久しぶりに藤原シリーズの続きを書きます。今回は道順が飛び飛びになります。写真がなかったりして途中飛ばした名所がたくさんありますが、それはまたいつか補うことにして、ひとまず駆け足で先に進んでいきたいと思います。
10 王子権現(熊野神社)
「その2」の最後に紹介した釈迦堂からスタートします。釈迦堂の前の急坂を登り、鋭角気味に左折して速見バイパスに沿うて進み、右折して高架橋を渡ります。その先の二又(※)を右にとって急坂を登り、左にお墓が見えてきたら鋭角に左折して下っていくと右側に権現様がございます。車はその入口に停めることができます。※印の二又を直進してその先の角を鋭角に右折しても行けますが、右折するところがとても曲がりにくいので回り道でも上から行く方がよいでしょう。
この辺りは旧の北藤原村と南藤原村の境界辺りで、その境界が入り乱れていたそうです。それで、王子権現は北藤原・南藤原双方に氏子圏が広がるそうで、その中心は立野・山田あたりです。
お参りしようと浮足立って歩いてまいりますと、昔あった拝殿がなくなっていることに気付きました。これについては、そばに立っている記念碑に経緯が書かれています。
記念碑の説明を転記します。
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社殿が老朽化したので、神殿の改築と拝殿の改修工事を行い、平成5年5月9日竣工した。この工事にあたり多額の御寄付をいただいた方々に、ご神徳のあられますことを祈念し、寄付者の芳名を本碑に銘記する。
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熊野神社の呼称については、おそらく神仏分離以降のものと思われます。しかし近隣地域では、今も「権現様」と呼んで親しまれているとのことです。
左の方に行くと、立派な石祠が3基も並んでいました。お花が上がっていて、きれいに清掃されていて嬉しくなります。近隣の方の信仰が篤いのでしょう。きれをはぐって中を覗くことは遠慮しましたが、おそらくお弘法様と思われます。
「熊野山」に庚申塔がある旨の情報提供を頂きまして、その熊野山というのがどこのことか分からず、この権現様あたりかなと思うて辺りを捜しました。古い水路沿いに奥に進んでみましたが、残念ながら庚申塔は見当たりませんでした。付近の墓地なども確認したのですけれども、やはりそれらしい塔は見当たりません。この辺りは速見バイパスの開通により地形の改変が著しく、もしかしたらどこかに移転したのかもしれません。
それにしても、山中に残るこのような古い水路などを目にしますたびに昔の方が苦労して山田を拓いたことが思われて、今の世の中のありがたさを感じます。
権現様は急坂の半ばにて、麓を見降ろすと遥か向こうに高崎山を望みます。冬の晴天の日や、または朝焼けの時間帯であればもっとよいでしょう。
11 立野の神社
王子権現から麓に下り、道なりに右折して立野(たての)部落に入ります。屈曲した道を進んで行き家並みを離れてなだらかに下っていくと、速見バイパスの下をくぐります。その手前に神社がありましたが名称が分かりませんでしたので、項目名は仮に「立野の神社」としました。
鳥居のすぐ前をバイパス道路の築堤が横切っています。地形改変が著しく、昔の様子を思い浮かべることは困難な状況であります。
神社には建物が何もなく、石祠や狛犬、灯籠ほか各種石造物が残るのみとなっています。境内は舗装されていますし、落ち葉などもなく手入れはされているようでした。
遠目に見て庚申塔かなと思いましたが、違いました。前屈している立ち姿が、玖珠方面の庚申塔にそっくりです。おそらく供養塔の類かと思います。神仏習合の時代の名残なのか、または近隣の地形を改変した際に神社の境内に移されたものなのか、経緯は不明ですがありがたく見学させていただきました。
12 麝香之塔
神社からバイパスの下をくぐって、突き当りを右折して少し行けば道端に立派な石塔が立っています。
一角をたいへん立派に整備してあって、よう目立ちます。バイパスの出入りでランプ道を通行します際にいつも気になっていた石造物です。ありがたいことに説明板がありましたので、今回やっと何の塔なのかが分かりました。
説明板の内容を転記します。
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麝香之塔由来
現在ここから後方約50mほどの小川に圣丈余(1000屯)の大石にこの塔2つありて、平成12年4月国道工事のため移転の已むなくこの大石は取り除かれた。
この塔はこの大石の上に、2基の供養塔あり、その塔の一つは祐道のもので、藤原村を南北2村に分けるよう初代木下延俊公に進言したらしく、そして木下藩主に仕え江戸にて没したと伝えられ、法名翁雲幸公居士なるべし。また一つの塔は、祐道の子祐勝のもので法名通方宗円居士なるべし。この塔2基を人呼んで麝香の塔として、昔から伝えられ重宝とされて居るものである。
またこの塔について、帆足万里は、つぎのような詩を読まれて居る。
曽聞翠袖伴鯔衣都是千戈草味時不見苔碑寒澗上百年蹤使人悲
以上のことは、凡そ326年前のことで速見郡志、藤原村史、南藤原図跡考、伊東家系図などからの資料から集められたものである。ここに移築されたのは、平成13年の12月である。
