大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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藤原の名所めぐり その2(日出町)

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 藤原の名所めぐりのシリーズの続きです。前回、安養寺の天満宮庚申塔まで紹介しました。道順が前後してしまいますが、今回は井手八幡から紹介します。

 

5 井手八幡

 前回紹介した安養寺の庚申塔から、迫方面に少し下って、1つ目の角を左折します。次の二又は右にとって、成田尾団地の中を進みます。道なりに空港道路を跨げば井手八幡の駐車場に到着します。こちらは裏口で、冒頭の写真は表参道の鳥居です。表参道の下には駐車場がありません。

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 誤って境内の写真を消去してしまいましたので、井手八幡の写真はこれだけです。またお参りする機会があれば、記事を修正したいと思います。説明板の内容を転記します。

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井手八幡神社
 鎮座地 日出町大字藤原301番地

祭神
(本殿)誉田別命
末社伊勢大神宮、高良大明神、春日大明神、歳神、天満宮
境内社祠)社日
(請神)金比羅宮、宝成稲荷大明神、愛当護宮大明神、熊野権現大明神

(祭日)
 元旦祭(1月1日)
 大祭 旧6月30日
 例大祭 前夜9月24日、正日9月25日
(三言祈願所)
 祈年祭 3月初卯日
 入学祈願祭 4月1日
 初穂奉納祭 1月15日 ※?
 七五三詣 11月15日
 除夜祭 12月31日

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※初穂奉納祭については、「一月十五日」とあるのですがおそらく10月の誤りでしょう。

 

6 成田尾の堂様

 井手八幡の駐車場から来た道を戻りかけて、跨道橋の手前を右折して空港道路を左に見ながら並行していきます。一旦下ってまた上り、右にカーブミラーの立っているところを左折して空港道路の下をくぐります。右に左にカーブしながら道なりに進んでいくと、道路右側に小さな堂様が建っています。

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 車は、この少し手前から左に下る農道の入口ぎりぎりに寄せれば1台はどうにか駐車できるでしょう。遠目に見たときに道路からの段差が高そうで上がりにくいのではと心配しましたが、実際は石段に手すりも整備されており、安全にお参りすることができました。中にはいくつかの仏様のほか、奥の壁際には庚申塔も安置されていました。前回紹介した和泉の水神社の庚申塔と同じく、野ざらしになっていない珍しい事例です。

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青面金剛4臂、2猿、2鶏

 残念ながら風化摩滅が著しく、諸像の姿は輪郭がおぼろげに残るのみとなっております。今はこのように堂様の中で守られていますけれども、それ以前はずっと野ざらしにて立ち続けて、こんなに傷んでしまったのでしょう。ありがたいお姿でございます。

 さて、この塔は上端の形状が特徴的で、美しい波形を描いています。丸くカーブさせるだけではなくて両端をちょっと跳ね上げているのがなんとも優美で、洒落ているではありませんか。細かい部分は分からなくなっていますが、シルエットは迫の庚申塔から2童子の箇所を省いたような姿でございます。藤原地区の庚申塔でしばしば見かけるデザインで、このパターンがよほど評判を呼び造立の際に「隣村の庚申様のように」と依頼したのか、それとも石工さんがこのパターンを好んでいたのか等、いろいろ想像するのも楽しいことです。

 

7 安養寺の五輪塔

 成田尾の堂様を過ぎて道なりに行けば、成田尾団地のところの二又に出ます。そのまま直進して突き当りを左折し迫の堂様の方向に少し下って、1つ目の角を右折します。二股を右にとれば、道路端に安養寺グラウンドの駐車場があります。ここに車を置いて、グラウンドへの坂道を右に見送って道なりに進み、家並みが途切れたところの道路端に五輪塔庚申塔(自然石)が寄せられています。

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 このように壊れている塔や後家合わせと思われる塔ばかりで、完成形のものは僅かでした。特に説明板はありませんでしたが、次に説明する経塚古墳の五輪塔群と一連のものであると思われます。

 

8 経塚古墳(穴観音)

 五輪塔の先の角を右折して、坂道を上ります。道なりに行けば「安養寺経塚古墳」の標識があります。その角をまた右折して急坂を上れば、円墳や五輪塔群が見えてきます。

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 説明板の内容を転記します。

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安養寺・経塚古墳

 この古墳は明治時代初期に発見され、形状などから古墳時代後半(6世紀中期から後期)のもので、藤原郷、大神郷地域の有力者のものと推定される。
 古墳の主体部は横穴式石室で、石室内に朱色を施している。墳丘(古墳の大きさ)は、直径30mぐらいだったと考えられるが、現在では、周辺が削られ20mである。
 発見されて以来、地区の人々が地蔵尊などを安置し、通称「穴観音」または「穴様」と呼ばれている。

