謂「赤不浄」の概念です。この塔が造立された時代には当たり前の考えでしたが、現代の価値観にはそぐわないものです。しかし、県南にはたった3基しかないという血盆経一石一字塔を造立した心持ちは、それが「迷信」によるものであろうともよかれと思うてのことであることは言うまでもありません。こういった文化財は、当時の時代背景を正しく理解して今の世の中をよりよくしていくよすがになります。

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青面金剛4臂、3猿、邪鬼、ショケラ

 再訪時にこの塔の写真を撮り忘れてしまい、以前撮影した不鮮明な写真しかありません。前屈した舟形の塔身が美しく、主尊は厚肉彫りにて立体的な表現です。彩色がよく残っているものの、下部の摩滅がひどく猿の様子は分かりにくくなっていました。

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青面金剛6臂、2童子、邪鬼

 この塔は下部が折損したか埋もれているかで、邪鬼より下の様子が全く分かりません。おそらく猿と鶏が刻まれていたのでしょう。また、上の突起から、笠が載っていたものと思われます。でも突起の左右が丸くなだらかになっているのがよく分からないのです。もし笠が載っていたのであれば普通、角型になっていると思うのですけれども。主尊のお顔が破損しているのが惜しまれますが、胴体の部分などは比較的よく残っています。直川村、本匠村、宇目町でよく見かけるタイプのデザインでございます。

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大乗妙典一石一字

 碑面いっぱいに大きな字で銘を刻んでいます。堂々たる雰囲気で、お経を小石に1文字ずつ書いて埋めるというたいへんな手間をかけた達成感のようなものが感じられます。

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三部妙典一石一字

 説明板にある通り、3種類ものお経の一字一石塔であります。大変な労力であると推察され、よほどの信心によるものでしょう。

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庚申塔

 塔身の形状は不整形ながらも、銘を刻んだ部分の上部や下の枠の優美な曲線が見事です。シンプルながらも立派なものでございます。

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青面金剛4臂、3猿、2鶏

 日月が見当たりません。墨書されていたのでしょうか。主尊はまさに怖い形相で、短足ながらもかなりの身長です。腕の付け根が上下に離れるなど、デザインには失礼ながらやや稚拙なところもありますが、全体的に見て彫りが細かく、丁寧に表現されております。仲良く並んだ猿は中央がやや大きく、山形になっています。その下のささやかな鶏も含めてなんとも可愛らしく、主尊のいかめしい雰囲気との対比がおもしろいではありませんか。

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青面金剛6臂、3猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 本匠村や宇目町、直川村でときどき見かけるタイプの塔です。瑞雲の細やかな表現が印象に残ります。主尊は背が高くスラリとした体形で、ほっそりとした脚などを見ましても、あまり力強そうな雰囲気はございません。こちらは鉾などを使って力技で悪霊を退治するというよりは、何か特別の力を使って遠隔にて一撃で退治しそうな、まるで魔法使いのような印象を受けました。お顔の破損が惜しまれますが、ほかはよく残っています。蓑虫のようなショケラの小さいことといったら、これと比較しますと主尊の背の高さがいよいよ際立ちます。猿と鶏は元々彫りが浅かったようで、不鮮明になりつつあります。実物を見ますともう少し分かり易いのですが、写真にうまく撮れませんでした。下部には講組の方のお名前がびっしりと刻まれています。

 

今回は以上です。いずれも道路端で簡単に訪ねることができますし、たくさんの文化財を一度に見学できますから興味関心のある方にはぜひお勧めしたい名所でございます。次回は大字三股の残り、大良からスタートします。