伊東家これを建つ
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13 覚雲寺の国東塔
麝香の塔を過ぎて、バイパスのランプ道をくぐったら突き当りを右折します。バイパスの下をくぐって突き当りを左折し、その先の突き当りは右折します。道なりに右カーブしながら上っていけば、道路右側に国東塔が立っています。このあたりは覚雲寺部落で、古刹覚雲寺に由来する地名でございます。このように、寺社の名称を地名に援用している例は方々で見られます。
保存状態が良好な、立派な塔でございます。胴部に龕をこしらえてあるのは珍しいのではないでしょうか。確かこの塔には名称があって、何らかの由来がある旨を何かの本で読んだ覚えがあるのですが、どうしてもその内容を思い出せません。10年ほど前にその内容を帳面に書きとめておいたものを、なくしてしまいました。また今度図書館で調べて、分かり次第追記します。
なお、このすぐ近くには横津神社がございます。適当な写真がないので今回は省きますが、藤原地区を代表する名所ですので、近隣を探訪される際には立ち寄ってお参りをされてはと思います。
14 尾園の庚申塔
国東塔のところから道なりに上っていきます。尾園部落に入ってすぐ、道路左側に庚申塔が立っています。あまり大きくはない文字塔が1基のみですが、横に灯籠が立っているのですぐ分かると思います。
奉請庚申
写真が悪くて文字が見えないのですが、碑面の状態は極めて良好で、実物を拝見しますとよう分かります。道路端にあるので容易に見学できます。
この辺りにきますと見晴らしがよくて、はるか麓に速見が浦を一目という藤原地区きっての景勝地でございます。近隣にお住まいの方は窓からの景勝を思いのままですから、羨ましい限りです。花火大会のときなど、特等席でありましょう。
15 前大津の石造物
尾園から新興住宅地「自然郷」を経由して国道10号に出ます。左折して、フットサルコートを過ぎて右に尾形建設を見て、その次の角を左折します。民家の手前を右折して道なりに行けば、道路左側の崖にいくつかの石造物が安置されています。
御室の中に素朴な仏様が安置されています。近寄りたかったのですけれども足場が悪くてどうにも上がれなかったので、遥拝にとどめました。
ほかにも数基の石祠が確認できましたが、中が空になっているものもあります。この場所は何か神聖な場所であるのでしょうか。詳細が分かりませんでした。
大きな木が、大岩に巻き付くようにして生えています。その生命力に感嘆いたしますとともに、周囲の石祠や仏様と相俟ってとてもありがたい感じがいたしました。
16 大津庵
国道10号に返って、赤松峠へと登っていきます。登り着いたら、右にハーモニーランド入口があります。左側にはハーモニーランドの従業員駐車場があって、その奥に堂様がございます。こちらは大津庵と申しまして、昔から近隣の方々の絶大なる信仰を集めてきたところの名所でございます。かつてはもう少し山手にあったものを、今の位置に下ろしたとのことです。裏から回り込む道もありますが、駐車場を通り抜ければ簡単にお参りできます。
国道からもこの建物が見えますのですぐ分かると思いますが、道がよいのでスピードが出ていると気付かずに行きすぎてしまうかもしれません。近寄ってみて、たくさんの石造物が目に入りましたので浮足立って坂道を登りました。今からその石造物を紹介します。
お弘法様などの石祠が大小5基も並ぶ中に、「法華石経」の塔が立っています。法華経の一字一石塔と思われます。日地町内では一字一石塔をあまり見たことがなかったので新鮮に感じました。
その並びには五輪塔などが安置されています。左端の石造物は仏龕塔とでもいうのでしょうか、近隣ではあまり見かけない造形です。裏面は確認しませんでしたけれども、おそらく6体のお地蔵様が刻まれており、六地蔵の石幢と同じ意味のものでしょう。
驚いたことに、十王像ほかのたくさんの仏様が野ざらしにて安置されてあります。傷みが進んでいるうえに、草が伸びてやや荒れ気味のように感じられました。訪ねた時季が悪かったのだと思います。近隣の方などによるお世話があっても、ほんのひとときですぐ草が生えてしまうのはいたしかたありません。
十王像の向かい側、堂様の外壁に沿うて五輪塔が並んでいます。崩れたものや後家合わせと思われるものが目立ちました。おそらく山からこちらに下ろした際に積み変えてしまったのでしょう。
たくさんの石造物が安置されている大津庵は、大通りのすぐそばにありますけれども通りがかりの方のお参りはほとんどないようです。道がよくなって、ハーモニーランドも開園し赤松峠はその様相を一変しておりますが、大津庵の石造物は昔の面影を今に残します。その歴史に思いを馳せますと、今では自動車がスピードを出して通過する赤松峠を大昔の方がわらじがけで歩いて越えた姿などが想像されまして、感慨深いものがございました。
今回は以上です。次回は赤松から川久保周辺の名所旧跡を紹介します。この地域については以前2本の記事で紹介したことがありますが、今回追加の名所もありますから旧記事を編み直して1本にまとめたいと思っています。