日出町史跡 平成6年12月26日指定

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 補足いたしますと、発見は明治17年(1884)のことで、近所の子供が塚の上で遊んでいるときに発見したとのことです。

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 墳丘の上に見事な枝ぶりの大樹が育っており、一度見たら忘れられない光景でございます。藤原地区に数ある名所の中でも、特に神秘的な印象を覚えました。入口には扉が設けられ、施錠されているので自由に中に入ることはできません。でも金網の隙間から覗けば、中の様子は分かります。

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大正元年十月一日
大〇記念碑
○○三大八尺

 この五輪塔は銘によれば大正元年の造立で、「記念碑」とのことです。大の後ろの字は手篇に「口」の崩しのように見えましたが、読み方がわかりませんでした。三大八尺の意味も不明です。

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 境内の一区画を整地して、たくさんの五輪塔や石祠、灯籠の類が整然と並べられていました。説明板によれば地蔵尊等は古墳発見以降に近隣の方により安置されたとのことですが、明治以降に五輪塔を新規に造立・安置したとは考え難いことから、五輪塔についてはそれ以前から近隣に存在していたものをこちらに移したものと思われます。

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 石祠や右の覆い屋の中を見ますと、仏様の種類もお弘法様、牛乗り大日様など多種多様です。ありがたい名所でございます。

 

9 釈迦堂の石造物

 古墳から一旦駐車場まで戻り、車で行きます。古墳上り口の坂道を車で登れば、安養寺の天満宮(石祠)下の駐車場からの道に出ます。これを左折すれば釈迦堂部落で、ほどなく国道10号との交叉点(五叉路)に出ます。直進右奥に進んですぐさま左折し、急坂を上りますと堂様が見えてきます。車は、1台であれば坪に停められます。

 堂様にお参りをして左に行けば、立派な石祠や庚申塔などの石造物がございます。

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 3つ並んだ石祠がいずれも立派な造りで、特に向かって左の軒口のお細工や相輪、右の宝珠などを見ますと、たいへん手が込んでいることが分かります。よほどの信仰を集めてきたのでしょう。

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 向かって右の仏様です。優しそうなお顔立ちに親しみを覚えました。千手観音様の石仏でときどき見かける体の左右にずらりと腕を彫り出したデザインや蓮華座などは、やや形式的ではあります。けれども、彫刻とは立体的なものでありながらもその材質が石であればある意味で平面的な表現にせざるを得ないという制約の中で、昔の方が知恵を絞って表現を工夫したことがよくわかります。

 めいめいの仏様にはお賽銭が上がっていて、信仰が続いていることが分かりました。散歩などの途中で立ち寄って、ちょっとお参りをされる方もあるのでしょう。

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 2基の庚申塔が見られました。右手前は自然石で、文字は消えてしまっています。左奥に立つ刻像塔を詳しく見てみましょう。塔のすぐそばまで、簡単に上がることができます。

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青面金剛4臂、2猿、2鶏

 藤原地区で盛んに見かけるタイプの刻像塔です。その中でもこちらはデザインの珍妙さに拍車がかかり、極めて漫画的な表現がおもしろうございまして思わず顔がほころびました。まず主尊の御髪のボリューム感のすさまじさでございます。非常にコシのある髪質なのであろうと思わざるを得ません。しもぶくれのお顔は、小さな目・鼻・口が中央に寄り気味で、たっぷりとした頬から顎にかけての肉付きをいよいよ強調しています。顔の大きさに比べてやや痩せ気味の体からは、付け根が上下に分かれて4本の太い腕が伸びており、その下にはとんでもなく裾広がりのスカートのような衣紋、短い脚。一つひとつが珍妙を極める中で、全体として見ますと何となくどっしりと強そうにも見えてまいります。

 猿は向かい合うて、何か四角の道具を両側から挟み合うて高く掲げておりますのが、ちょうど主尊の台座に接しておるものですから、2匹の猿がエンサカホイと主尊を支えているようにも見えました。寛保3年、凡そ280年前の造立です。昔の方の遊び心、洒落っ気が感じられる、楽しい庚申様でございます。

 

今回は以上です。藤原のシリーズも続いていきますが、次は大内のシリーズの続きを書きます。